第108話 新しい町で
「朝ごはんも、おかさな?」
朝の白い壁が眩しい。しょぼつく目を擦って、周囲を見回した。
他の人が食べているのは、大体パンのよう。
すんすん嗅いでみたけれど、食堂内にはパンの甘い香りが漂って、お魚の匂いはするような、しないような……。
「オカサナは知らねえけど、まあ大体魚だろうな」
小馬鹿にしたようにそう言って、リトはやや不満そうだ。
「りと、おかさな、きやい?」
「嫌いではねえけど、アッサリしてんだよな。朝からあんまりアッサリしてると、エネルギーが足りねえような気がするだろ?」
私は、リトの言葉を飲み込んでから、小首を傾げた。
……そうだったろうか。
「朝は、あっしゃりの方が、好きなない?」
「そういうヤツもいるけどよ。そりゃ、夜よりはって話じゃねえ? 美味いんだけどな……物足りねえのよ」
そうなのか。私はまだお腹が小さいから、どっちにしろたくさん入らなくて困っている。物足りなくは、きっとならない。
そうこうする間に、私たちの前に朝食の皿が3つ差し出された。野菜やハムらしきものがたっぷり挟まれた大きなパン。リトの手より大きなパン。それが、3つある。
足りないと言っていたリトは、朝食を3人分頼んでおいたらしい。
『我、感激~! ちゃんと我の分もあるとは、中々分かっておる』
ポケットから飛び出してきたファエルが、ぺたぺたした両手をすり合わせてテーブルに座り込んだ。
リトが、『あっ』という顔をする。私も、『あっ』と思う。
忘れていた。ファエルのこと……こんなにうるさいのに。
「あー、お前には多すぎるだろ。取り分けてやるから」
「ええ……保護者、いつからそんなデキる男に?!」
「うるせえわ」
リトは何食わぬ顔でパンを切り分け、ファエルのお腹くらいもあるサイズを渡した。
テーブルに置こうとすると怒るので、わざわざ紙を敷いてやらなければいけない。
ちなみに、ペンタには果物があるから大丈夫。
「あ~美味なるかな。世には美食が溢れるがごとし」
誰より早くかぶりついたファエルが、大きな口をもしゃもしゃさせて頬張った。感じ入るように目を閉じて、いかにも美味しそう。
さっそく掴み上げた瞬間、ばたたっと何かがこぼれ落ちて持ち上げた手が軽くなった。
「…………」
「あー……まあ、そうなるよな」
あまりのことに呆然となった私の視線の先、私のパンは、見るも無惨な姿と成り果ててていた。
鮮やかにひらひらしていた緑の葉野菜が、ハムのようなものが、ソースのようなものが、全部パンから抜け出して皿にある。もう綺麗なパンじゃない。それはまるで、床に落とした残骸のように。
「りゅ……りゅーの……」
喉が詰まって、うまく言葉が出ない。
私の小さな手に残されたのは、べったり何かが付着したパンのみ。
「いい、いい、そっちは俺が食うから! 泣くなよ? そんなことで!」
先回りするようにそう言って、リトが素早く私の皿と自分のを交換した。握りしめていたパンも取り上げ、ひょいひょい皿から具材を拾い上げてパンの中に挟み直す。
「こう……やって、上下をぎゅっと掴め。緩めるなよ、なんか汚えけどぎゅうっと握って食え」
リトの大きな手が、私の小さい手を開いて、パンをしっかりと握らせる。言われるまま、今度こそ残骸にならないようぎゅうっと握りしめた。押された中身がはみ出して来ても、気にしない。
いざ、ファエルのような口で思い切り食いついたものの、固いパンは中々食いちぎれない。歯を食いしばって、しっかり握って、渾身の力で引っ張った。
カァン!
ミチミチ言っていたパンから急に抵抗がなくなって、かくんと頭が後ろへのけ反った。同時に、腕は前へ。でも大丈夫、私はきちんとパンを握りしめているから。
飛んで言ったのは、前にあった皿だけだ。
「皿を飛ばすんじゃねえ!」
空中で見事キャッチしたリトが、私の前にあった全てのものを自分の方へ引き寄せた。
「りと、これハムなない?」
それよりも大事なことがあった私は、目を瞬いてリトを見上げる。
「お前……ちょっとは気にしろ?! ああ、それは魚のハムみてえなもんだろ」
魚のハム……! 一見生のようにも見えるけれど、濃厚で独特の歯触り。もしや、スモークの一種だろうか。なるほど、このチーズともよく合う。
パンが固いのだけが難点だけれど、魚の朝食もおいしい。リトが言うほどアッサリだとも思わない。
「――お前が食い終わるの待ってたら、昼になるわ」
足早に通りを歩きながら、リトがぶつくさ言っている。
あれは、いわゆるスモークした魚とチーズのサンドウィッチだろう。美味しいけれど、顎が大変だ。もっちもっちしっかり噛みしめ食べていたら、しびれを切らしたリトに全て小さくカットされてしまった。大きいままでよかったのに……!
結局、半分も食べないうちに口の動きが鈍くなってきたので、残りはリトが平らげてしまった。
まだ涼しい風が、ふわりとリトと私の髪を梳いていく。これから暖かくなる、そんな予感がする心地よい朝。
「今日は、ギルド行く?」
ガツ、ガツ、リトの重くて固いブーツが石畳を叩く。いつもより早いテンポで、私の身体も揺れる。どこか目的地がある人の、真っ直ぐした歩み。
「ああ。情報と依頼の下見も兼ねてな。ええと、ここらだったか?」
「まだ。ちゅぎの角を右」
「おー、便利だな。もしかしてお前、もう地図頭に入ってるか?」
むしろ昨日歩いたばかりなのに、リトはもう忘れたのだろうか。こくりと頷きつつ、付け加える。
「でもまだ、あゆいてないとここは分かやない」
そらそうだ、と笑いながら、リトはたどり着いた大きな扉に手をかけた。
軋んだ音が響いて、室内の視線が見るともなしにこちらへ向けられる。たいした興味もなさそうだった視線が、『お?』と言わんばかりに変化した。
一切気にした風もなく、リトは視線を巡らせてカウンターへと歩み寄った。ギルドの造りは、概ね前の町と変わらないように見える。微かに潮の香りがして、そこに小さいカニみたいなのが歩いているのが違いだろうか。
「りと、かに!」
全身を投じてリトの身体を蹴り、一気に腕を抜け出して――敢えなく空中で逆さまに捕まった。
「い、いきなり死のうとすんじゃねえ! 頭から落ちたらどうすんだ! 下りるなら、そう言え!」
まさに今、頭から落ちたけれど。
大げさな、と思ったものの、立っているリトの高さは2メートルほど。確かに、危険。
「じゃあ、りゅー下りる」
ならば足から下りようと、両手を上げ細長くなって足をバタつかせる。すると、あろうことか腕は緩むどころかぐっと締まった。
「ダメだ、ちょっと待ってろ」
……理不尽!!
私は、思い切りむくれた。それはもう、盛大にむくれた。ただ、ただ、そこにいるカニを見ようと思っただけなのに!
「膨れんな、後からカニでもゴミでもいくらでも見りゃいいだろ」
ぶっと吹き出したリトが、私の頬をつついて笑う。
ゴミなんて見ない! なぜカニとゴミが同列に語られるのか。
私は容赦なくリトの手をたたき落として、そっぽを向いたのだった。
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文学フリマご来場下さった皆さまありがとうございました!!
「りゅうとりと まいにち」通販は30冊までナンバリングした分がまだ少しありますので、それはひつじのはねショップで、残りはおそらくBOOTH販売になるかなと思います!
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