第86話 意外な

「らざく、うるしゃい」

隣でよだれを垂らしそうに……いや、垂らしているラザクを見上げて少し距離を置いた。

「しょ、しょうがねえだろが! 腹が鳴んのは止められねえわ!」

スープがくつくつ音をたてている横で、リトはフライパンらしい鉄板でお肉を焼いている。

いい匂いが漂って、ちらちら周囲の人まで覗いていく。

やがてそわそわしだしたラザクが、つつっとリトの方へ寄っていった。


「……寄るな。そこで待ってろ」

じとりと睨み付けるリトの視線を物ともせず、ラザクがその手元を見つめている。そんなにお腹がすいたんだろうか? いや、すいてるだろうな。

それに、つまみ食いは美味しいから。

「りゅーも、ちゅまみ喰い」

椅子にしていた丸太からぴょんと飛び降りると、リトが首を振った。

「肉は途中で食えねえよ、まだ生だ。しっかり焼いて、塩ふってからな」

そうか。お塩のないお肉は、あまり美味しくない。

私はおとなしく丸太に戻って座り直したけれど、ラザクはまだそこにいる。


「なあリト、それ、火強くねぇ? 表面ばっか……は? お前……これ、モウの最上級肩ロースなんじゃ……?」

おずおずと尋ねたラザクに、リトが面倒そうな顔をする。

「知らん。多分、そうだろ」

簡単にそう返した途端、ラザクが豹変した。

「んなっ?! もっっったいねえぇ~~~?!」

「うるせえ、嫌なら喰うな」

もったいないのだろうか? 美味しいのだけど。私も首を傾げたところで、ラザクが涙を流しそうな顔でリトに縋った。


「こんないい肉ぅ~! あああ、言ってる間に火が、火が入りすぎるっ! 頼むっ! 俺がやるからぁ!」

鬱陶しそうにしていたリトが、意外そうに首を傾げた。

「お前、料理できんの?」

「ったりめえよ!! ちっとでも美味いもん喰いてえじゃねえか! これだから金持ってるヤツはよぉ」

「金持ってるは関係ねえだろ……」

言いながらリトが場所を譲ると、ラザクはすぐさまフライパンを持ち上げた。それ、持ち上げるのか。リトはいつも置きっぱなしだったけれど。


「リト、他に色々素材持ってんだろ? 俺様に任せてみなよォ!」

急にご機嫌になったラザクが得意満面でそう言うけれど、リトはにべもない。

「ダメだ、無駄になる方が勿体ねえ」

「くっ……塩だけかよォ! ま、まあいい、こんだけいい肉なら塩で十分」

「りゅー、これ持ってる」

思いついて差し出した、マーナッツの残り。美味しくなるなら、私はその方がいい。

「ガキのオヤツなんざぁ――お、マーナッツか。なら使えるな、いいモン持ってんじゃねえか」

ラザクは差し出したマーナッツの中身を取り出すと、片手で砕いてフライパンに入れた。ついでのようにスープにも放り込む。

その間にも、フライパンを上げたり下げたり傾けたり、全然じっとしていない。

リトは、焼いてる間ほとんど動かないのに。


「……俺は料理できねえぞ。焼くと煮るくらいならな」

見上げると、隣に座ったリトがそう言って肩を竦めた。

「りゅーは、焼くと煮るもできない」

「そうだな、お前よりはできるな。けど、あいつがマジで料理できるとはなあ」

まあ、喰ってみなきゃ分かんねえけど、と笑いつつ、私たちはもう分かっていた。

宿のおやじさんみたいな手つき、普段とちょっと違う、焦げていないお肉の香り。

そして、いつもと違うラザクの顔。


「皿だ、皿ァ! 早く! 火が入っちまう」

慌ててお皿を差し出すと、ラザクが恭しくそこへお肉を載せていく。

じゃっと音がして振り返ると、ラザクがフライパンにスープを入れている。

「しゅーぷも、焼く?」

「ちっげぇわ、こうして……鍋に戻すんだよ! 荒っぽいが、ちっとはうまみが足せんだろよォ」

ラザクはちょっとだけスープを味見して塩を少し足すと、うんと頷いた。

少しだけ、ラザクが頼もしく見える。気のせいかもしれないけれど。


お皿に誇らしげに載っているのは、いつもの肉と違う。焦げ焦げと表面が黒くひび割れていることもなく、艶めいてみずみずしい。

むしろ、お店でリトが食べるものより、もっとつやつやで綺麗かもしれない。

「さあさあ、喰え!」

「お前の肉じゃねえけどな……」

得意げなラザクに目を細めながらも、リトがナイフを持って――私の方へ向き直る。

私はちゃんとリトが切ってくれるまで待てるので、じっと見ている。

だけど、ラザクが待てなかったみたいだ。

「チョットチョットォ! すぐ喰うと思ったからの焼き加減なの! 分かる? 今、喰ってほしいわけ!」

「うぜえ……」

「うるせー! こればっかりは譲れねえな! てめーは黙って喰ってな!!」


忙しなくリトを皿に向き直らせると、ラザクは横から手を伸ばして手早く私のお肉を切り分け始めた。これも手慣れているように見える。

「……うま」

隣から漏れた小さな声に、ラザクがちょっとだけ切り分ける手を止めた。

にまぁ、と俯いて笑う様は気持ち悪かったけれど、嬉しそうだなと思う。

「ほらよォ、こんくらいならイケんだろ!」

ラザクは小さく切ったお肉をふうふうとやって、唇の下に当ててから私に差し出した。

あむ、とくわえ込んだ途端、目が丸く大きくなってしまう。


お塩だけ、いつもと変わらない焼いたお肉。

そのはずだったのに。

表面のお塩がきゅんと口を引き締めたと思った途端、お肉からおいしい何かが溢れて……甘い? くらい。

お肉が、甘い。ケーキとは違うけれど、甘い。

そうか、お塩が先に来たから、甘いような気がするのか。

丹念に味わってこくんと喉を通し、はふ、と息を吐く。

目の前のラザクがまたにやぁ、と笑ったのは気持ち悪かったけれど、差し出すお肉は間違いなく美味しい。


小さく小さく切ったお肉は、頬を膨らませなくても食べられる。口の端から出て行くこともない。

しっかり味わってお肉を3切れほど食べたところで、ラザクはスープカップを自分の頬に当ててから、私の方へ寄越した。

カップの中には、ほんのちょっとしか入っていない。

「りゅーの、しゅくない」

「うるせーわ、てめーみてえなガキは零すのがオチだ! それに、どーせ熱くて持てねえっつうだろォ」

……身に覚えがあるような気がしなくもない。


渋々両手で持ったカップは、ほんのりと温かい。

こく、こく、と喉を鳴らすたびに、体が温かくなってくる。

不思議な食感は、マーナッツだろう。

……おかしいな、おいしい。

いつものスープだったはずのなのに、焼いたら美味しくなるのだろうか。

何が、と言えないけれど、頬の奥がじんとするような。


一気に飲み干した口の中がほかほかと温かい。頬が熱くなってきた。

もったりしていた口の中まで、すっきりしている。

コトンと置いたカップへ、ラザクが自分のカップに入っていたスープをついだ。

「それ、らざくの」

「俺はあっちの熱々がいいわ!」

鍋には、まだスープが残っているらしい。

じゃあ、と手を伸ばそうとしたらお肉が目の前へやってきた。


やっぱりおいしい。もう少し大きいお肉でもいい、口の中いっぱいに頬張るのもおいしいから。

「ラザク、切るだけでいいぞ」

ちょっと呆れたようなリトの声に、ラザクが目をつり上げた。

「はぁ?! お前、自分で食えんのかよ!」

「りゅー、じぶんでできる」

「早く言えやぁ!」

すっかり怒ったラザクは、私のスープカップを少しずらして、いそいそと自分の皿に取りかかったのだった。

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