第111話 町の把握
伸ばしたリトの手が、ぐっと上まで挙がって私の視線は天井を向いた。
大きな身体で大きな伸びをして、リトは皿に残っていたパンを口へ放り込む。
「どうだ? 町は把握できたか? これで町の主要な部分は網羅したつもりだけどな」
私は妙に塩っぽいパンをかじりながら、少し首を傾げた。
「北、行かない?」
確か、南側から東にかけてが海に面して、西から北側は陸地。西門は出入りしているけれど、北側には足を運んでいない気がする。
「そっちは店もまばらだからなあ。畑や冒険者用の安宿があるくらいだろ」
そうなのか。災害は海側に多いだろうに、やはり、利便性を求めて港の方に人が集まりがちだそう。
ここ数日はもっぱら馬車に乗って、少し宿から離れた場所まで足を伸ばしていた。
こうして見ると、リトは中々高級宿を押さえているのではないだろうか。
海までそれなりに歩くとはいえ徒歩圏内で、高台で、もっとも賑わいのある市街地に近い。そして、ご飯も美味しい。
私は半分ほど囓ったパンを、リトに差し出した。
「いやない」
「なんでだよ、別にマズかねえだろ」
マズくはないけれど、塩が強すぎる。口の中が海で遊んだ後みたいだ。
受け取ったリトが、傍らにあった小瓶を開け、何かを載せた。
途端に漂った爽やかな芳香は、柑橘だろうか。
思わず袖を引っ張ったせいで、かぶりつこうとしたリトの口が空ぶった。
「……おい」
自分の方へ引き寄せ、確信した。きらきら琥珀色のこれは……!
「うわ、ジャムだけ舐めんじゃねえわ! 気持ち悪ぃ!」
一体何が気持ち悪いのか。そして、どうして先にジャムの存在を教えてくれなかったのか。
「ジャム、いる! りゅー、ジャムたべる!」
ジャム載せパンを高々と掲げられ、まさに釣り上げられる魚のごとく両手を伸ばした。
「渡してやるから、待て!」
大人しく腰掛けると、リトはブツブツ言いながらパンにジャムをなすりつけた。そんな風にしなくていい。どんと載せてくれればいい。
「ジャムだけ剥がして食うな! パンと一緒に食え」
きれいに白いパン生地を露わにしてジャムの追加を要求すると、受け取ったリトはパンを割って中にジャムを塗ってしまった。
ジャムだけで、美味しいのに。
でも、これはこれで美味しい。
「我も、ジャムの追加を所望する! ふむ、塩パンは塩パンでオツとは言え、この甘味と塩味の共演こそ正義……!」
既に食べ終えたファエルが、私のパンを勝手にむしって差し出した。
面倒くさそうに載せられたジャムは、小さな破片に乗り切らずにこぼれ落ちそう。
「おほ、おほほほ、苦しゅうない」
ほくほく顔で大口を開けたファエルより、私の方がわずかに早かった。
「ぎゃーーーー!! 保護者ぁーー!!!」
「うるせえ! リュウ、汚え! ぺっ、しろ! ぺっ!!」
リトが慌ててファエルの口を塞ぎ、片手で私を引き剥がした。
「そんなもん口に入れんな! 汚いだろ? お前は自分のパンがあるんだからな」
確かに、ファエルの手は美味しくなかった。
「汚いはファエルのセリフですけどぉー?! 欠けてない? 我の愛らしき指……ああ、よだれと咀嚼物まみれに……」
ファエルはしくしく泣いているけれど、元はと言えば私のパンだ。私が食べても問題ない。
「落ち着いて飯も食えねえ……」
立ち上がったリトが私を抱き上げ、そそくさとその場を後にした。
「――お前、まだ食ってたのか」
店を離れてしばし、ふと私に視線を落としたリトが目を丸くしている。
「りゅー、ちちんと食べる」
残りわずかとなったパンを口の中へ押し込み、名残惜しく爽やかな柑橘の香りを味わっていると、ふいに両手を掴み上げられた。
「危ね……髪も服もジャムまみれになるとこだ」
私の手、言われてみればべたべたしている。こんなところにオマケがあったのか。
1本1本大事に丁寧に指を舐めながら、反対の手をリトに差し出した。
「どーじょ」
「どうぞじゃねえんだよなあ?!」
ちょっぴり鼻にしわを寄せたリトが、ちゅっちゅと素早く私の指を仕上げてタオルで拭った。
くすぐったさに、思わずくすくす笑みが零れて転がっていく。
ついでに指で私の口周りを拭っては口へ運ぶから、そこにもオマケがあったのだろう。
「甘……」
嫌そうな声が不思議だ。甘いと、美味しいのに。
ファエルの指は美味しくなかったけれど、私のジャム載せ指は美味しいに違いない。
「さて……帰りはどうするか。大通り外れて歩くか?」
「りゅー、ジャム買う! りゅーのお金、ちゅかう!」
リトの提案に頷きながら、勢い込んでその顔をのぞき込んだ。
「……まあ、日持ちするけどよ……毎回ベッタベタだろ~」
あからさまに乗り気ではないリトに、私は必死でメリットを訴えかけた。
「汚しゅという行動は、経験のちゅみ重ねこそ改善にちゅながる方法で、また自分でジャムを購入しゅゆのは、じりちゅ心と向上心を刺激し、成長に寄与しゅうことが期待――」
「……分かった分かった! まあ、買い物する経験もいるだろうしな」
「うむ、弟子よよくやった! 無論、師匠にも寄越すのだぞ!」
肩でふんぞり返るファエルが、当然のようにそんなことを言う。
「でも、ふぁえるまだ魔法おちえてない」
「ウッ……そんなこと言ったって! だって弟子、魔法書持ってないでしょ?! 人間、詠唱いるっしょ?! むむむ……よろしい、ならばまずは座学からよ! みっちりたたき込むから覚悟することだな!」
座学なら得意分野。人間が魔法を使うには、やはり定型文の詠唱が必要なんだろうか。あの、契約の呪文のように。
それなら、買い物ついでに魔法書とやらも探してみよう。
「らざく……」
思わず呟いてため息を吐いた。魔法書を探すのは、ラザクの役目だったのに……。
「惜しい男をなくしたものよ……。我はあの味が忘れられぬ……」
ファエルが、涙を堪えるように遠くを眺めた。
いや、なくなってはいない。ちゃんと帰ってくる……はずだけれど。
もちろん、いないのは強制労働に従事しているから。ここらだと人手はあって困ることはないらしく、早々に船に乗せられて行ってしまった。
「りと、らざくいちゅ帰ってくる?」
「ああ……。帰ってこなくてもいいが……大した額じゃねえから半月もありゃあ十分だろ」
そんなに先なのか。借金も増えていく一方だし、一体彼は何がしたいのか。
「料理、ちゅくれるのにどうちてお金稼げない?」
簡単なことではないだろうか。能力があるのだから。
「すぐに欲を掻くからだろうよ」
「料理の腕しかないが故に。彼奴は色々欠けておる。計画性のなさ、危機感のなさ、管理能力のなさ、自制心のなさ……」
……ファエルは人ごとのように言うけれど。これは、自己認識の欠如だろうか。なるほど、それすら互いに当てはまる。
「いいか、あれは悪い見本の総集編だからな? 反面教師としてだけ活用しろよ? あいつのせいでお前がラザク味を帯びてきたらと思うと……! ただでさえ余計なカエルもいんのによ!」
ぎゅっと腕に力を入れたリトが、真剣な顔で私を見つめた。
「りゅー、大丈夫」
こくりと頷くと、リトは少し表情を緩める。
「まあな、お前はほとんど真逆だからな。大丈夫だとは思うけどよ」
「ちょいちょいちょい! 余計なカエルってどういうことか説明してもらおうかぁ?!」
ぺしぺし肩を叩く尻尾が鬱陶しい。私じゃなくリトに言えばいいのに。
「りゅー、りとをお手本にする」
リトを見つめて力強く頷くと、銀の水面が大きく揺らめいた。
「……いや、やめとけ。俺も手本にはならねえよ。マズいな、手本がいねえ……」
うろたえるように口ごもったリトは、ザリザリ自分の顎を撫でて視線を逸らしたのだった。
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