第119話 電池切れ

「せいりあ、こえは?」

「全部貝だよぉ……」

セイリアが情けない声を上げて適当な返事をし、しゃがみ込む私の裾を引っ張った。

「あ、あのさ……リュウ君、そろそろいいかな?! ほら、帰らないとお兄さんも心配するし?」

足元に目を凝らしていた私は、セイリアを見上げ、次いで周囲を見回した。

本当だ、日が暮れかかっている。

「それに、私が分かる範囲はもう大体網羅したんじゃない……? そんなにいっぺんに聞いたって覚えられないでしょ」

「りゅー、覚えらえる。こっちは?」

「そ、そう……」

セイリアが、ちっとも信用してない顔でため息を吐いた。


「どっちにしても、私にも些細な違いなんて分かんないもん。これとこれ、同じ貝でしょ? 何が違うの?! 形も色も同じじゃない?」

それは、形と色しか似ていないとも言える。

「別種なない? 殻のあちゅみも、足の形状もちやう。生息域がちやう」

「え? 同じだよ、海に住んでるじゃない。足って何?! 中身のこと?!」

中身……。思わぬ言葉に衝撃を受けた。

なんという、凄まじい抽象化能力……! 

そうか、この場合重要なのは危険か、そうでないか。食べられるか、そうでないか。

限られた脳のリソースと時間を、最大限有効活用するための知恵。

それはごく限られた経験から、重要な特徴を抽出する力。生存本能に基づいた、根本的な優先順位づけ。


「しゅばらしい、人間の能力……」

大量のデータを得てから、目的に応じて抽象化作業する私とは全く違う。少ない情報から本質を捉える、人間の、生き物の驚異的な能力。

深く、深く感銘を受けているうちに、セイリアは私を岩場から連れ出してしまった。

安定した足の裏が心地良い。知らず不自然に力の入っていた足は、随分疲れているよう。

ずしりと重い小さな肩掛けカバンは、いつの間にか色々な袋でパンパンに膨らんでいた。

「今日は、もうおしまい! あのお兄さんに怒られたら困るから。また遊ぼうね」

手を引かれて歩きながら、こくりと頷いて宝物の袋を引っ張り出した。


「せいりあ、どれがいい?」

「どれって?」

立ち止まったセイリアを幸いに、私は道の脇でしゃがみ込んで小袋を逆さまにした。

「わわ、そんなとこでぶちまけちゃダメよ。なくなっちゃうよ?」

バラバラ転がり出てきた宝物をかき集め、慌ててしゃがんだセイリアへどうぞと示してみせる。

「せいりあに、ひとちゅあげる」

「私に?」

驚いた顔をしたセイリアへ、しっかり頷いた。

「ふふっ! ありがとう。じゃあ……これ、二つあるから――」

ひとつと言ったのに、二つあった赤い石を両方つまみ上げ、セイリアが自分のポーチから何か取り出した。


「冒険には、紐とか布とか、ロープとか必須なんだよ? 色んなことに使うんだから」

そう言いながら、細いひもで石を縛っている。細い指が驚くほど複雑に動いて、紐を紐でないものにしていく。

「はい、できた」

私は目を見開いて、カバンへ結ばれたそれをまじまじと見つめた。

ただの小さな石が、ただの紐が、あっという間に立派な装飾品になっている。

「しゅごい……」

手の平の上で、ためつすがめつ転がして眺めるうち、セイリアが立ち上がった。

「ほら、これでお揃いだよ! 二人の冒険記念だね、ありがとう」

セイリアのポーチにも結ばれた赤い石が、夕日を吸ってきらりと光る。

ただの石が、本当の、本物の、宝物になった。


「あいやとう」

私も慌ててお礼を言って立ち上がり、自分のカバンに揺れる赤を見つめた。

お揃い……。

口角がによによ上がるのが分かる。

一刻も早く、見せたい。

そうだ、宝物も、ベリーも、おやつも。

見せるものがたくさんあるのだった。

「せいりあ、ばいばい!」

「あっ、大丈夫なの? ゆっくり歩いて帰らないと、転ぶよ!」

手を振って一目散に駆け出すと、後ろからそんな声が追いかけてきた。

だけど、早く、早く。

逸る気持ちのままに、私は長い坂道を駆けて行ったのだった。



汗がいっぱい出てきて、服が濡れている。

焼け付くような喉が、塩辛い気がする。

心臓がそろそろオーバーヒートするかもしれない。

セイリアの言う通り何度か転んでしまったけれど、ちょうどよくクッションが滑り込んだりして、大したことにはなっていない。カバンの宝物も無事だ。

やっと宿の前にたどり着いて、ふらりと身体が傾いだ。

こんなに走ったのは初めてかもしれない。

坂道は、走っているのにちっとも進まなくて大変だった。


弾む息をなだめながら、ぐいと汗を拭って宿の扉を押し開いた。

言うことを聞かなくなってきた足に腹を立てつつ、落ちないようにそろそろ階段を上って。

そう、この部屋だ。

「おいおい、走りすぎだろ……大丈夫か?」

飛び込んだ途端、扉のすぐ前にいたリトが、私を受け止めて抱き上げる。

一挙に身体から力が抜けた。

「たらいま」

「ああ、おかえり」

リトが大きく息を吐いて、少しだけ腕をきつくした。


「りと、あちゅい」

端正な顔に手を突っ張って引き離し、流れる汗をリトの胸元で拭った。

さあ、と口を開いたものの、言うべきことが出口で詰まって、渋滞を起こしている。

「すげえ汗だぞ。まず落ち着け、水を飲め」

そんなこと、後でいい。

「せいりあが、お揃いにした。赤い石、りゅーがみちゅけた石、宝物あげるって言ったから」

ようやく噴出した言葉は、まるでかき混ぜたボウルから取り出したみたいにめちゃくちゃで。

ああ、これは覚えがある。孤児院で、子どもたちはこんな風に話していた。

もどかしい、早く伝えたいのに。


「おう、良かったな。俺からも礼をしなきゃな」

「貝、いっぱいで、てぶくよしたら、岩は痛いないし、黄いよのが……」

私を抱えたまま、リトがグラスに水を注ぐ音が聞こえる。

かばんの中にはまだたくさんの宝物があって、ベリーもあって、ハンドサインと、歌と――。

これは、全部今日の出来事なんだろうか。

こんなにもたくさんのことがあったのに?

紐をたぐるように今日のことを思い出しながら、話そうとする口が動かなくなった。身体の自由がきかない。


「ほら、水――は? え? おい、リュウ? どうした?!」

どうもこうもない。

ゆさゆさ揺さぶられて、心地よくなっていた私は不愉快を寄せた眉で示した。

「ね、寝てんのか?! 今?! 嘘だろ……? 待て待て、どうすんだよ、汗が――」

どこか慌てたリトの声は随分遠く、はるか高い所で聞こえて、私はみるみる沈み込んでいくのを感じたのだった。


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