バッドエンド
主役の旅立ちを無事に果たすためだけに用意した装置。
役割を終えた白い扉は消滅し、彼の立つこの場所からは一切の光が無くなった。
天界との接続に利用された魔法陣は規格外の熱量に溶かされて元のデザインも分からないほどの消し炭となり、もう二度と転移の機能を成すことはない。本来、誰も踏み入ることができない『ケテル』と呼ばれる最後の国は、再び他国との繋がりを断たれたのだった。
「さて、まずは重畳。俺も後から向かうけど、一先ずは好きにやらせて問題ないだろう。あの二人がいることだし、何よりアンヌ自身が強いからね。序盤は早いテンポで局面が移り行くはず。だから……」
もう『愚者』も大圧潰もなくなった以上、誰もケテルの魔法陣が破壊されたことに気付かない。
生き残ったアルカナたちも肝心のカード使いが退去した以上は転移が不可能となり、下の『ダアート国』に限らず、他の三国すらも行き来できなくなってしまった。
「スガタ、ちょっと来てー」
天使がそう呟くと、その背後に新たな白い扉が出現した。それがまた独りでに開かれると、彼と同じく白い神父のような格好をした青年が不可侵の地に容易く足を踏み入れた。
「天界使士Ⅲ・スガタ、ここに」
登場したもう一体の天使はキヅナと比べて容姿も佇まいも大人だった。
長い白髪を後ろで一本に結び、眼鏡越しでも鋭く光るグリーンの眼差しは初対面であれば誰であれ委縮してしまうことだろう。
その青年に一切臆することもなくキヅナが語りかける。
「お疲れー。丁度いい頃合いだと思って呼んでみたけど、ちょっとだけいいかい?」
「断る。俺を呼ぶ時点で察しはついているが、これは我々の責務ではなく貴様の趣味の範疇だろう?俺は手を貸さんぞ」
「そんなー!じゃあ何で来てくれたのさ!ご明察の通り、俺よりスガタの方が早く片付けられる問題だからササッとやってもらおうと思ったのにー!」
「俺が来たのはお前を連れて帰るためだ。いつも言っているはずだが、断りもなく勝手に出掛けるな。勝手に人間界を弄るな。帰ったら皆からの叱責は免れないと知れ」
「えー!」
アンヌが天上の超越者と崇めたその男の子に対して容赦なく不満を突き付けられるスガタと呼ばれる青年は、このように警告を伝えるとすぐに扉へ戻り退場しようとする。
それでも、今からキヅナがやろうとしていることには関心を持たざるを得ないのか。直前で振り返って彼に問いかけた。
「……それで?」
「うん、やるよ。同じ世界が2つも存在するってのは、俺たちのような観測者にしか分からないことだからそれほど厄介でもないけど、彼女より先に俺から復讐の一発をかましてやろうかと思ってさ」
「復讐だと?随分と入れ込んだものだな。それほどまでに許せなかったのか?珍しい」
「些事だよ、些事。当のアンヌはただ嫌うだけで相手にもせずアゲインしたわけだけど、俺もここに残ってる人間に用はないからさ。誰も気付かないのなら尚更ね。ほら、復讐って総じて味気ないものだろう?」
「好きにするがいい。元よりお前の決断は誰にも止められるものじゃない」
「そうかな?少なくともスガタやザイファーに本気出されたら勝ち目ないけど」
「黙れ。きっと巡り合わせか、あるいは間が悪かったのだろう」
そう言い残して青年は白光の奥に消えた。この場にはまた彼だけが残った。
キヅナは消えゆく扉を一瞥して、体中を巡る魔力を外界に解き放った。
味気なく終焉の幕を開いてしまったのだ。よりにもよって、エピローグの後にそれはやって来た。
ゴ!ゴ!ゴ!ゴ!ゴ!ゴ!ゴ!……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
彼の他に生者がまだ残っていたならば、きっとこの轟音のみで脳が狂って絶命することだろう。黄金の空はそのままに、ケテルの大地だけが絶後のマグニチュードに震撼している。
「硬っ!面白い土だなぁ。こうやってやるわけだ、大圧潰とやらは」
全人類が怖れた世界崩壊の悪夢。最上のケテルから下の三国を潰していく運動こそ正に『愚者』が企てた大圧潰そのものである。
このような悪魔の所業を、この世の神でも住民でもなく、よりにもよって人類の祈りや縋りの象徴とされる天使その者が難なく完璧に表現し・決行してしまったのだ。
この世界は4つの国が縦に並んでおり、最上のこのケテル国から1つ下にダアート国。次にアンヌの故郷であり、旅のスタート地点でもあるティフェレット国。そして最下層にはイエソド国がある。
後でより詳しく説明されることだが、各国は縦に並んではいるものの、空を飛び続ければ上の国へ届くというわけではないし、地面を掘り続けても下の国には辿り着けない。
そのため、お互いの国へ直接干渉することは絶対に不可能。この国境は不可侵の平和維持ラインでもあるのだ。
唯一の移動手段である転移の魔法陣は『賢者』と呼ばれる世界最高の偉人が300年前に一国につき1つずつ作ったものであり、各国が丁重に管理してきたのだが、それを利用できるのはアンヌとアルカナたちのみである。
つまり、各国を渡り歩くというのは彼女たちにしか叶わない奇跡の旅路なのだ。
……そのような国境システムを無駄と嘲笑うように、ケテル国の荒野が天使の手によって、墜落してくる。三国を上から順に潰していき、そこに住まう者たちも文明も、跡形もなく潰しきるために。
まずはダアート国。魔法と獣の国。詳細は次の旅路で。
空からいきなり大地の裏面が降ってくると、誰もがパニックを起こして右へ左へ逃げ回る。魔法使いたちを中心に大圧潰に抗う者たちもいたが抵抗虚しく全滅。圧潰完了。
時間を稼ぐ程度であればこの大圧潰と拮抗できるアルカナの最高戦力がダアート国に存在しているのだが、残念なことに彼は既に死亡していた。
次にティフェレット国。始まりと戦士の国。詳細は次の旅路で。
この国はアンヌたちの出身国で魔法はないが腕に覚えのある手練れ揃い。特にティフェレット国直属の近衛部隊・暗殺部隊に所属するものの多くは精神的にも高潔であり、戦士としての尊厳を確立した真の猛者が集う。
しかし、決定的に力のスケールが違うため、彼らの武も誇りも容易く踏みにじられて全滅。圧潰完了。
最下層のイエソド国。生者と死者の国。詳細は次の旅路で。
他国と比べればどっちつかずで、魔法も武力も半端なもの。王女への忠誠がまるで神への信仰のようだと、他国から侮られている。
『賢者』の出身国でもあることから学者が最も多い国とされている。そんな彼らの叡智の結晶たる魔法兵器なども投入されたが、まるで意味を為さずに全滅。圧潰完了。
そうして三国を崩壊させた後、天使はすぐに自分の立つケテルの荒野に光の粒子を満遍なくばら撒いた。
地が溶け始めた。地に浸透した粒子の半分が浮上して空間そのものを蝕み始めた。この世界に残る僅かなカスさえも全て溶かそうというのだ。
そんな、悪魔どころか魔王に等しい恐怖の白い男の子はというと……。
「こっちはもうじき片付くよ。君もしっかり復讐を果たすことだ。それを為さない限り、君にハッピーエンドは訪れない。君が真に憎悪すべき対象は第三者には明白だよ。世界の存亡とか、カード使いの使命とか以前に、これは君自身の問題だからね」
終わりへ向かう世界にも、理不尽に命を奪われていく者たちの怨嗟にも関心を持たぬまま、キヅナはこの世のものではない黄金の空を見上げて彼女の行く末を案じていた。
そうして時間が過ぎていくと、彼の言う1周目のこの世界は粉微塵すら残さず、無数に存在するという人間界の一枠からも完全に抹消されたのだった。
この世界が確かに在ったことを覚えているのは天使たちと、デシャブという奇妙な形で思い出を引き継いだ2周目の彼女のみである。
これ以上、ここで語るべき事柄は何も無い。
終。
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