第89話 レシピ

「レシピ……? そんなもん、なくたって俺様は――」

「あ、そう。いらねえなら、別にいい。お前以外に売る。手近にいるから声かけてやっただけだ」

リトはあっさり私の方へ向き直ってしまい、ラザクはにわかに慌て始めた。

「え、いや、その、ほらっ、そこのガキは俺様に作ってもらいたがっているわけで!」

言われて少し首を傾げる。そうか、作れる人は他にもたくさんいるのだ。


「りゅー、別にらざくななくていい」

「そうそう、その通――何ィ?! ゆっくりしっかり首振るんじゃねえよ?! チョットぉ、ラザク様の料理が美味かったんだろぉ?!」

すがりつくラザクの顔を押しのけ、そこはちゃんとこくりと頷いた。

「でも、おかみさんも美味しかった」

「デスヨネー! あそこ美味いって評判だもんなあ!! 畜生、本職め!」

ラザクが泣いている。

だけど、宿の人に作ってもらうなら、町に着いてからになる。それだけが残念だ。


「らざく、れちぴいやない?」

もう一度だけ聞いてみよう。無理ならいい、今のラザクの料理もおいしいから。

「……ちなみに、おいくらで……?」

ラザクは、割と簡単に陥落したのだった。



「――で、どうする? まず何のレシピがいいんだ?」

狭い馬車の中でわざわざラザクと距離を取り、リトが私を抱き上げてささやいた。

作ってもらいたい物は、たくさんある。だけど、今ある材料でできるもの、そして成分が多少違っても問題なくできあがりそうなもの。

そして、今私が食べたいもの。


よし、とひとつ頷き、リトを見上げた。

気付いたリトが、ペンを手に取って耳を寄せる。

購入するものだから、当然ラザクにも他人にも漏れてはいけない。私がレシピを書き起こせれば早いのだけれど、どうも私の手は字を書くのも絵を描くのも向いていないらしい。

「う、待てっ、ちょ、近っ! ふっ……!!」

身をよじってくすぐったがるリトの顔を抱え込み、私は一生懸命その耳にレシピを吹き込んだのだった。


「あー……酷え目にあった」

私の方が疲れたと思う。だって、逃げないようにぎゅっと押さえるのは大変だった。

目尻の涙を指で拭ってぐったりするリトを尻目に、書き起こされたレシピのチェックをする。

うん、大丈夫だろう。あとは、グラムや大さじなどの単位を調整する必要がある。


大さじは大体ペットボトルのキャップ2杯程度、キャップの規格は……直径28mm程度。

だけど、そもそもこの世界の尺度と元の世界の尺度は一致しないだろう。

ならば、向こうの世界と大体変わらないものは……体格や年齢問わず、人間の虹彩が大体12mm程度。そこからおおよその物差しを作ればいい。

まだ俯いて額を抑えているリトをチラリと見て、こちらを窺うラザクをちょいちょいと手招いた。


のこのこやってきたラザクを座らせて、私は座席の上に立ち上がる。

「めめ、開けて」

「は? 開いてんだろ――待て、何すんだ?! やめろォー!!」

まぶたを押し開き、ペンを片手にのぞき込んだところで、ラザクが思い切り座席から転がり落ちた。ついでに落ちそうになった私は、ちゃんとリトが捕まえてくれる。

「リト! 助けて! 俺様、目ぇ潰されるとこだったんですけどぉ?!」

「いい大人が馬車でふざけるな。リュウ、やめろ、ペンが汚れる」

「リ゛ト゛ぉ~~?!」


ひどい言いがかりだ。私はむっと唇を尖らせて、抱えるリトを振り返った。

「りゅー、めめ潰さない。ぺん、汚さない」

「おう、何がしたかったんだ」

ただ、虹彩のサイズを測りたかっただけなのだけど。だって自分の虹彩は自分で測れない。それを聞いて、リトは微妙な顔をした。

「うん、それはな……。お前、この揺れる馬車でやると、確実に何回か目を潰す羽目になるな」

「めめ、二個しかない。何回もややない」

「2回ならいいような口振りぃ?!」

可能性の話だ。大丈夫、傷には回復薬が効くというのも実証済みなのだ。それに、ラザクの目は茶色だから分かりやすい。


結局、馬車ではだめだと言われ、降りてからリトがラザクの目を写してくれた。

「らざく、大しゃじはこのくらい」

導き出されたキャップのサイズと深さを紙に描き、両手の指を使ってキャップサイズの丸を作ってみせる。

「ほぉ……そんな細けえさじ加減まで書いてあんのか」

どうやら、この世界のレシピは割とざっくりしているよう。

ラザクがいつになく真面目な顔でレシピを眺めている。


「けどよぉ、何なのコレ。できあがりが想像つかねえ……甘い卵焼き?」

しばしレシピを睨んでいたラザクが難しい顔をした。

それは、作ってみれば分かること。

「なんだ、甘いのか。飯じゃねえのか」

リトがレシピを書いていたのに、これがデザートだと分からなかったのだろうか。

そして昼食はさっき食べたのに、まだ食べるつもりだったんだろうか。


「簡単、すぐちゅくる!」

さっそくラザクを急かして調理開始だ。

レシピに沿って卵と砂糖、さらに牛乳を混ぜると、淡く黄色の少しとろりとした液体ができた。やはりラザクは、料理においてだけはなかなかの手際だ。

「こんなに砂糖が……こりゃ甘いな。極甘卵焼き……そりゃガキはいいだろうけどよぉ」

ラザクはブツブツ言いながらチャ、とヘラでボウルの縁を叩いて滴を切った。

「ままご焼きない、しゅいーちゅ」

「何言ってるか分かりませんねーぇ」

小馬鹿にして舌を突き出すラザクに腹を立て、分厚い尻を叩いた。『痛ぇ』とせせら笑うのも腹立たしい。


ざるがないので粗い麻布で濾して、黄色い液体を蓋付き容器へ移す。

大きな鍋に容器ごと入れて湯煎にかけたら、次だ。

フライパンで砂糖と水を熱し始めたら、もう甘い香りが漂ってくる。

「砂糖ばっかの食いモンだなあ? で、茶色ってどの程度だ?」

「知やない。りゅー、苦いのいや」

確か、茶色が濃い方が苦いのだとか。

「なら、もういいか。で、湯を入れる――跳ねるので注意っと」


レシピを見ながら、お湯の器へ手を伸ばしたラザク。ハッとした私は、全速力でその場を離れた。

ジュバババッ!! ラザクの手元から、激しい音と水蒸気が立ち上る。

「ぐわぁあーー?!」

危なかった。どのレシピにも、この手順ではとても跳ねるので危険と書いてあったから。

ちゃんとラザクのレシピにも書いておいたのに。

転げ回るラザクを横目に、私はフライパンの無事を確認してホッと息をついたのだった。



「――いるのか?! この工程! ぬあーもう腕がぁあ!!」

「お前、冒険者だろ……そんなんで剣振れんのか?」

だってラザク、剣を振っていないから。

冷ます時間をすっかり忘れて待ちきれず、現在仕方なく濡れタオルを巻いてひたすら扇ぐ方法をとっているところだ。リトは平気そうだけど、ラザクがすぐにバテる。私だって時々扇いでいるのに。

「じゃあらざく、手々かして」

「何――おいっ、てめえはそうやって何でも俺様を~! お、熱くねえ」

ラザクの手を容器に当てて温度を確かめると、粗熱は取れているようだ。念のため触れてみると、冷たいとまではいかないけれど、ほの温かいくらい。


「目ぇきらっきらしてるぞ」

リトが、私の頬をつついて笑った。

「普段あんな生気のねえ目してん――痛ぇ!!」

ラザクが、リトに小突かれて悲鳴をあげた。

そうだろうか、きらきらしているのだろうか。私の目は見えないけれど、頬が熱いのはよく分かる。そして、によによ口角が上がってくるのも。


「あけて! あけて!」

だって、待ちきれない。リトを引っ張って強請ると、大きな手がそうっと容器の蓋を開けた。

微かな衝撃に、中身がふるると揺れる。

大人二人の口から、驚きの声が上がった。

「おお……?」

「なんだこれぇ?! できあがってんのか?」

私は喜び勇んで大きなスプーンを手に取ると、躊躇無く差し入れた。

ほとんど抵抗もなく深々埋まるスプーン。よいしょ、とすくい上げる手が重いくらいたっぷりと。


思ったほどぷるんとはしていない。

だけど、ぺろ、と舐めただけで、つるんと柔らかいのが分かる。

じわっと染みこむようなほろ苦さ。

一気にあふれ出した唾液が口の端を伝っていく。

口に入りきらないスプーンを思い切り頬張ると、まるで分かっていたようにリトとラザクが皿を突き出して、こぼれ落ちる分を受けた。

一方の私は、全能力を使って口内を感じ取ることに集中している。


初めての感覚。

おかゆは、柔らかかった。

スープに入れたパンだって、ケーキだって、クリームのパンだって。

だけど、これは違う。

柔らかいけれど、弾力と共にとろけていく……。


「……どんな美味いモン食ってんだよって顔だな」

「卵と砂糖だろぉ? そんなスゲーもんか?」

恍惚と半ば意識を飛ばしている私の耳に、二人が訝しげに呟く声が届く。

ならば、食べてみるといい。

プリン、この至高のスイーツは、今クリームパンを超えた。

「……で、俺らの分はあるのか?」

「てめ! 俺にも寄越せ!! 功労者だろうが!」


食べてみればいいけれど、ちょっと今は待ってほしい。

私は、意地でも離すまいとしっかり容器を抱え込んだのだった。





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予約投稿ミスってアルファポリスさんより先に公開になってた……すみません!


幼児の「耳打ち」。ぜひ体験してもらいたい。

それ、耳打ちのボリュームじゃない。口元当たりまくり、どっちかというと耳ちゅー、よだれたっぷり。大量の呼気が吹き込まれる。

割とぬわああ~ってなります(笑)

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