謁見・このデジャブ
街の大通りからでも王の構える城は見据えることができるのだが、そこに縁のない私にとっては遠くに聳える山の景色と同じだった。
そのため、そこへは馬を用いて移動するものと勘違いしていたので、まさか城門へ辿り着くまでに30分も歩かされるとは思いもよらず、私の両脚はもう棒のように固くなっていた。
普段の生活から考えてみれば今日だけで10日分の運動をしたのではないか。しかも、その内容はどれも私のこれまでの人生からは想像もできない舞台の演劇みたいだった。
私を囲う二人のおかげで怪我なく無事でいられるが、命を落としかねない危機に晒されていたのは間違いない。
少なくとも、朝に続いてつい先程も対峙した例の大男は明らかに私を殺すつもりだった。この国の精鋭たちを相手にしてしまったのが運の尽きとはいえ、武器も持たない娘一人に傷すら負わせられなかったのは相当の屈辱だったはず。
その恥に憤り、狂乱し、人から獣へ。そして、動く屍のような様相にまで堕ちたまま逝く結果となったのだ。ある意味で痛快な復讐が完成したと言えるかもしれない。
ここに来る途中。街の人々が私たち三人の進行を呆然と見つめていたのが印象に残った。
見覚えのある顔もちらほらいて気まずかったが、何よりも噂の美人隊員と、いつの間にか街に溶け込む格好に着替えたアサシンの青年の間に何故……何の個性もない町娘が挟まっているのかという疑惑の目線が全方位から刺さって苦しかった。
落ち込む私に気付いたクロデイは、ヘラヘラしながらこれからもっと注目されるようになると言ってきたので不安は増すばかり。私と彼だけなら、誤解でも若いカップル程度にしか思われないだろうが、兎にも角にもユオレンの存在が目立ち過ぎた。
彼の美貌に見惚れた直後、我に返って私のことを睨みつけてくるお姉様ばかりのため、この美青年が民間居住区の警護を任されることは決してないのだと分かった。
周囲の女性を狂わせるだけでなく、ユオレン自身も大分疲れているように見えたからきっと彼なりの苦労もあるのだろう。
私の窮地を救ってくれた月下の美人。
クロデイのような意地悪であれば顔だけの嫌な男性だと目が覚めるが、私に対する彼の振る舞いは紳士そのもので、まるで執事のようだという印象を受ける。
私はかろうじて堪えたが、あのようにやられては世の女性が虜になるのも納得できる。そのあたりは自覚しているのだろうか?
「到着しました。すぐに王の間へ案内しますが、夜も更けてきましたし、王も貴女も長居はできません。私の方で答えられる質問があれば今のうちにお答えします」
「質問ですか……」
ユオレンの提案に喉を詰まらせながら門番の隊員に頭を下げて城内入りを果たす。
その門番も、中を巡回する隊員たちも、流石にこれまで見てきた近衛隊員たちとは風格が違う。平和故に多少は退屈を感じるはずなのに、その眼差しは常に鋭く、外敵の襲来に備えている。
様子だけで彼らも相当の手練れだと分かったし、そんな彼らを従えるティフェレット国王の手腕か、あるいはカリスマ性に改めて敬意を評したい。
「ユオレンさん……様への質問ではないのですが、王様は私の疑問に……特にこのカードの秘密やさっきの光について教えてくださるのでしょうか?」
「王はこの事態を予測しておられたようです。私とクロデイには以前より、兆しが起きたら迷わずそこへ走れと仰っておりましたから」
「兆しってさっきの光のことですか?それとも直前の揺れの方?」
「そこは明確には分からないとのことです。どうやら我々には触れられない古く貴重な書物に記された内容を参考にされているようなので。
ただ、あの光が落下した地点に貴女のカードがあって、それは全くの無傷だった。なのに、それを持っていた男の方はあのように背中を焼かれて倒れていた。まるで相応しいものと、相応しくないものを分別するように」
……丁寧に対応してくれたユオレンには悪いが、これは答えの出ない問答だ。
彼は王より受けた命に従って光の落下地点へ走った。そこに何があるのか。それが何を意味しているのか。
そも、ユオレンは『兆し』が具体的に何のことかも知らないのだ。我関せずと呑気に口笛を吹いているクロデイも。
全ては国王のみが知ることか。
しかし、その国王も昔の本とやらを参考に事態を予測したとのことだから、状況を明確に把握しているわけではないのかもしれない。そんな私たちが邂逅して、一体どれだけの謎が解けるというのだろう。
兆しと怪しい本については国王に直接聞いた方がよさそうだ。
それよりも、彼らに聞いた方がはっきりするかもしれない事柄があった。
「お二人も詳しくは知らされていないのですか?」
「はい。不測の事態故か、あるいは王が意図的に情報を隠されているのでしょう」
「あの王様はそういうことするからね。それでもこれから忙しくなるって言ってたし、お嬢が本物ならちゃんと教えてくれるはずだよ」
「そうですか。では……」
そうだ。どうして私が必要になるのかも問わねばならない。
二人は水路でもしかしたらなんて言っていたから確信はないようだし、もしそれが違っていたら王は私への関心を失くして事態の説明もないまま城を追い出すのかもしれない。
こちらが問わずとも王の方から真っ先に聞いてくるだろうが、的確に答える知識なんてないからどうしたものか……。
「えっと、お二人はどうしてお二人なのですか?……あっ」
頭の整理がつかないのに、私の質問を待つ空気に耐えかねて思いつきの文章を並べてしまった。
意味が分からなくて当然のはずなのに、何故か双方は意図を理解してくれた。
「兆しを追う命を受けたのが私とクロデイだったのは何故か、ということでしょうか?」
「そ、そうです。すみません……」
「俺と旦那は同じ感覚を持つ者同士って言ったっしょ?他の該当者もこの城内にいるけど、さっきみたいに城を離れて動ける奴といえば俺らだけだったからさ」
私に目を配りながらユオレンはその説明に頷いている。まだ疑い半分のクロデイだが、嘘は言っていないらしい。
「その感覚って?」
「俺たちの共通点と言えば異能者であることかな。生まれた時から他の連中にはない特別な力を持ってるんだよ。何というか、生まれるよりも前から微かに記憶が……いや、記録と言うべきかな。そういうもんが確かにある。
これは異能者同士でのみ共感できる感覚なんだけど、俺たちには生まれる前から得体の知れないカードを引かされた記録があるんだ。俺は髑髏の騎士のカード。旦那は平等な神のカードだっけ?
そいつのせいで俺たちの異能と性分があらかじめ決められちまったような……そういう共通項があるのさ」
ユオレンが頷いている。非現実的な話だが、彼が同意するだけで本当なのだと思えてくる。
「異能は魔法とは違うの?」
「違うね。俺らはティフェレット出身だから他国と違って魔力は備わっていても魔法は使えない。そも、見たことがない。確証はないけど、異能と魔法は明らかに違うものだと思ってる。
魔法とはいえ他国も、うちでさえも、その存在は常識として認知されてるでしょ?けど、異能は非常識で世間にも知られていない。何たって4属性に当てはまらないし、異能者は今のところ6人しか確認されてないからね」
「6人って分かるの?」
「分かる。そのうち5人は国内にいるよ。秘密裡にね。というか、全員この城内にいるんだけど。
王の書曰く、異能者の存在は過去の歴史でも確認されていたらしい。うちに限らず他の二国にも異能者は存在して、同じようにカードを引いた記録があるんじゃねえかな」
「はぁー……」
便利なんだなぁ、その古い本。
それを手中に収める国王と、当事者の二人の間には知識量に差があるというのはこうして話を聞いているだけでも分かる。それでも、当事者の彼らには早いうちに教えても良いと判断した頁もあるわけだ。
ところで……国内に5人ということは、残る1人はもしかして?
兆しとカードと私自身について。
最低限、聞いておくべき事柄はその程度だと思っていたので、ここに来て異能なる未知の要素が加わってくるものだから頭痛が増す。
片頭痛とは違う。私も勉強は好きな方だが、これはあまりにも専門外の分野のため、これ以上の思考は苦しいと、脳から警告を受けている気分だ。
それでも彼らと私。『感覚』と言われる形容できない疑問点。もしやと思い、的外れをクロデイに笑われるのも覚悟して二人に問うてみた。
王の間は目前。これが最後の質問になる。
「あの、お二人とは違うかもしれませんが私にも今朝から違和感があるのです。何だか自分が自分じゃないような。ほら、この眼の色なんて、これは私のものじゃないし……あと、二人に会った時になんだか……」
二人とも真剣に私の疑問へ耳を傾けてくれている。眼の色を見てほしいと立ち止まり、それぞれに瞳を覗かせた。
我ながら積極的になったものだ。今日の体験だけでここまで成長できるものなのか。
それとも、目を覚ました今朝よりもずっと前から……異能者という二人とは少し違うが、自分も彼らのようにあらかじめこうなることが決まっていたのか……。
「ユオレン!」
王の間に通じる扉は他の倍以上の大きさを誇っていた。
王城で最も要となる空間を開閉する役割があるのだから当然だが、それにしてはここに配置されている隊員が一人だけというのは妙だ。
私の斜め右前を歩く彼の名を呼んだ者こそがその一人なのだが、これまでにすれ違った隊員たちと比べて何だか雰囲気が緩い。怠そうに肩を揉みながら大扉を無防備にしてこちらへ近づいてくるほどだった。
「王は?」
「ここにはいない。こんな時間だからな。その娘は?」
「王の命があるので今は言えません。明日には分かるはずでしょう。それで、王はどちらへ?」
「ダイニングルームで待つと。俺はその伝言のためだけにここで待たされたわけだ」
「ファスターと共に過剰に暴れ回った罰ではないのですか。軽いものだ」
「いいだろ、別に。向こうはテロリストだったんだ。容赦する必要はなかった。それに、そこの暗殺部隊のエースよりはマシさ」
穏やかな表情で話すユオレンが珍しくて注目していたが、同僚の方は両手を首裏に回して再び我関せず状態に入ったクロデイを一瞥して急に悪態をついてきた。
クロデイと暗殺部隊について熟知している者からすれば当然の反応なのだろうか。この意地悪が部隊で優れた存在だということにも驚くが、まだ短い付き合いであっても恩人が悪く言われるのは少し嫌だった。
城の最奥に君臨する玉座にまみえることもなく、私たちは王が待つというダイニングルームとやらに移動した。玉座を見たかった好奇心と、食堂ではなくダイニングルームと呼ぶのかという国内カルチャーショックに先程の頭痛は忘れ去られた。
要するに、かなり浮かれているのだ。
ティフェレット国の精鋭。しかも絶世の美青年と、実は顔が良かったアサシン。
二人の男子を侍らせて高貴な空間を練り歩く。
安い服装を纏った町娘のくせに本来の身分を忘れて愉悦に浸っていると、すぐに食ど……ダイニングルームに到着してしまった。
「王よ。ユオレン、クロデイ、共に」
ユオレンがそう言って扉をノックした。すると、それに応じる小さな反応があった。私も知っているティフェレット国王の渋い声だった。
「入れ」
「失礼いたします」
ユオレンが私の表情を窺ったので、覚悟はできていると、強く頷いた。彼はそれを確認してから扉を開いた。その先には……。
「来たか。やはり今日であったな」
これまで通過した城の廊下はどこも松明の灯りを頼りにした暗い夜の路だった。
しかし、王が待つこのダイニングルームなる場所だけは違った。
天井には大袈裟なくらいの照明が眩しく空間全体を照らしており、真っ白なクロスの敷かれた縦長のテーブルや、それに合わせて並べられた数十の椅子には大きな影ができていた。
この空間を牛耳る主人。背後には執事が控えている。
主人の方は中年で、執事の方は高年に入ったばかりかもしれないが、どちらもこの絢爛な場に相応しい貫禄があり、同時に年齢より若い壮健さが備わっているように思えてならない。
バスローブの上から王用のマントを肩に掛ける斬新なコーディネートで長テーブルの上座に君臨するかの者こそ……このティフェレット国の絶対的指導者であり、曲者揃いの近衛・暗殺部隊を自在に機能させて国の安寧を維持する平和の王。
私は遠くから数度だけ見たことがある程度だし、何分リラックスモードのようだから誤解されても仕方ないはずだが……相貌がはっきり覗えるように整えた髪型と、よく似合っている顎と人中の髭。
紛れもなくティフェレット国の唯一王、その人だった。
「このような時間に申し訳ありません。こちらのお嬢様が、おそらく」
正しく王に差し出す供物のようにユオレンが私を扱うものだから反応に困る。クロデイがニヤニヤし始めている。
「その娘はアンヌとかいう娘であろう?今朝の空き巣被害の。物の方はどうなのだ?」
王は私のことをご存じだったようだ。空き巣は王にも伝わっており、賊を全て捕えるよう隊員たちに指示したのもきっと彼なのだろう。
近くで見ると厳格な顔立ちのため、本来なら畏怖すべきところなのかもしれないが、これまでの巧みな采配の数々を知っているから怖ろしい人と捉えるのは難しい。
私のような貧乏人の被害者に金を出すなんて、何のメリットもない無駄な損失だと判断する王だって歴史には存在していたはず。だから、彼のような王のいる時代で良かったという率直な感謝の念がその威圧感を受け付けないのだ。
不安があるとすれば、裏ではやっぱりとても怖い人で、この後の問答や確認の結果次第では二度と家に帰れなくなる可能性もゼロとは断言できないことくらいか……。
「怖い話だなぁ、向こうさんにとって」
「クロデイ、私は眠い。そっちの話はもう終わったことだからどうでもいいだろう。それで、ユオレン」
「はい。人とはこのお嬢様で、物とは……」
ユオレンが私を窺う。先程とは違い王の前だからか、距離を感じる冷たい眼差しだった。それでも意図は伝わったので、私は黙して懐のカードを出した。
「よい。三人とも私の近くに座れ。アンヌ、それを近くで見せてはくれぬか?」
「は、はい。失礼します」
促されるまま、私たちは王の上座に近い席へ並んで座った。
これまでは二人が私を囲って歩いてきたので、上座から見て私、ユオレン、クロデイという順になったのは初めてだった。
私が着席したタイミングで王の背後で待機していた執事が動いた。
彼の隣に置かれたサービスワゴンからティーボトルと、それと同じデザインのカップを運び出して私たちに紅茶を提供してくれた。
「ありがとうございます」
例を言ったが言葉は返ってこなかった。代わりに邪さのない老成特有の包み込む笑顔を返してくれた。果物屋のお婆さんと年が近いだろうか。彼女と似た温かさがあるように感じて心が安らいだ。
――不意に、デジャブを感じた。
「それで」
「はい……」
慌ててカードを王の手の届く位置に置いた。
デザインも何もないため並べる必要はないと判断して積んだまま置いたのだが、カードを渡す際のマナーとかって何かあっただろうか。
「触っても?」
「はい。何もないと思いますが……」
王が手を伸ばしてカードを掴んだ。一枚一枚を細かく吟味しているが、所詮は白紙のカード×22枚。何の価値も気付きもないはずだが……。
王は本当に丁寧かつ執拗にカードを確認している。照明にかざしたり、紅茶の入ったカップの上でヒラヒラさせたり……ちょっと奇行に走っているような気がして寒気がしたが、ユオレンはその様子を黙して見届けているし、クロデイは懐から煙草を取り出して執事に怒られていた。
「あのう、それで――」
「ウム。何もないように見える。少なくとも今はな」
沈黙に耐えられなくなって声を出したところで王の言葉が重なった。
……ペースが合わない。相性が悪いとかそういう話ではなく、単純に私は私が生きる国の王のことをよく知らないのだ。
彼と旧知の仲であろう他の三人はペースを乱されたような素振りなどしていないから、私だけが重たい空気に吞まれてしまっている。
そういえば、この空間で私だけが完全な部外者なのだと、余計なことに気付いてしまった……。
「閃光が落ちる様は私もダラダラと晩酌をしながら見ていた。その時が来たのだと確信した。無論、その前の揺れもこの……『賢者』が遺した予言書の通りだった」
「それが例の?」
王は誰も座っていない傍の席。つまり、私の向かいの席に隠していた書物をテーブルに置いた。
そこに置いていたということは、私に正体を見せない展開もあったということだろう。それを紹介するということは、諸々について教えてくれると思っていいのだろうか。
「二人から聞いているか?これは300年も前に4つの国を繋いだ『賢者』とやらが各国の重要人物の書庫に置いていった遺物だ。このティフェレット国の場合は私たち王族の書庫であり、つまりはお前たちの手の届かぬ深淵だな」
「あの……4つですか?3つではなく?」
「何だ教養を脳に入れてないのか。国は全部で4つだ。まあ、その4つ目はこのティフェレット国や他二国と比べて機能していないらしいがな。何の生命もない虚無の荒野だったと記されている。このくらいの情報は一般にも公開されてきたはずだが」
「いえ、3つか4つかで意見が分かれるところですから……ごめんなさい」
「謝ることはない。私も確かめたことなどないからな。その4つ目……『賢者』はケテル国と名付けたようだが、そも、他二国すら見たことがないのだからな。
私もお前も同じだ。違うのは情報の差であり、見識に差異はない。現段階ではな」
詫びる私を王は鮮やかに庇ってみせた。
教養がないのは恥かもしれないが、持つ知識を証明する術がない以上は同じだと、他でもないこの国の王がそう言ってくれるのなら別に落ち込む必要はないように思えてくる。
人の上に立ちながらも民と同じ目線を持っている。彼こそ秩序の国の指導者に相応しいと、その尊大さに僅かばかり触れた。
しかし、カードを調べる際と同様に何やら含みのある言い残しが窺えるのだが、それは……?
「ユオレン、クロデイ。お前たちはどうなのだ。この娘について何か気になる部分はあったのか?」
王の問いを受けて、二人が目線を交えた。
これまでの短い時間の中で、私が何か特別な一面を見せるような出来事はなかったはず。それだけに芳しくない返答がされるのは明らかだった。
「光線の落下地点である民間居住区の水路に駆けつけた頃、お嬢様は件のテロリストと対峙している最中でした。間一髪で事なきを得ると、彼らが隠していたそのカードの持ち主だと主張されたのです。
我々が知るのはそれくらいで、これは埒が明かないと判断して王との邂逅を提案しました」
ユオレンが出会いから今に至るまでの経緯を簡潔に説明してくれる。その隣でクロデイがうんうんと、頷いていた。
まとめてみるとシンプルなものだ。全てはこの国の方針を決める地位にあり、誰よりも知識を持つティフェレット国王に導いてもらう他ないということ。二人も、私も。
「アンヌ。お前はあの閃光が奪われた自分のカードに目掛けて落ちてきたと分かっていたのか?」
「いえ、それは分かりませんでした。あのテロリストたちがカードを盗んだ人たちだというのは空き巣の際に顔を覚えたので分かりましたが、クロデイ……様がカードを見つけてくれてようやく知ったのです」
そういえば、命を救ってくれたことと、カードを見つけてくれたことへの礼を言っていなかった。
座ったまま上半身だけを傾けてクロデイを覗くと、我ながら良い仕事をしたと言わんばかりのドヤ顔を誇っていた。
私たち三人の関係が今日限りのものだというなら、尚のこと感謝を伝えねばならない。そしてそれは、出来るなら三人でいる時が望ましい。
威厳のある顔立ちとは逆に話がしやすい国王と、定位置に戻る老成の執事。どちらも苦手なタイプではないのだが、私にはこの青年たちと共有した僅かな時間が大切なものになっていたのだ。
「そうか。では何故お前は水路にいたのかを聞こう。そこに復讐の対象が潜んでいると知っていたのか?」
「いえ、全く知りませんでした」
「そも、奴等への復讐は企んでいたか?」
「いえ……憎いとは思いましたけど、色々と疲れて眠ってしまう程度でした」
「お前は夜勤ではないだろう。せめて夕食後までは起きておけ。それではつまり、揺れの後にあの光を追ったのだな?」
「はい。そうです」
「何故追う?非常事態であれば隊員の指示に従うか家に籠れとうるさく言われているはずだが」
「それは、そうですが……」
あらためて問い詰められるとこれまでの無謀ぶりを思い出して羞恥心に駆られる。力のない娘が一時の勢いに身を任せた結果、国王を困らせることになってしまったのだ。
あの閃光が落ちた時の私は……。
理由なんてない。ただの好奇心だったはずだ。咄嗟に走り出した私を止めようとする果物屋のお婆さんの願いにも応えず、ひたすら走っていた。気付いたらそうしていたのだ。
だから、何故と問われても納得してもらえるような回答はできない。だって、あの時の私が考えていたことは確か……。
「私には今朝から違和感があるのです」
「……うん?」
長い沈黙の分だけ彼らを失望させてしまっただろうか。しかも、その果てに出た発言が見当違いのこれだ。
国王とその幹部たちの貴重な時間を無駄にしたことが直接的な罪になることはないだろうが、何よりも彼らの期待を裏切った私自身を悔いて一生の罰を勝手に負う恐れがある。
それでも、この疑問を。
私の人生が変化の兆しを起こしている。その開闢を、一早く彼らに知ってほしかったのだ。
「私の目の色です。昨日まではよく見るブラウンカラーだったのに、黄金のような色に変わっていたのです。今朝、入浴施設の鏡に自分の姿を映した際に気付きました。
そして、それと同じくらいのタイミングで自分の体が……まるで自分のものではないような感覚に陥ったのです」
「感覚……」
隣で傾聴してくれているユオレンが小さく呟いた。彼を一瞥し、うんと頷いてから話を続けた。
「見た目はそのままです。成長期の実感でもないはず。ただ、形はそのままなのによく動く。
閃光が落ちた頃、私は大通りの果物屋さんにいました。あそこから例の水路までは距離があります。
普段の私なら考えもしません。自分でも信じられないことに、一度も休まず水路まで走り続けることが出来たのです」
「で、あいつらを見つける。カードを隠す片方は、光線に背中を焼かれて動けなくなる。しかし、カードには一切のダメージがなかった、と」
クロデイが上手く合の手を入れてくれた。味方をしてくれたのが意外だったが、同じように一瞥と頷きをした。
……王の背後に控える執事が、果物屋のお婆さんに僅かな反応を示していた。
「私は動けるもう一人と対峙しました。あり得ないことです。私は戦いとは無縁の生活を送ってきたのに、相手を躱した後で隙を突いて攻撃することもできました。
……もっとも、私の威勢はそこまで。すぐに追い詰められてユオレン様に助けてもらいました」
「アンヌが戦う様子を見ていた者はいるか?」
「俺ッスね」
「見てるなら助けろ……と言うべきところだが、お前の目にはどう映っていた?」
クロデイの傍観は許されてしまったようだ……。しかし、彼の判断にも意味があると王は考えたらしい。
クロデイは私の顔色を確認すると、ニヤリと邪な笑みを浮かべてからその内に秘めた思想を発信した。それは、私もまだよく知らない彼の、私に対する寸評に他ならない。
「お嬢自身が言う通り、戦闘経験がないのは明らかですね。あのデカい奴から逃れたのも偶然でしょう。あいつめちゃくちゃ鈍かったし。いやー、運が良かったとしか」
……って、さっきと言っていることが違う!私には素質があるとか何とかって勝手に認めていたくせに!王の前では都合よく意見を変えてしまうタイプだったか、この意地悪!
あと、あの大男は全然鈍くなかった。屋根から屋根へと軽快に飛び跳ねる敏捷性を確かに目撃したのだから。
話が違うと、殺気混じりの目線をぶつけたいところだが、間に座るユオレンに余計な負担を与えてしまうようにも思えて我慢せざるを得なかった。しかし……。
「……素人目にはそう映るでしょうな。けど、俺にはお嬢がとてつもない逸材に思えてならない。それこそこちらの旦那のように。あるいは、それ以上かも」
自分を引き合いに出されたユオレンだが、その挑発には微塵も応じなかった。
二人の付き合いがどれだけ長いかは知らないが、このようにクロデイから煽られることには慣れているのだろう。クロデイの方も無視されたのを一切気にすることなく話を続けた。
「逸材とはどのような?」
「うーん、とにかく落ち着いてるところですかね。まず、死体を見ても取り乱さなかったところ。その後の大男が狂う様にも動じなかった。
単に為す術がないからとか、俺たちに守ってもらえる安心があったからじゃない。別に俺たちが来なくても武器さえあれば何とかなったんじゃないスかね?」
「そんなことは!」
偏見ばかりのメチャクチャな評価だったため思わず声を上げてしまった。そんな私を誰も御さない。クロデイは構いもしない。
「だから俺はお嬢にナイフを渡した。それがあればやれるはずだから。結局こっちが盛り上がってる間に大男は事切れたわけだけど。
まあ、死を見る覚悟があると分かっても、殺す覚悟の方が確認できなかったのは残念ッスね」
水路にいた頃にも感じたことだ。彼とは生命の価値観が違う。私が逸材だという評価は正直嬉しいが、とにかく彼の話は物騒な方向に進みがちで気が抜けない。
変化し始めた町娘と、暗殺部隊のエース。
ここに来るまでの道程は彼のおかげで退屈しなかったが、やはりお互いの深部にはズレがあるように感じてならない。少なくとも、戦い方や命の重みについてはどちらかが譲らない限り必ず揉める羽目になることだろう。
そのような……長い付き合いになることを前提に思い悩むのは何故なのか。
「ふん、つまりは術も経験もなしに死線を一つ越えてしまったわけだ。たかが町娘が。いや、あるいはやはり……。それで、今朝からの違和感とやらも、その眼の意味も、結局は何も分からんというわけか」
そう。所詮はどこまで行っても違和感は違和感のまま。答えを知る者がここにいない以上、それが昇華されることはない。結論の出ない考察に時間を浪費するだけであり、答えを求める私たちにとってはただ靄が増すばかりなのだ。
「それで、その違和感と閃光を追った理由はどう結びつける?いや、曖昧なもの故に結ぶも何もないのか?」
「そう、ですね……。ただ、あれが違和感の解消に繋がる気がしただけかもしれません。その、これまでの私の人生には起こり得なかったことが今朝からたくさんあったので……もしかしたらと……」
「月より輝く閃光が、星のように落ちてくる。あのようなことは歴史上の記録にもないことだ。甚大な被害が出るかと思い少し慌てたぞ。
あれが予言書に記された兆しとやらであるならば、このカードを持つお前こそが救世主に違いないはずだが……しかし、確証がない」
「救世主?」
聞き慣れないワードが新しく出てきたのでつい反応してしまった。
しかも、私こそがそれに該当するかもしれないということなので問い質しておくべきところだが、あらためてテーブル上のカードに触れた王によりそれは阻まれた。
「ここに来るまでのことは大体分かったが、他には何かないか?」
「他は……えっと……」
「ユオレンとクロデイが異能者だというのは聞いているか?この国には確認した限りでそれが6人存在しているということも」
「はい。それは一応」
「実はこいつもそうなのだ」
王は自らの背後に控える執事を親指で指し示した。執事の方は驚く私の様子に再び温かい微笑みを送ってくれた。
「そうなのですか。6人のうち3人がこの部屋に……」
「驚くことはない。そういう特別な人間ほど役者の素質があるものだろうからな。私の周りに集まるのは必然と言えよう。あと2人も呼べば来る場所にいる」
「なるほど。それでは残る1人は……」
「その問いは少し待て。先に私から質問させろ」
王に圧されて譲ってしまう。本来は国王と民間人。こちらが道を譲って当然なのだが、話をよく聞いてくれる相手なのでそこまで身分に囚われる必要はないのかなと、不遜にも侮ってしまう。
「どうだ?こいつらは」
「どうって……?」
「何かないのか、何か。それ次第でお前も、私も、こいつらも、今後のスケジュールが大きく変わってくるというのに」
私の口からその『何か』が出てくるのを待っている王は急に機嫌が悪くなってしまったご様子だ。王の方もそれを把握しているわけではないようで、私も当然どう答えれば良いのか分からない。
つまり『賢者』の予言書にはそのヒントのみが記されていたということだ。
兆しについてもあのような閃光だとは知らなかったようだし、王自らが言っていたように情報に差はあれど見識は皆平等。各国を渡る術を持たない私たちが全てを知ることは叶わない。
300年も前に世界を繋いだ『賢者』も、その予言書に答えまで載せることはしなかった。
あえてそうしたのか、それとも曖昧な予想しかできなかったのか。今を生きる私たちを惑わす謎の数々はきっと……『賢者』でさえ解明できなかった問題なのかもしれない。
――だから、私から言えることは1つだけ。
私より賢い人たちですら分からない謎なのだから、それに対する私の体感(経験)なんて……不明瞭な感覚のまま伝えるしかないじゃないか!
「……デジャブを感じました」
「未知の出来事を過去に体験したことがあるように錯覚するやつか。それが?」
「えと、他の人が相手では感じませんし、私はむしろこれまでそんな感覚に陥ったことはありません」
「……つまり、お前がデジャブを感じる相手は……」
「はい。異能者とされる三人に初めて会った時に限りま――」
「多分ビンゴだあああああああああああああああああああ!」
「ぎゃー!」
初めて会った時に限りますと、そう言い切る前に王がいきなりエキサイトされたので思わず座ったままの体勢で飛び跳ねた。
太ももをテーブルの角に強打して痛い。王なんて椅子を吹き飛ばして立ち上がっているくらいだ。
何事かと状況が飲み込めずに皆の顔色を窺ったが、三人とも王の興奮を理解できていない様子だった。
「おおおお、落ち着いてください!」
「どこを見ているのだ。かなり落ち着いているだろう」
え、ずるい……。
確かに発作は一度きりだったようだが、私の方が空気を読み間違えているように冷めた指摘をされて腑に落ちない。さすがクロデイの上司だなぁ。
「アンヌ、明日お前を戦場に連こ……共に戦場へ赴いてもらう」
「今、何か言いかけませんでしたか?」
「まだ確証も信頼も足りない故にテストをさせてもらうぞ。お前が予言書通りの救世主であり、そのお前が特別な感覚を受けたこいつらがその従者たちであるならば、早急にその力を引き出さなければなるまい」
「ちょっ、ちょっと何を仰って!」
いきなりの徴兵令に思わず私も立ち上がってしまった。
王の中では『何か』の合点がいったようだが、私にはまるで意味が分からない。戦場への連行もそうだが、誰か早くこの中年の暴走を止めてほしい。
執事は変わらずニコニコしていた。彼は王専属の奉仕役なのだろうか、いつも通りだと言わん余裕ぶり。クロデイなんて「そうこなくちゃ」とはっきり言った。
……この人たちじゃ駄目だ。残る私の頼りは……。
「王よ。戦場というのは例の?」
「ああ。捕まえたテロリスト共が新しい根城の場所を吐いた。明日、早朝から殲滅を目指す。近衛部隊の一員を偵察として先に向かわせているが、連中がその気ならお前たちも必要になるだろう」
「ならば、尚更お嬢様を同行させるのは危険かと。彼女が真に王の求める存在であるなら、わざわざ戦場に――」
ユオレンがハッと気付いて、口を噤んだ。
それが何故かは、これまでの王とクロデイの私に対する評価を振り返れば明らかなこと。
だから、私の身を案じて言い淀むユオレンではなく、私こそがそれをはっきり言葉にしなければならなかった。
「死の危険が高い環境でこそ私の真価が発揮されるかもしれないと?」
「然り」
王が不敵に笑った。厳かな顔立ちはそのままだが、彼の笑う顔は初めて見た気がした。
「ただし、お前は救世主でも何でもないただの若い国民というだけの可能性も残っているし、その黄金の瞳も新しい病気かもしれんし、体の変化も急激に成長しただけかもしれんし、クロデイの評価も適当かもしれん。
カードと兆しも、全てが繋がっているかまでは分からん」
私を置いて危ない方向に話が進む予感がしてならない。もう誰も王の采配を止めることはしないだろうが……不思議と私も嫌なら逃げればいいという弱気にはなっていない。
「戦場には必ず出向いてもらうが、敵を前にして果敢に挑むか、それとも臆して逃げ出すかはお前が決めていいものとする」
「いいのですか?」
形としては徴兵のはずなのに、個人の意思を優先していい自由さには気が緩んだ。急ぎ覚悟を決めなくてはいけないと思ったので大分ハードルが下がった。
僅かな油断や間の悪さによりあっさり命を散らすのが戦場という地獄に他ならないことを、この身はまだ知らないはずなのに随分と落ち着いていられるものだ。
「お前が真に救世主であるのなら、戦わざるを得なくなるはずだ。命の危機に瀕する状況まで陥れば、予言書の通り世界を救う力が目覚める見込みがある……と、私は読んでいる。城に残ってジュリアと稽古させるより遥かに効率的だろう」
「私に戦う意思があって、それでもその力が発現しなかったら無惨に死んでしまいますね」
「そうはさせぬ。覚醒すれば話は変わるが、それまではお前も戦士ではなく庇護の対象だ。無駄に命を散らすことは許さん。ユオレン、クロデイ」
二人が同時に起立した。これから与えられる王命を既に弁えているのか、双方とも私がまだ持ち得ないその覚悟を既に十分備えているように違いない。頼もしい限りだ。
「二人を貸す。共にそれぞれの部隊で最強格の戦士であり、機動力と判断力も兼ね揃えた戦場のプロフェッショナルだ。
お前が戦う意思を示せば傍で共に戦わせるし、お前が逃げたいと言うのなら無事に家まで帰らせると約束しよう。どっちに転がろうと、そいつらがいる限りお前が明日死ぬことは決してない」
二人を絶賛する王の言葉に嘘はない。
彼はやると宣言したことは全てやってきた偉大なる指導者である故、その口から私が死ぬことはないと言われれば、そうなのだろうと安心できてしまう。
そしてそれは、王だけでなく隣に並ぶ二人の強者にも同じことが言えた。彼らがいてくれるなら必ず何とかなると思えるのだ。
「お嬢様、王の決定です。従っていただけますね?」
「……そうですね。保険があるわけですし」
「気楽に構えなよ。賊共のリーダーは手練れだけど他は雑魚。俺らがいれば何とかなるさ」
拒否権は無い。少なくとも戦場へ赴くことは決まってしまったのだ。
普通、戦いと無縁の国民が徴兵令を受けた場合、いくら王に心酔していても慟哭の1つくらいするものだろうに、今の私はとても充実している。それは紛れもなく二人の存在のおかげだろう。
あるいはもう、私はそちら側の人間になってしまったのかもしれない……。
「良いな。お前が救世主だと証明されればこの予言書の内容も全て教えよう。お前自身はまだ分からないことばかりだろうが、一読した私から言わせれば大体は想定通りなのだ。
……時間がない故、早々に結論が欲しい。明日の戦果を期待している」
王は足早に部屋を出ようとする。その前に……。
「アンヌの服が必要だな」
「それでは彼女たちを呼びましょう」
「後は任せる。マジで救世主かも知れぬ故、オーダーは全て了承しろ」
「かしこまりました」
そのように執事とのやり取りを済ませて去っていった。あの、護衛とかは……。
「アンヌ様。よろしいでしょうか?」
「あ、はい」
彼の声をようやく耳にできた。老成の微笑みによく合う粛々とした声音だった。
「明日、貴女が戦地へ赴くための服装を城の侍女たちに繕わせたいのですが、お時間をいただけますかな?」
「はい。お、お願いよろしくいたしますわ……」
ユオレン以上の丁寧さと貫禄のある佇まいにこちらも上品に振る舞うべきかと惑ってしまう。向こうは手慣れたものだろうが、私にはまるで未知の世界であるため、歩いて移動するだけでもぎこちない挙動となった。
そんな私の無様を見ても一切乱れないバトラーが、優雅な所作で道案内を始めてくれる。私はカードを懐に仕舞ってから彼と共に食ど……ダイニングルームを後にした。
「早速か!護衛の仕事だよ旦那!」
「ここで待機なさい」
執事が扉を閉める間際、部屋に残った二人の温度差トークが聞こえた。
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