第104話 今日が満ち足りて

砂、綺麗だ。

手がサラサラする。土と砂は全然違うんだな。

手は黒くなるどころか、白くお化粧をしたよう。ふと、『狼と7匹の子ヤギ』の童話を思い出したくらい。

ほかほか温かくて、水のように両手ですくい上げたり注いだりできる。

投げ出した足も、尻も、とても温かい。

靴と靴下は既にリトに脱がされてしまって、少し埋もれた小さな足指の間まで、温かい。

口の中がじゃりじゃりするのだけが、少々不快だけれど。


「りと、砂」

握って掲げた手の隙間から、きらきら零れていく粒子。

砂、綺麗だ。

「ああ、砂だな。……行かねえのか?」

少々呆れた声が降ってきて、目を瞬いた。

ハッと視線を上げると、ざあん、と心地よい音も耳に飛び込んできた。

「行く!」

慌てて立ち上がり、今度は転がらないよう慎重に進む。

熱い砂は、すぐに私の足を埋めにかかって足下をぐらつかせる。

足裏の心地よい感触の中で、時折踏む硬い物が痛い。


どおお……ざあん、しゅわー……

ごおお、じゃぷん、しゅわわー……

繰り返し鳴る音が近付いてくる。

波音は、もっとゆっくりだと思っていた。こんなにひっきりなしに鳴るものなのか。

痛いのを踏むまいとしっかり足下を見て歩いていた私は、地面の色が変わる手前で顔を上げた。

ふわふわしていた白い地面が、この先は平らになっている。

思ったより目の前に、海の端っこがあった。


忙しなく寄せる波が、伸びたり縮んだり、砂の色を変えようと躍起になっている。

大きく寄せる前に響く『どおお』という音は一体どこから来るんだろうか。

しゅわしゅわ鳴ってあっという間に水の引く砂が、目に心地良い。

あまりに寄せてくるものだから、目が回りそうで傍らのリトを掴んだ。

「入るか? 足だけだぞ」

多分、このために短いズボンを履いていたろうに、リトはその裾をさらにまくり上げた。これなら、下着になった方が早いだろうに。

「じゃあ我は、安全地帯へ行かせていただいて」

ファエルがリトの胸ポケットに飛び込み、これで安心と言わんばかりの顔をする。大変失礼だ。


「かたい……」

さっきまでと同じはずの砂が、ぺたりと私の足を受け止めて動かない。

ひんやり感じる足裏で、きっと水は冷たいのだろうと思う。

リトも膝上までズボンをまくり上げ、平らな砂へ足を踏み入れた。

リトの歩いた跡が、きれいに型押しされて残っている。振り返ると、随分小さな私の跡も見えた。

「!!」

点々と残る足跡に気を取られた瞬間、ざあっと足下が冷たくなって飛び上がった。

「おいおい、いきなりずぶ濡れになるとこじゃねえか」

リトに吊り下げられる形で難を逃れた私は、伸びてきた水が私たちの足跡を消していくのを見た。


「しっかり立ってろよ」

そう言って下ろされた足の下を、上を、一気に水が通り過ぎていく。

身を縮めて冷たさを堪えたまでは良かった。

「り、りと! りゅーの地面、取らえる!」

だけど、引き返していく水が、みるみる私の立っている砂を持っていこうとする。足下から地面が崩れて行くようで、知らず体勢が傾いた。

「危ね。お前、波にも負けてんじゃねえか」

大笑いするリトが、人形のように後ろへ倒れる私を持ち上げ、自分の前に持ってきた。


背中に壁、そして両側に手すり。これなら大丈夫。

ホッと安堵してリトの両腕を掴むと、そろり、そろりと足を進めてみた。

「ちめたい」

段々と上に上がってくる水は冷たいけれど、頬が上気するような落ちつかなさを伴ってくる。

もう足の下が攫われることもなく、リトから離れて手だけ掴んでおいた。

確か、リトは膝までだと言っていたか。

足首、膝、膝上。あっという間に膝まで来てしまい、たぷたぷ揺れる波が、時折盛り上がって腿まで濡らしていく。

「それ以上行くなよ、濡れるぞ」

リトが動かなくなったので手を離そうとしたら、逆に握り込まれてしまった。


ふいに水面が大きく山になり、身体がふわりと浮いた気がした。同時に、まくったズボンの裾まで濡れる。

ふと、気がついた。これは、もういいのではないか。

濡れないために気をつけていたのだから、濡れてしまえばもう気をつける必要はないということ。

「あっ?! ……お前ぇ~!」

じゃぶっと頭まで浸かろうとした瞬間、素早く引っ張り上げられ腰までしか浸からなかった。


「今、絶対わざとだよな?! 膝までだっつったよな?!」

「でも、もう濡えた。もういい」

「よくねえわ!! あーあー、ずぶ濡れになりやがって……」

「もういい」

「この野郎……確信犯だろ」

どうやら許可をもらったので、遠慮なく水底に手を突いて胸まで浸かった。


「ピイッ!!」

「ちょっ、ちょちょっとアナタ?! ファエルの椅子が濡れるでしょ!」

途端に抗議の声が聞こえて、引っ張られた髪が痛い。どうやらこれ以上はダメみたいだ。私の肩はファエルの椅子じゃないけれど。

ちゃぷちゃぷ揺れる水が顔に飛んで、とても目に染みる。

そうだ、海は塩水なのだ。この世界でもそうだろうか。

水の中に腰を下ろすと、直接水面へ口を付けた。


「うおぉっ?!」

突如持ち上げられ、思い切り振られて含んだ海水が口から飛び出した。

塩辛い。とてつもなく塩辛い。リトの失敗したスープよりずっとずっと塩辛い。

私は目一杯、口の中に入った海水を外へ押し出した。

「飲むなって言うの忘れてたな。でも、言っても飲んだろ、お前。はは、カニみてえになってるぞ」

吹きだしたリトが、唾液の泡だらけになった私の口を拭った。

差し出された水筒の水で口をすすいだものの、口の中も唇もシワシワになった気がする。ここの海は、特別塩辛いかもしれない。


「ほらよ」

ぎゅむと口の中へ押し込まれたリトの指までしょっぱい。

だけど、押し込まれたものが一気に口の中を塗り替えて、眉間のしわが取れた。

吹き出すように唾液が溢れ、ころり転がした飴がシワシワの口を慰めていく。

とんでもなく、甘い。

「……で、海はもういいのか」

棒立ちしてカラコロ一心不乱に飴を転がす私に、リトはそう言って笑ったのだった。



「あー……不快。だから濡れるなっつったんだよ……。熱出すなよ?」

海から上がると、少し寒い。砂は温かいから、そこへ埋もれようとしたのに止められてしまった。

代わりに抱き上げたリトが、抱え込むように私を抱っこしてタオルで包んでいる。

じわじわしみ出す水分で、リトの服もじわじわ色を変えていく。

だけど、私は全然不快じゃない。温かくて、とても快適。リトは何が不快なんだろうか。

ひとまず、なるべくたくさんリトに接地して、そのぬくもりを分けてもらおう。


あれからじゃばじゃば歩いたり四つ這いになってみたり、思いつくまま海を楽しんでいたのだけど、リトが飯を食うというので切り上げた次第だ。

そういえば、朝食を外で食べると言っていた。もうブランチになるだろうか。

波打ち際で転ぶから、と洗濯物のようにリトに持ち上げられて砂浜に下ろされた時、身体があんまり重くて驚いた。

まるで重力が5倍になったかのようで、思わずべしゃりと潰れたくらいだ。

するとどうだろう。あんなにサラサラで心地よかった砂が、べったり体中に付着して、揚げる前の食材みたいになってしまった。

「…………」

顔も着いてしまったので、じゃりじゃりしないようぎゅっと唇を結んでリトを見上げる。

「……お前……」

絶句したリトは、再び私を抱えて海で洗った。これだとたとえ濡れなかったとしても、結局びしゃびしゃになったのではないかなと思う。


重だるい身体をリトにもたせかけて脱力していると、何とも言えない満足感と心地よさが押し寄せてくる。

今日は、もう十分だ。もう十分に今日を楽しんだ。

だから、もう寝てもいい。

「あっ、おい! 寝るなよ?! まだ朝飯も食ってねえのに! つうか、着替え――」

リトの慌てた声を聞きながら、私はとても満ち足りて目を閉じたのだった。






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何にも進んでないけど文学フリマ大阪(9/8)のブース位置が決まりました!

ち-16 (2F A・B・Cホール)です! 離れ小島で不安です!!

何書いたらいいか悩みすぎて分からなくなったので、もうデジドラSS集とかにしようかな……だってWebにある分だけでも多すぎるし……。

全然違う新しい話とか需要なさすぎたら泣きそうだし……。デジドラなら需要なくてもWebで公開する分に使えるし……。

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