第92話 厳かなはずの契約

「これでいいな?」

何枚にも渡った契約の用紙を丸め、リトが私を見下ろした。

完璧とは言えないだろうけれど、少なくともさっきのよりはマシ。

こくりと頷くと、リトは丸めた用紙でラザクの頭を叩いた。パアンといい音が鳴って、いびきが止まる。

「んっ? え、あ、うん、俺様もそう思うぜ!」

ラザクが、いかにも寝ていなかったような顔で変な相槌を打ち、何度も頷いた。

「あ、そう。じゃあお前もこれでいいんだな」

「エッ……ああ……?」


半端に頷きつつ必死に記憶をたぐる視線が、リトの顔と丸めた用紙を往復し、ハッと合点がいった表情をした。

「エート、再考の余地は……」

「ねえよ。大した条件つけてねえだろが」

「じゃあ何で俺に振ったわけ?!」

喚くラザクを放置して、リトが奥のベルを鳴らした。


「さいん、しない?」

契約書はできたけれど、サインはしていない。不思議に思って見上げると、リトも不思議そうな顔をする。

「サインなんかしてどうすんだ?」

「契約を守るって、やくしょく」

「いやいや……名前書くだけで約束守るなら、誰も苦労しねえわ。魔法の契約っつっただろ?」

確かに。この紙に条件を書くだけで、魔法になるのだろうか。


「――よろしいですか?」

しげしげと用紙を見つめていると、ふいに静かな声が聞こえて飛び上がった。

いつの間にか奥の祭壇が開いて、深々とフードを被った長衣の人物が立っている。

「ああ、よろしく頼む」

リトがラザクの首根っこを掴んで進み出ると、軽く頷いたフードの人が淡々と言葉を綴った。

「ここは、支配型契約Cの間です。契約者様はこちらへ、お相手はこちらへ」

「りゅーは?」


呼ばれなかった私が戸惑ってフードの人を見上げると、リトが慌てて私の口に蓋をした。

「馬鹿、お前はいいんだよ! じゃあ、俺の前で静かにしてろ!」

こそこそ囁かれ、手を引かれるまま祭壇の前に出た。なるほど、ここならよく見える。

「……契約書をこちらへ」

静かな咳払いと共に説明を再開したフードの人が、手を差し出した。

祭壇に身を乗り出して下から覗き込むと、その口元が緩んでいる気がする。中身は、色の薄い女性だ。

恭しい手つきで用紙を受け取ると、ちょっと戸惑ってから目を通し始める。

「結構です。違法性はないものと判断致します」

もしかして、この人は裁判官みたいな役割も担うのだろうか。それとも、厳かな雰囲気は神官に近い立ち位置なんだろうか。


「では、契約の儀を行います。こちらを、契約酒に――ンン゛ッ!」

華奢な手が私の目の前にある透明な瓶へ伸ばされ、覗き込む私と目が合った。途端に変な声を上げたフードの人が、口元を押さえてそっぽを向いてしまう。

「おまっ……何やってんだよ!」

「りゅー、しじゅかにしてた」

何も悪いことはしていない。むっと唇を結ぶと、『わかったから、大人しくしてろ』とリトの足に張り付けられた。ずっと、大人しくしていたと思うけれど。


「こ、こちらを契約酒に封入いたします。ご確認を」

もう一度咳払いしたフードの人は、微かに手を震わせながら一生懸命瓶の中へ契約書を詰め、リトの方へかざして見せた。

「ああ、俺の字だな」

頷くと、フードの人がきゅっとコルクの栓をした。よく見ると、瓶の底には透明な液体が少し入っている。

「契約者、リト様。前へ」

「ああ」

リトが私を足の上に乗せたまま、一歩前へ出た。フードの人の手の震えが、酷くなった気がする。


続いてラザクも呼ばれ、少し契約魔法についての説明が行われた後、瓶を捧げ持ったフードの人が小さくぶつぶつ呟き始めた。

しっかり聞き耳を立てていると、誰かに向かって契約のことを伝えているみたいだ。もしかして、このセリフが魔法なのだろうか。

やがて瓶から光が漏れ始め、風もないのに長衣の裾がふわふわし始める。リトとラザクの名が呼ばれるたび、二人にも少しずつ光がまとわりついていく。


「――そして、不履行は不可避なる罰をもたらすであろう」

長いセリフが終わり、フードの人が祭壇に瓶を置いた。

「契約書、ない」

瓶の栓は閉まったままなのに、光が収まったそこにはほのかに輝く液体だけが揺れていた。

「契約を、各々の体へ」

そっと瓶の蓋が開けられ、中身の液体が小さい器と大きい器に分けて注がれた。

さあ、と言うようにそれぞれ私とラザクの前に出されたので、迷いなく手に――取ろうとして遮られた。

「お前じゃねえだろ!」

慌てて小さい器を取ったリトが、一気にそれをあおった。

ぐいと腕を引いて確認すると、器の中にはもう何も残っていない。


「りと、じぇんぶ飲んだ……!!」

「全部飲むもんだからな?!」

非難を込めた目で睨み上げ、ふとラザクに視線をやると、器を手に嫌そうな顔をしている。

よし、と向かおうとした体がすかさず抱き上げられ、リトのおでこがゴツンと私にぶつかった。

「馬鹿、あれは契約酒だっつうの。契約者以外が飲んだら……多分、悪いことが起こるぞ」

「じゃあ、りゅーも、りとと契約する」

だって、私も飲んでみたい。瞳を輝かせると、リトは『やぶへびだった……』なんて項垂れてしまったのだった。



「契約酒、おいしい?」

「味なんて分かるかよぉ! 最低な気分になることだけは確かだな!!」

契約所を出た私たちは、町の通りを歩いている。契約が無事に成されても、特に二人に変わった所はないのだな。本当に効果があるのだろうか。

散々飲むのを渋っていたラザクだけど、フードの人が『飲まねば、契約履行の意思なしとして直ちに最悪の結果になる』と言った途端に一気飲みしていた。

「味なんてねえよ、酒っつってるけど、酒でもねえな」

私は、疑い深くリトを見上げる。だってリトは、何とかして私との契約をすまいとしている。きっとすごく美味しくても言わないだろうと思うのだ。


「もういいだろ! さて、飯にしようか」

私とラザクが瞳を輝かせ、リトが顔を顰めた。

「……何でお前、ついてきてんの」

その視線は、ラザクに向いている。

「エッ……? だって、ホラ、契りまで交わした仲だし?!」

「不気味な言い方すんな! 最初っから野外だけっつってただろ! 町でついて来んな!」

そういえば、リトはそう言っていたし、契約も一定以上離れないというもの。その『一定』の定義づけには大変難儀した。


「けどでもリトぉ! 俺様金持ってねえぇ!」

「知るか! 冒険者だろうが。薬草でも採って稼げ!」

「けっ、俺様がそんな初心者向け依頼なんざ、できるわけねえだろが!」

「ふざけんな、お前に選り好みする自由が――うん?」

ぐいと腕を引くと、リトが私の方を向いた。

「ラザク、できないって言った」

「何だよ、ラザクを庇うのか?」


不服そうな顔にきっぱり首を振ると、リトの瞳が困惑の色になる。

「じゃあ、何だ? やりたくねえとか、こいつはそんなこと言える身分じゃ……ん? できねえ?」

私とリトの視線が、ラザクに向いた。

「お前、まさか……」

ラザクが、無意味に胸を張って宣言する。

「薬草の見分けなんかつかん! だって俺様使わねえもん! けど、野菜の目利きなら任せろ!」

なぜそんなに得意げなんだろうか。一方のリトは『無能……!』と呻いて頭を抱えている。


「じゃあ、らざくが買い出しする?」

ふと思いついたことを口に出すと、それがいいような気がしてきた。

そうすれば、リトは面倒そうに買い出しに行かなくていいし、私は美味しいものを食べられる。

「はいはい! 俺賛成!! そうすべきだと思う!」

「けどこいつ、金渡せばすぐ余計なことに使うぞ」

ラザクが、ギクリと肩を震わせた。

「じゃあ、ちょっとじゅつ渡す」

「ああ、少しずつ買って俺らのとこへ持って来るようにすれば確認できるか。収納にも入れられるしな」

「エッ……俺様やっぱ一人で行動……いやでも金……」

ブツブツ言うラザクを放置して、私たちはどこで腰を落ち着けようかと相談を始めたのだった。






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こんなイメージっていうのが分かりやすいかなと思います!

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