第91話 契約

「ヤダー! ヤダヤダヤダー!!」

通りにわんわん響き渡る声。

町の人が何事かと私を見て、おや、という顔をする。

そして私たちを一巡した視線が、同情的になるまでがセットらしい。

ちょうど同じようなスタイルで歩いていた親子らしき3人が、こちらを指さして笑った。


右手にラザクの首根っこ、左手で私の手をつなぎ。

額に青筋を浮かべながら歩くリトは、まるでお父さんみたいだ。

まあ、そちらの家族の微笑ましさとはほど遠いのだけれど。


やっと目当ての町まで来た私たちは、まず契約所へと向かっていた。

ラザクがリトから逃げられるわけもなく、こうして引きずられているわけで。

ともすれば左手の力加減を間違ったリトが、私を空中にぶら下げそうになっている。


ラザクが散々わめくので、もしや私たちが捕まってしまわないかと思ったけれど、大丈夫のようだ。

リトとラザクと私、町の人は見ただけでラザクが悪いと分かってくれるらしい。

もしかして、さっきからまず私に視線が来るのは、駄々をこねているのが私だと思っているからなのかもしれない。それは大変いただけない。


「人攫い~! ヤダヤダやっぱヤダー!」

ラザク、あんまりリトを怒らせるとこの場で仕留められやしないだろうか。

「うるせえ! やだじゃねえんだよ、嫌なら牢に入るか炭鉱にでも行きやがれ!!」

牙を剥くような顔で吠えると、ラザクがぴたりと口を閉じた。

一瞬考えるようなそぶりの後、まるで別人のようにスンと表情を変える。

「……さ、リト、ぐずぐずせずに用事をすませてしまおうぜ!」

まるで私たちが足を引っ張っているような口ぶりに、リトの額にはもうひとつ青筋が浮かんだのだった。



「――では、こちらへどうぞ」

大人しくなったラザクと共にやって来たのは、以前の町の図書館に似た施設。厳格な雰囲気は、なるほど契約を交すに相応しい。

魔法の契約とは、どんなものなのか。制約と罰で成り立つと聞いたけれど、そんな複雑なことを魔法でなんとかできるんだろうか。もはやそれはAIを超えているのでは。

しずしずと歩く長衣の人物について建物の奥へ進むと、いくつも小部屋が並ぶ廊下に出た。


「契約強度順に並んでおります。どうぞ、お求めの部屋へ」

すっと伸ばされた腕に促されるまま、リトはずんずん進む。

「え……っと、リト? あんまそっちの方は……それ以上はさ、結構悪人向けっつうかさ……」

無言で進むリトと、進む足が鈍くなったラザク。

素早く身を翻そうとした首根っこが難なくつかみ取られ、リトはほとんど最奥に近い部屋に入った。


「おへや、小ちゃい」

興味津々で見回すのは、リトなら腕を広げれば左右の壁に届きそうな、小さな部屋。

暗い色の壁面に、燭台の光だけが揺れている。

奥には祭壇のようなものがあるだけの、随分と殺風景で圧迫感のある空間だ。


「ウッソぉ?! そんな重い契約にする必要ないでしょぉ?! これ、むしろ契約代金の方が高くなんじゃね?!」

大騒ぎしているけれど、リトが背中で扉を押さえて立っているので、ラザクはもう逃げられない。契約が重いと、何か不都合があるんだろうか。

「心配いらねえよ、契約代金もツケとくから」

「なんでえぇえ?!」

逃げようとするからだと思う。

ラザク、どんどん借金が増えていく。これ、返せる日が来るんだろうか。


「リュウ、そこのペンと紙を取ってくれ」

言われてラザクを押しのけ、奥の祭壇にあったそれらを持って行く。ついでに小さなテーブルみたいなものも引っ張ってきた。

「お前は賢いな」

リトの大きな手がするりと頭を滑って頬を撫で、ちょんと私の顎を上げて離れた。銀の瞳が私を映してちょっと笑う。私も、釣られるように口角を上げた。


そう、私は賢い。

ラザクを見て、むふりと満足の鼻息を漏らした。

「らざく、うややましい?」

「は?! どこに羨む要素があんだよ?! 一緒にすんなガキが!」

地団駄踏むラザクは、羨ましいに違いない。だって、こんなに嬉しいのだから。

によによしていると、ラザクがふと悪い顔をした。

「……けっ、よおく聞けよ! お前の大好きなリトはな、今から俺様と契約するんだぞ? お前は契約してないもんな~? 俺様とリトだけ特別だな? いやー参っちまうぜ」


二人の契約……。

私は、きゅっと唇を結んで考えた。

それは、確かに特別だ。書面にも残る契約の証と、魔法の絆。

「……りと! りゅーも契約する!」

私は慌ててリトの足に飛びついた。

「そっちかよぉ?! いや止めろよ! 契約するなって言――痛ぇ!!」

リトの長い足がラザクを蹴った。すごいな、そんな所まで届くのか。

「うぜえ! 往生際が悪いんだよ! リュウに余計なことを吹き込むな!」

ラザクといると、リトはよく怒る。なんとなく、それはそれで面白くないような気がしてきた。


「りと、りゅーと契約して!」

ぐっと瞳に力を込めると、リトが眉尻を下げて困った顔になった。

「あのな、契約ってのはあんまいいことじゃねえんだぞ? 強制力と罰則のある約束だぞ?」

「とくべちゅな約束」

「そんないいもんじゃねえんだって……あの野郎が……!」

鋭い視線が届くより先に、ラザクがリトの足でも届かない場所まで飛んで逃げた。

「ひとまず、契約すんの見たら満足するだろ? こいつがやるの見てろ、面白いもんじゃねえからさ」

リトと契約はするけれど、それはそれとしてラザクがするところは見たい。不承不承頷くと、リトがさっきから何やら書き付けていた紙を差し出した。


「これが元になる文言な。これを契約立ち会い人が魔法にする」

なるほど、つまりこれが契約書になるわけで――のぞき込むラザクと共にざっと目を通して、思わず眉間にしわを寄せた。

「りと、これだめ」

「え、何がダメなんだよ?」

ラザクまで揃って不思議そうな顔をしているけれど、こんなお粗末な契約書があるものか。

だって、端的に言えばリトと私に対する借金を返すこと、返済が終わるまで一定以上離れないこと、私たちの情報を他へ話さないこと、くらいしか書いていないのだから。


「こえなら、書いたら情報ちゅたえられる」

「ああ、俺らの情報か。なるほど、じゃあ話すのも書くのもダメって書けば――」

私はきっぱり首を振った。そして軽く目を閉じ、意識的にAIとして思考を使う。

「――らざくは、りととりゅーに関するしゅべての情報をきみちゅとしてあちゅかい、りとによる許可なない限り、いかなる方法においてもその情報を第三者に開示、共有、またはでんたちゅしてはなやない」

こんなものだろうか。魔法のある世界だもの、伝達方法はきっと様々だろう。

うん、と頷いて顔を上げると、二人がぽかんとこちらを見ていた。


「……あー、そうだな。こういうのは、お前に任せた方が良さそうだ。他に、何を書く? 特に、情報漏洩は気をつけた方が良さそうだ」

ややあって再起動したリトが、まだ固まっているラザクをちらりと見て苦笑した。

あとは他の条項において行動の制限や契約終了の条件を設定して……ああ、「情報」の定義付けも必要だろう。『個人情報、行動パターン、場所、計画、意図、仕事の内容、その他リトと私に関連するすべてのデータを含み、これに限らない』とでもすればいいだろうか。


「――なあ、紙、一枚で足りるか? こんな長い契約初めて見たぜ……」

つらつらと私が述べる条項を書き綴って、リトは半ば呆れたように笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る