プロセス(前夜)

 客室へ向かうまでに交わした会話を通じて彼のこともある程度知ることができた。

 老執事の名はベルディロッドという。

 遠慮なく呼び捨てにして構わないと言われたが、お互いの役職や立場に関わらず、礼節を重んじる彼に対して偉い態度を取ることが私にはとても出来そうにない。

 だから、一先ずはさん付けで呼ぶことを良い落としどころにした。

 柔和な顔つきとはいえ寡黙な人という印象を持っていたので、二人きりで話してみると存外に話題が途切れず、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 彼の話はどれも興味深く、私の話もよく傾聴してくれていた。奉仕役としては勿論、カウンセラーのようなコミュニケーション能力も兼ね揃えているものだから隣人として隙がない。

 それでいて対人能力の差にこちらが引け目を感じないよう空気を図ってくれるものだから……容姿通りか、あるいはそれ以上の名執事であり、真の紳士だ。

 特に、ベルディロッドさんもかつては近衛部隊の一員だったらしく、今のような奉仕役になるまではユオレンの教師として戦闘技術や教養・礼節の指導をされていたという話には惹かれるものがあった。

 ユオレンの私に対する丁寧な対応は、他でもなくこの老執事の教育の賜物なのだと分かり一人で感心した。

 昔と比べて衰えたものだと謙遜し、今ではユオレンに敵うことは何もないと自分を下げて言うが、大成した弟子を心から褒められるのは紳士の感性に他ならず、理想的な師弟関係と言えるのではないだろうか。

 ……あと、クロデイには本名ではなくセバスチャンと呼ばれて弄られることがあるらしい。ベターな執事の名前というだけ。ベルディロッドさんはあまり気にしていないようだが、私の方で厳重に注意しておかなければならない。


 ベルディロッドさんの案内で客室に到着すると、その広大さと煌びやかなインテリアの数々に目が眩まされた。

 国内で最も派手に飾るべき王城の一部分なのだから納得はいく。それでも、この客室だけで私の小屋4つ分の大きさなのはショックを感じざるを得ない。不自由のない生活を送らせてもらっている身分とはいえ、平民と貴族でこれほどの差があるものなのか……。

 口を開いたまま呆然とする私に、嘲笑ではなく素直に珍しい反応だと微笑む執事は、仕立てを任せる侍女たちを呼ぶから座って待っていてほしいと言い部屋を出た。

 私は勿論、優雅に構える余裕などないため、部屋に置かれたインテリアを片っ端から凝視して時間を費やすこととなった。

 客室ということは、今日はこのまま朝までここで過ごすことになるのだろうか。

 私としては色々な非日常を体験したおかげでかつてない妙な疲労が溜まっているため、この絶対に高価なベッドより、馴染むのあるいつものベッドで丸くなりたい気分なのだが……。

 掌でフカフカのマットレスを押し込みながらそのようなことを考えていると、話に聞く侍女さんたちが入室してきた。

 彼女たちは4人。全員私より年上で、おそらく二十代だろうか。皆が同じデザインのエプロンドレスを身に着けていた。

 後ろの3人は理想通りの淑女という印象を受けたが、彼女たちの先頭に立つ1人だけは醸し出す雰囲気が侍女のイメージと全く違ったので目を疑った。

「はぁい、アンヌちゃん!私たちが王様専属の侍女軍団!私はカザリナよ。聞いてると思うけど、今からあなた用の衣装を作るから……早速だけど全裸になってくれる?」

 ……姉御肌?ブラウンの長髪を後ろで束ねるカザリナという侍女代表は、外見に合わない活発な人という印象を受けた。

 姉御が2度手を叩くと、控えの侍女たちが一斉に動き出して私が身に纏っているものを力尽くで脱がしにかかってきた。

 女同士とはいえ思わず叫び、抵抗もしたのだが……数の暴力には敵わず、あっという間に丸裸にされてしまった……。

 3人もそれぞれで個性が異なっていた。

 我先にと、ノリノリで身ぐるみを剝いできた陽気な者。申し訳なさそうに謝るも言動が噛み合っていない者。2人とは違い無表情のまま務めを全うするクールな者。

 彼女らもカザリナさんとは違う方向でクセの強いお姉さんたちなのだとすぐに分かった。

 そういえばあの王様も、その周りの人たちもみんな強烈な個性があり、唯一私だけが地味なものだから逆に浮いている気がするなぁなんて斜めの感想を抱かずにはいられなかった。

 そんなことを考える頃には、もう既に布一枚も纏わない格好にされており、スリーサイズを測るメジャーが直接肌に触れるとやけに冷たく感じた。クロデイが期待していたのはこういう状況だったのだろうか。


「お疲れー……って、何かやつれてない?」

 激戦を乗り越えてダイニングルームに戻ると、そこには二人がまだ残ってくれていた。

 それなりに時間が掛かったため退屈だったのだろう。クロデイの方は窓を開け、礼儀悪くその窓枠に座している。

 しかし、ユオレンの方は変わらず同じ席で一度も姿勢を崩さずに待機している様子だった。あのベルディロッドさんが認めるだけのことはある……溜め息が出るほど背筋が綺麗に伸びている。

「ごめんなさい。長く待たせてしまいました……」

「構いません。衣装のオーダーは完了したのですね?」

「はい、もうバッチリにやってくれるみたいです。明日の朝には必ず間に合わせると言ってましたけど、あれは本気なのでしょうか?結構難しいことを頼んじゃったから……」

「心配には及びません。彼女たちも精鋭ですので、必ずと言ったのなら必ず成し遂げてくれるはずです。それで……」

 彼の次の問いは読める。

 ここに戻る前にカザリナさんからも聞かれたことだし、夜も大分更けているのは窓の向こうを見れば明らかだ。皆が私に案じることといえば、それに決まっている。

「今日は家に帰ります。泊まっていいと言われましたけど、朝から出発するならいつもの場所でしっかり休んでおきたいので」

「分かりました。では近くまで共をします」

 ユオレンが席を立った。それを見て窓辺のクロデイも動いた。

 二人の間では私に同行することが当たり前のことになっているようだが、多忙であろうその手をまだ不明の私が煩わせてしまうのは悪い気がしてならない。

「多分、私だけでも大丈夫じゃないですか?」

「王命ですので」

「そうそう。気にしない、気にしない」

 二人には護衛など面倒だと不満を持つ感じがない。

 それが何だか、有り難いというよりも不思議に思え、罪悪感などすぐに忘れ去られた。

 また三人の時間が続くことを内心喜んでしまっていた。私は何故これほど二人との思い出に拘るのか?

 年齢が近く、容姿の整った男性を両腕に並べられることへの優越感かと疑われても、それは違う気がすると答えるだろう。これは、そのような浮いた話ではない。

 私が本当に救世主とやらで、彼らが私の従者とやらであるとしても、それは主従関係か協力関係と呼ぶ程度のものであり、絶対的な信頼関係とは言えないのではないか。

 根拠はない。この先でその答えを見つけられるかも分からない。

 私のデジャブと、彼ら異能者がカードを引いた記録も直接結びつくものではないのかもしれない。

 何せ感じ方が異なっているのだから、そこを共通させなかったのは何故かという疑念のスパイラルに陥るばかりでキリがなさそうだ。

 要するに、私たちはまだ何も知らない。鍵を握る予言書の所持者たる王でさえ、私が救世主であることを証明しない限り次の段階へは進めないと言ったくらいだ。

「私って本当に救世主なのかな?」

 ダイニングルームを出て廊下を少し歩いたところで思わず心の声が漏れた。

 ユオレンは何も言わない。困らせてしまったか、あるいはその答えを知らない以上は何も言うべきでないという判断か。

 クロデイは……クロデイも何も言ってくれなかった。

 私が誰も答えられない質問などするものだから、私たちの間に流れていた穏やかな空気は酷く息苦しくなってしまった。

 長い廊下を進む。前方から一人の隊員が現れ、すれ違う。

 私たちより年上で、カザリナさんや他の侍女たちの方が年が近いはずだ。

 その体躯からして男性に違いないだろうが、腰上まで真っ直ぐに伸びた黒のストレートヘアーは今朝から毛先の跳ね具合に悩まされている私と大違いで羨ましかった。


 ――不意に、デジャブを感じた。


 ユオレン、クロデイ、ベルディロッドさん。

 すでに出会った3人の他にもあと2人の異能者がこの城に控えているという話を聞いたが、まさかそのうちの一方は彼なのか!

 思わず立ち止まり、去り行くその背中を見据えた。

 ユオレンとクロデイも私に続いて立ち止まる。ユオレンがその通りだと頷いたので間違いはないようだが、今の私にできることは特にない。

 私はまだ救世主ではなく、二人とも、老執事とも、その背中ともまだ繋がっていないのだから仕方ない。

 しかし、繋がるとは本当に主従としてだけでいいのだろうか。王の求めるところはそれだけなのかもしれないが、私にはそれだけではまだ足りないように思えてならない。また陥りかける……。

「これから分かります」「これから分かるよ」

 青年たちの言葉が重なった。少し時間が掛かったようだが、今はその回答がベストだと決断したのだろう。

 それとも、こんなところで立ち止まっても埒が明かない!行動すべし!という圧力だったのだろうか。

「うん、行こう。あっ……」

 つい気が緩んでしまった。三人で並ぶとつい安心してしまうものだから、クロデイはまだしもユオレンにまで無礼な言い方をしてしまった。すぐに謝らなきゃ。

「ごめんなさい!」

「何がです?」

「何って、失礼を……」

「別に構いません。これからしばらくは強力関係になります。楽に接していただく方がよろしいかと」

 やはり弟子は師に似るものか。彼の教師役が紳士で本当に良かった。

 ベルディロッドさんには遠慮してしまったが、ユオレン自身が良いと言うのなら良いのだろう。

「じゃあ……ユオレン」

「はい、お嬢様」

「あの、ユオレンももっと気さくに接してほしいです……」

「……努力します」

 急に互いの距離を詰めることになりつい照れてしまったが、ユオレンの困ったような反応を引き出せたのは大きな収穫だった。

 ただ、私たちのやり取りを見ながら母親みたいに生温かい表情をしているクロデイがそこにいたので、いくらユオレンが紳士とはいえ調子に乗って弄り過ぎないように気を付けようと密かに決心した。

 ……ところで、さっきの長髪の異能者はどこへ向かうつもりなのだろう。巡回にしては何だか自由に動いているようにも思えた。まさか、カザリナさんたちに用があるわけではないはずだが……。

 あと、私はどうして殺気立った目で彼に睨まれたのか。

 それもきっと、明日には分かることだろう。


 ようやく民間居住区まで戻ってきた。

 入浴施設に寄ってから帰りたいと伝えて二人とは別れた。ユオレンには早急に帰宅することを勧められたが、用事を済ませたらすぐに帰ると約束して渋々認めてもらった。

 あの揺れと閃光はもう過去の出来事なのか。

 夜中故に街は静かなものだが、それでも各酒場だけは灯りが外に漏れ出し、大人たちの騒ぐ声がこだましていた。

 私はこれまでの非日常的な体験が夢か幻だったかのように、いつもの日常へと戻ってきたのだ。

 とはいえ、このような時間帯に大通りを歩くのは珍しいことのため、いつものルートだというのに風景の色と音が変わるだけでも新鮮に思えて心が躍る。

 夜中に起きている場合でも家の窓は閉じておくので、このように全身で夜風を堪能することなど滅多にないことだからより贅沢に感じられる。

 今日の苦労に対しての報酬としては釣り合わないかもしれないが、身の丈にあった些細な幸福としては十分だと言えよう。

 ただ、のんびりしていると入浴施設が閉まってしまうし、近辺を巡回する近衛隊員に見つかるとそのまま家まで着いてこられる羽目になりそうだ。

 ユオレンはその方が安心するかもしれないが、クロデイには笑われてしまいそうなので、そのような未来は避けたいところ。


 閉館直前ということもあり、利用者は私しかいなかった。

 受付はこのようなギリギリでの来店であっても怠そうな態度を示すことなく淡々と手作業で対応してくれた。私にはその味気無さが有り難い。

 桶にお湯を汲んでから洗い場へ向かう。今朝と同じルーティンだ。

 それ故、今日一日の奇妙な体験の数々が思い起こされて肩が凝る。

 同時に、全てはここから始まったのだと改めて実感した。

 私はこれからどうなってしまうのだろう。私は本当に予言書に記された救世主とやらなのか。

 そも、救世主の役割とは何なのかもよく分かっていない。世界に必要な存在なのかも怪しいところだ。

 言葉通りの意味ならば『賢者』に匹敵する偉人になり兼ねない話だが、全ては私がそれに値する者だと判明して王がやはりと認めない限り進まない事柄なのだ。

 明日になれば分かることのようだが、これで本当は全く件と関係のない町娘Aでしたなんてオチも当然あり得るわけで……。

 もしそうなったら彼らの期待を裏切る結果になるだけでなく、私自身も拍子抜けしてこれまで以上に退廃した生活へ落ちぶれていくのは目に見えている。

 しかし、不思議なことにその戦場……テロリストたちの根城へ赴くことが決定したというのにこの町娘はあまりにも心に余裕がある。

 それは、怖ろしかったら逃げてもいいと、現場での判断を自分で決めることができるからなのか。それとも、王が推す二人の強者が傍にいてくれる安心から来るものなのか。

 そのどちらも間違いではない。いくら死と隣り合わせの戦場とはいえ、私が明日この命を呆気なく落とすような事態には決してならないと、そこに関しては私も確信を持っているからだ。

 しかし、この余裕とはそういう安心や自信に依存した問題ではないのだ。

 だって、私は今、笑っている。

 再び鏡に映った偽りの黄金がその瞬間を求めている。早くそこに向かいたいと、あの閃光を追いかけた時と同じような好奇心が内から湧いて落ち着かないのだ。

 私……アンヌとはもう、私自身の知るアンヌではなくなったのかもしれない。

 まだ幼く、世の中の全てを警戒していた弱虫な私はもうどこにもいないのか。

 ……それが少しだけ寂しく思えて、不意に瞳が潤んでしまう。

 おそらく歴史上で誰も経験したことがない……旧く弱い自己の喪失と、新しくて強い自分へのアップデート。

 その仕組みも、そうさせられた理由さえも謎のままだが、同じ媒体でそれを果たしてしまった以上、私は戦火へ身を投じなければ気が済まなくなってしまったのだ。

 だから、さっさと家に帰って就寝したい。明日の行軍のため、それまでの限られた時間を無駄にはしたくない。

 今も私のことを案じてくれているであろう果物屋のお婆さんへの謝罪と、食欲不振で忘れていたデザートのカットフルーツについては明日の戦いの後でまとめて済ませればいいことだろう。

 意識は既に明日の戦いへと向かっている。備え付けのバスアイテムで全身を隈なく清潔にすると、施設ご自慢の大風呂には目もくれずに浴場を後にした。

 

 ――何となく伸ばし続けてきた長髪はその分だけ整髪に時間を要する。特に、今朝から毛先の跳ねが気になって仕方がない。結局この時間になっても直らなかった。

 この程度のことに悩まされるのが今の私にはあまりにも煩わしく耐え難かった。


 長い道程の果てにようやく自分の住処へ帰還した。テーブルの上には食べ残しの食料が不衛生に置かれたままだった。

 デザートの入手を優先し、昼食をほったらかした過去の判断ミスがこの今まで引きずられて大袈裟に項垂れる。この場所には私しかおらず、他に誰も見ていないと分かるとついオーバーリアクションを起こしたくなった。

 ……昼食と言っても昨日の残りまで含まれていたっけ?

「寝よう」

 酸欠になりかけるくらいの大きな溜め息を吐いてから私は都合の悪い現状から逃避するようにベッドへ移った。

 残念なことに、整理整頓の意識まではアップデートされなかったようだ。

「うぅぅー。ユオレン……ベルディロッドさん……執事、いいなー……」

 うつ伏せで枕に顔をうずめながら二人の紳士を思い浮かべた。この家の窮地を救うには彼らが必要だ。

 叶うはずもないことだが、彼らを専属の奉仕役とした高貴な身分の私を……想像すらできなかったので、諦めて眠りに就くことにした。

「うううぅぅぅ……」

 昨日と同じく激しい頭痛に襲われると、そこで私の意識は途絶えた。

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