第106話 海産物

晴れた空より眩しい海が、ざうんざうんと不規則なリズムを刻んでいる。

私たちはまた長い坂を下りて、海の近くまでやって来ていた。

「……で、なんでお前がついて来るんだよ」

「なんでって……昼飯食うから?」

何言ってんだと言わんばかりの口調に、リトがいらだつのが手に取るように分かる。さすが、ラザクだ。

「お前と飯を食う約束をした覚えはねえよ」

「あれ? そんなこと言っちゃう? あれあれ? さっき俺様誰かの危機を救ったんじゃなかったっけ? 礼ひとつですませちゃうつもり?」

機嫌よさげなラザクとは裏腹に、額に青筋を浮かべたリトが今にも爆発しそうだ。


「りと、何食べる?」

仕方ないなと伸び上がって太い首にしがみつくと、浮かんでいた青筋が消えていく。

「……何食いてえんだよ」

「この土地の文化や風土、れきしに深くねじゃした海辺特有のおようり」

「…………この町のオススメってことか?」

眉根を寄せて熟考したリトが、端的にそう言ってコツンと額をぶつけた。

頷いてみせると、フッと笑みが浮かぶ。

「ファエルじゃねえんだから、もうちょい普通に言ってくれ」

「とんだ飛び火ぃ?! 我の知的で文学的な婉曲表現が理解できないとは、これだから学のない者どもは……」

ファエルはブツブツ言っているけれど、リトは割と学があると思う。何せ、長生きだし。


「おいおいおい! そういうことなら俺様、ってな? ようお前ら、俺様の職業言ってみな?」

「詐欺師」

「ぺてんち」

「借金王」

ほぼ同時に答えた途端、ラザクが大げさに地面へ膝をついた。

「違ぇんだよなァア、そのノリ!! そっちのノリじゃねえワケ! っつうかゲテモノ野郎は俺様の何を知ってるっつうんだよ!!」

「分からん奴め、だから借金王と言うに留めたのよ」

「そんなとこに留めんじゃねえ! 余計なトコだけ聞きかじりやがって! もっと俺様という人間を見ろよ! このラザク様の、人となりをよォ!!」


喚くラザクを遠慮なく置き去りにして、リトが早足で歩く。

私はラザクの人となりを考慮して、ちゃんと答えたのだけど。 リトと同意見であったことも正確性の担保になるだろう。

「この町の名物なあ……色々あるけどよ、それぞれの店で得意なモンもあるだろ。どこか入って聞いた方が確実だろうな」

「だからっ! そんな時にアナタに寄り添う情報屋、真心と信頼のラザク様!!」

「寄り添うな」

サッと寄ってきたラザクをにべもなく切り捨てるも、その程度で懲りるラザクではない。


「ぬあぁあ! クソッ、情報くれてやらぁ! ぜってえ『金の胸びれ亭』か『白砂殿』だ! 俺様そこのランチがいい!」

「お前……自分が行きてえ場所の情報も売りつけようとしてんのかよ……」

「それが情報屋としてのプライドってもんよォ!」

おや、リトはなんだかんだ、ラザクも連れて行ってあげるのだろうか。じっと見上げると、気付いたリトが不貞腐れた顔をする。

「……助かったのは事実だからな」

ぼそりと耳打ちされたセリフに、なぜかラザクが反応する。

「エッ……やだキュンとしちゃう。もしや今までのも全部巧妙に隠された好意の裏返しってヤツで……?!」

「うぜえ……!! 地獄耳が! てめえみてえに借りっぱなしにしたくねえだけだ!」

好意は裏返しても好意なのか。……なんてどうでもいいことを考えつつ、ラザク一人でうるさくなる道中、リトの腕に揺られていたのだった。



「おっほぅ! さすが『白砂殿』!! 内装が違わァ!」

「いやいやこりゃ否応なく期待値が上がるというもの! 我、感じるとも、この高級感!!」

ここから近いし並ばないから、という理由で選ばれた『白砂殿』。重厚な扉を開けた途端、美しい装飾の廊下が現れ、二人から騒々しい歓声が上がった。

「騒ぐな! 声を出すな! 息もするな!!」

すかさず蹴られたラザクを見て、ファエルがきゅっと自分の口を押さえている。

「幼児が一番手ぇかからねえとか……」

うんざり零すリトを撫で、私もきょろきょろ見回してみる。


白と金、そして黒で統一された内装は、豪華ながら品が良く、ひと目で店のランクが窺える。正直、普段着で入ってはいけない雰囲気だと思う。

「どれしゅこーど、ない?」

こそっと尋ねると、やっぱりラザクが答える。

「たりめぇよ、個室があんだよ! ラザク様が行けねえ場所を選ぶワケねえってことよ!」

まあ、そうだろうな。

だけど、ラザクだけだと追い出されそうな気がする。なんとなく。


ふかふかの絨毯を踏んで奥の扉を開けると、シワ一つない服を着た人がサッと私たちを見て、リトに視線を止める。

「いらっしゃいませ。個室のご利用ですか?」

言葉少なに頷いたリトに微笑むと、恭しい仕草で部屋まで案内してくれた。やはり、リトだから案内してもらえるのだ。

堂々とした歩みは、この豪華な廊下においても何の違和感もなく馴染んでいる。まるで、ここの主のようだと思う。

「……」

後ろへ目をやった私は、ひとつ頷いた。ちょこまかキョロキョロ、いかにも挙動不審な男がひとり。私は、こうはならないようにしよう。


「や、やべえ……値段が書いてねえ……だと?! こ、これが噂に聞く……! いやこれしょうがねえよなァ、遠慮しようにも値段わかんねえからさァ! 不可抗力ってヤツ?」

「やっふぅ! ファエルこれとこれとー、これも食べてみたいな、なんて! 師匠のお願い、聞いてくれるよね? ね?」

店員さんが、何事にも動じない微笑みで注文を取っているのがさすがだ。

「うぜえ……個室で良かった……」

ぐったり椅子にのけ反ったリトは、勝手にしろとでも言うようにメニュー表を見ようともしない。多分、ラザクは高い方から順に頼んでいるんじゃないだろうか。

「りゅー、どれにちたらいい?」

「ああ……頼まなくて大丈夫だ。あの野郎が馬鹿みてえに頼んでるからな。オススメってのも全部入ってんだろ」

「当然よォ! ラザク様がオススメ料理を逃すはずねえな!」



「――こちら、オルゴの浜菜サラダ添えでございます」

「こちら、ミリブスタのグリルでございます」

「こちら、ムゥシェルの塩焼きでございます」

次々料理が運ばれてくるたび、皿を見て、リトを見て、また来た皿を見て、リトを見て。私は視線を行き来させるのに精一杯で、聞きたいことが何一つ聞けない。

ラザクとファエルはひたすら歓喜の声を上げて、ナイフとフォークを打ち鳴らしていた。


やがて、随分広いと思っていたテーブルが埋まる頃、『ごゆっくりどうぞ』と扉が閉められた。

すごい。

圧巻、とはきっとこのことだ。

美しく盛り付けられた芸術品が、所狭しと並んでいる。何一つ味の想像がつかなくて、美味しそうよりも何よりも、綺麗だと思う。

さっそく皿に手を伸ばしているラザク達を見て、リトを見上げた。

「いいぞ、お前も食え」

苦笑したリトが、自らもカトラリーを手にして手前の皿を引き寄せた。


私の瞳が、きらきらしているのが分かる気がする。

どれもこれも、初めてで、そして、食べていい。机いっぱい、どれを食べてもいい。こんな、幸せなことがあるだろうか。

さっそく手を伸ばしたのは、一番目立っている皿。私の太ももほどもある、ゴツゴツした生き物が大胆に皿中央を占めたグリル。触覚の生えた頭、そして半分に割って色よく焼かれた胴らしき部分。私の知識からすると、おそらくロブスターや伊勢エビが近いのだろう。

一番目立つ頭をつついてみたけれど、カツカツ音が鳴る。食べられるのだろうか?


「ああ、お前は海産物初めてだもんな。頭は食えねえわけじゃねえけど、お前向きじゃないだろうな。取り分けてやるから、余計なモンを口に入れねえ方がいいぞ」

気付いたリトが、巨大ロブスターの真ん中あたりを取り分けて皿に入れてくれた。どうやら、外側は食べないらしい。

すかさず掴んで口へ押し込み……ぴたりと動きを止めた。

一瞬香った香草、感じるバター。そして、わずかながら鋭い塩が口内を刺激して。

――あまい。

噛みしめる口の中でプツプツ弾けるような身が、とてつもなく甘い。


「ふっ……! 固まってるぞ? さすがに、美味いな。他にも色々あるから、少しずつ食え。あいつらにばっか食わせんのは癪だからな」

ハッと気付けば、皿にはたくさんの料理が取り分けられていた。

だけど、もう一度あの味を。残る香りとぬくもり、そしてこの感触が消えないうちに、もうひとくちを。

「分かった分かった、取ってやるから、焦るな」

リトが美しい白い身を皿に置くが早いか、夢中で口内へ掴み入れる。


私はこの日、海産物という恐ろしく美味しいものを知ったのだった。




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