第118話 ワイルド?
どーん、どーんと側で砕ける波に気を取られながら手を引かれ、不安定な足場を慎重に歩く。
岩は掴むだけで痛かったので、ちゃんと手袋をした。草も、岩も、手袋さえすれば痛くないのだ。
だけどともすれば隙間に足が嵌まり、かと思えば突き出た貝に足を取られ――。
手を繋ぐ程度ではとても対処できなくて、結局両手でセイリアの身体を掴む羽目になっている。
興味深いものはたくさんあるのだろうけれど、今の私に見えるのは自分が踏むべき岩のみ。
ふいに立ち止まったセイリアが、足元を指さした。
「ほら、ここよーく見て? あ、リュウ君は危ないからおしり着いた方がいいよ」
「みじゅたまり?」
言われるままにぺたりと尻をつき、岩場にできたごく浅いくぼみを覗き込んだ。
「!! 何か、いる!」
水たまりに顔を近づけた途端、何かが素早く水中を移動していく。
「これ、海水なの。小さい海になってるのよ。ここなら絶対溺れないし、魔物も来ないし、安全……ま、まあたまに刺されたり噛まれたりはするんだけど! でも大体安全でしょ?!」
なるほど、これはタイドプールというやつか。
徐々に目が慣れてくれば、水中には岩以外のものがたくさん居るのが分かる。
ここにいる魚は、私を食べないだろうか。
「食べらえるおかさな?」
「うーん? 食べられるかもしれないけど、このちっこいのは捕まえられないよ? 食べ応えもないし。食べられるのは、これ」
ひょいと水中に手を伸ばしたセイリアが、白っぽい枯れ枝のようなものを摘み取った。
海の中に枝のように伸びているこれも、海藻なんだろうか。
「これが、海ラダ。売ってるのは大体加工したやつか乾燥だけど、このままでも美味しいよ」
私の小指ほどの濡れた白い枝が、ちょんと小さな手の平に載せられた。
「!! やわわかい」
片手の手袋を外してつまんでみると、枝だと思っていたそれはぬるりとぬめって冷たく、弾力があった。
口へ入れた途端の塩辛さは、海水そのものの味。
噛みしめると、ほんのり海鮮と似た磯の香りと、こりこり不思議な歯ごたえがある。
これは、歯触りが美味しい食べ物だ。
「海らな、おいしい」
「う、うん。リュウ君ってさ、余所から来たばっかりよね? 結構ワイルドなのね」
かわいいと言われることはあれど、ワイルドと言われたのは初めてだ。
小首を傾げると、セイリアが笑った。
「こういうの、慣れてないと口へ入れられないもんなのよ。見た目も、感触もちょっとアレでしょ? 海慣れしてない人は、生で食べるのも抵抗あるみたいだし」
そうなのか。美味しいなら、生でも黒焦げでも構わないと思うけれど。
けれどさすがに、ペンタを生で食べるのは抵抗があったなと思い返し、そういうことかと頷いた。
「何にせよ、これでリュウ君も海仲間だね! これが平気で食べられるなら、もう十分馴染んでるよ」
自らも海ラダを噛みしめ、セイリアが私の頭を撫でた。
海仲間……!
「りゅー、平気で食べらえる!」
つい勢い込んで頷いて、セイリアを驚かせてしまった。
これが、『同じ釜の飯を食う』ということかもしれない。
孤児院でも同じように食べていたはずだけれど、きっとあれは効果が薄かったのだ。海ラダは、とても効果が高い食べ物なのだ。
ついに私も、人に馴染むことができたらしい。
「海らな、もっと食べる」
「あっ、気をつけてね? 手袋はちゃんとして、海ラダ以外は触らないように! ちなみにこっちも食べられるんだよ! 調理が必要だけど」
セイリアは、水際に貼り付いたドロドロしたものを一生懸命剥がしたり、小さい貝を集めたりしている。
調理が必要なものなら、今はいらない。ラザクが戻ってからにしよう。
慎重に手を伸ばして海ラダに触れると、それは水中でふよっと揺れた。
とても柔らかそうなのに、噛むと歯ごたえがあるのが不思議だ。
そして、ぷちりと小気味よくもいでしまえる。
こんなにたくさんは食べないけれど、リトも食べるだろう。それに、セイリアはたくさん持っていって宿の人に渡せば、代わりに加工してくれると言っていた。
夢中で収穫している中、視界の端に派手な色がちらつき始めて顔を上げた。
こんな海藻、あったろうか?
見た目は海ラダと似ているけれど、割と派手な黄色をして、枯れ枝というよりシダ状になっている。
そして、ただゆらゆらする海ラダと違って、徐々に近付いてきているような気がする。
海藻だもの、根っこがなくてもおかしくはないだろう。
じっと見つめていると、水中で目立つ黄色い枝のかたまりは、まるで意思を持つように私の手へ枝を伸ばした。
これも、海ラダのように食べられるのだろうか。
考えるうちに、みるみる革手袋に絡み、貼り付いた。
「せいりあ、黄いよの海らな、食べらえる?」
彼女を探して振り返った時、くい、と手が引かれた。水中にある方の手が。
「……? りゅー、ちゅいて行かない」
視線を戻すと、どうやら黄色い海ラダが一生懸命私を引っ張っているらしい。
だけど、そもそもこんな小さなタイドプールに私は入れない。
「手々、はなちて。りゅー、行かない」
ぐっと引いてみたけれど、黄色の海ラダも岩へ枝を貼り付かせて頑張っている。
どうしても、私を連れて行きたいらしい。
「リュウ君、何て言ったの? 海ラダなら食べられるけど――きゃああ?!」
やって来たセイリアが、収穫した袋を放り出して悲鳴を上げた。
「ごめんっ! ジェラシダがいたなんて! 痛いよね、ごめん、痛いけど引っ張るよ?!」
「りゅー、痛いない」
「へっ?」
泣きそうになっていたセイリアが、一瞬キョトンとして、慌てて私を引っ張った。
ブツブツ、と枝の引きちぎれる手応えと共に引っ張る力が消え、黄色い海ラダが私の手にくっついて水中から飛び出してくる。
「これ、食べらえない?」
水中から出たそれは、鮮やかさを失ってしんなりしている。しているけれど、元気だ。
慌てたように私の手を離し、べちゃりと岩場へ落ちて逃げようとしている。ものすごく能動的な海藻だ。
水場へ逃げ込もうとするかたまりをむんずと掴むと、セイリアがまた悲鳴をあげた。
「あーーっ?! ちょ、ちょっと?! リュウ君?! それ、刺すでしょ、痛いでしょ?!」
「りゅー、痛いない。てぶくよしてる」
「そこな小娘よ、案ずるでない。弟子の手袋は、過保護な保護者がやたらめったら上物を買っておる」
ファエルが呆れたようにポケットから顔を出した。
そうなのか。そう言えばブーツも良い物だとラザクが言っていた。
「えーっ、そんな上等な手袋、海水に浸けちゃっていいの?! ひとまず良かったけど!」
セイリアは私の手袋を脱がせ、念入りに小さな手指を広げて眺め、ようやく納得したらしい。
ちなみに、黄色い海ラダは、セイリアがナイフで一刺しした。食べられないけど、危ないから見つけたら仕留めておくのだとか。
「ジェラシダは海藻じゃなくて、虫みたいなものかな。刺されたら痛いし、結構力があるから小さい子には危ないのよ。派手だから、居たら分かると思って油断しちゃった。リュウ君、知らないもんね」
「りゅー、今覚えた」
痛いというだけで、見つけ次第始末されてしまう虫が少し気の毒なように思いつつ、『知らない』ことが由々しき事態だと気がついた。
「りゅー、あむないの覚える。せいりあ、教えて」
反省しつつ見上げると、セイリアも苦笑した。
「確かに先に教えておけば良かった~。ジェラシダならリュウ君でもすぐに分かるもんね」
「りゅー、覚えやえる。他のも全部教えて」
「うーん、そうは言っても……いっぱい居るんだよね」
それなら、明日は本を読みに行こうか。リトがいるから大丈夫だと思っていたけれど、こうして私が一人で活動することも増えるのなら、まずは情報を収集すべきだった。
「じゃあ、こえは? 痛い? 食べらえる?」
ひとまず実地学習すべしと判断した私は、まず足元の海藻を指さしたのだった。
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