第85話 野営の食事情

「――さあ、飯でも作るか!」

急に変わった声の調子は、まるで何かを誤魔化すよう。だけど、私に異論は無い。

大急ぎで頷くと、リトはかばんをかき回し始めた。

「何買ったんだったか……パンはとりあえずあるだろ、あと肉……」

「いちゅも、ぱんと肉」

外で食べるのは、いつもパンと肉。そして、スープなのか味のついたお湯なのか怪しい汁物だ。美味しいのだけれど、私は他にも美味しいものがたくさんあると知ってしまったから。

「他になんかいるのか? 甘いモンはオヤツだからな!」

訝しげな顔をするリトを見るに、きっと外で食べる食事はこんなものなのだろう。


今日はそんなに寒くないので、テントを背負って調理はしないらしい。

リトが魔道具かばんごと外に出て、ぱさりと出入り口の布が落ちた。暗いテントの中は、リトがいないとすごく広い。寒いような気さえする。

すぐに後を追ってテントを飛び出すと、コンロを設置していたリトが振り返った。

「走んなよ、そこらで火ぃ焚いてるからな」

「りゅー、走やない」

本当かよ、とありありと顔で返事をしつつ、リトは鍋を火にかけ始めた。


「りゅー、走やないからしゃんしゃく散策してくる」

「何つった? 遊んでていいけどよ、あんま離れんなよ。柵の中、見える範囲だ」

大丈夫、以前のゴブリンの時みたいにはならない。

じゃあ、と手を振ってテクテク周囲の様子を探りに行く。

「ピィ?」

食事ではないのかと言うように、ペンタがテントの方を振り返っている気配がする。ペンタはお肉を食べないけれど、一緒に食事をとるので、きちんと食事の準備を覚えているらしい。


「お食事は、もうちょっちょかかるから、ちょうしゃに行くよ」

さすがに分からないのか、ピ……? とささやかな返事が返ってきた。

リトは私が特に目的なく遊んでいると思っているだろうが、私は無目的なことはしない。全ての行動には目的と理由があるのだ。

今回の目的はもちろん、余所の食事情の調査。

もしかすると、リトが特別に食への興味がないだけかもしれない。だって、甘いものもあんまり食べないのだから。

余所は何か美味しいものを食べているかもしれない。具体的な希望を出せば、リトは案外軽く請け負ってくれる気がする。そのための、重要な調査だ。



野営地は割と密集してテントが林立しているので、お隣を覗くのもすぐだ。

ここはコンロは使わず、たき火をおこしているらしい。

火にくべた小鍋のようなものから、ふわふわと湯気が上がっている。

「……わっ、びっくりした。おいおい、火に寄るな、危ねえぞ」

小鍋をのぞき込むと、うつらうつらしながら火に当たっていた人が、大げさにのけ反って私を後ろに引っ張った。

「おみじゅ? あじ、ない?」

すぐに遠ざけられてしまったけれど、鍋の中は透明の液体しか入っていなかったし、いい匂いもしない。


「お前の欲しがるようなモンはねえよ、親はどこだよ」

言いながらぽい、とお湯の中に放り込んだのは、乾燥した葉っぱ。

「しゅーぷ?」

「しつけえな、ただのカティーだ」

ふわ、と漂ってきた香りは、割と独特で鼻の頭にしわが寄る。熱を出した時にリトが持ってくる飲み物みたいだ。

しっしと手を振られ、これならリトの食事の方がずっといいと頷いてその場を後にした。


その隣は、そもそも火を焚いていない。ぼんやりしながら何かを噛んでいる姿は、どう見ても美味しいものを食べているように見えない。バリバリ音がするから、干し飯かもしれない。

しばらくその辺りをうろついてみたけれど、調査の結果、良くてせいぜいパンとスープ。リトは、割とちゃんと料理していたらしい。お肉もあるし。


納得して帰路についた、その時。

すぐ近くから、低く響くような猛獣のうなり声が聞こえた。

思わず飛び上がって、そして、そして――どうしようか。

そうだ、リトだ。

何かあった時にはリトを呼べばいい。


息を吸い込んだ時、再びうなり声が聞こえ、そして覚えのある声も聞こえた。

「くそ、腹……減った……」

蚊の鳴くような声は、すぐそこから。

吸い込んだ息を吐き出して、そうっとテントの陰をのぞき込んだ。


借り物らしい毛布にくるまって、いじけるように小さくうずくまっているのは、やっぱりラザク。

「らざく、鳴いてる」

「はぁ?! 泣いてねえわ! まだな!!」

がばっと起き上がったラザクの腹は、やっぱり鳴いている。私の腹よりずっと低い鳴き声が出るのは、多分大人だからだろう。

そこにいたのが私だと分かった途端、ラザクは興味をなくしたように再び横になり、ぶつぶつ呟いている。


「はー、痛え。もう全身バッキバキ。飯は食いてえけどたかりに行く気にもなれねえ……はぁー腹、減った……」

「らざく、どうちて痛い? 噛まえた?」

魔物に囓られる前に助けたと思ったけれど、どこか食べられただろうか。

遠慮なく毛布を引っぺがして、服をまくってみたりするけれど、どこも欠けていない。

「ええい、触んな! 怖えこと言うんじゃねえよ! あんなに走り回ったんだぞ、も~~動けねえっての」

そうなのか。リトはいくら走っても痛くならないから、大人はならないのかと思ったのに。

そうこうする間にも、ラザクの腹は低く唸る。


「らざく、こっち」

「は? ちょ、痛っ、痛えっつってんだよ! 引っ張んな、叩くな!!」

「りと、今ごはんちゅくってる」

「今行きますぅ!!」

バネ仕掛けのように飛び上がったラザクが、スキップでもかましそうな勢いで私の手を引いた。

リトのテントがどこか知っているんだろうか。知っているんだろうな。

迷いなく足を進めるラザクが、念を押すように私に言って聞かせる。

「いいか、哀れなラザク様に飯を分けてもらえるよう、お前が頼むんだぞ?! いいか、お前が言わなきゃダメだからな?!」

自分で言ってもダメなのは理解しているらしい。


私は、こくりと頷いた。

「大丈夫、もし、りとがだめって言ったや、りゅーのあげる」

ウキウキと歩いていたラザクが、ぴたりと足を止める。

「……何でだよ」

低くなった声音を不思議に思いつつ、私はラザクを見上げて迷いなく言った。

「お腹しゅいたら、ちゅらい。りゅー、知ってる」

ラザクは、瞠目してまじまじ私を見つめ返した。

「お前……」

その顔が一瞬苦しげに見えたのは、気のせいだろうか。


「――リュウ、なんでそいつと居るんだ。ほら、こっち来い」

ため息と共にリトの声が聞こえたのは、ちょうどその時。

ラザクがハッと顔を上げた。

「りと、らざくお腹しゅいてる。りゅーの――」

「馬鹿が! 誰がガキんちょの施しなんか受けるかっつーの! 俺様はDランク冒険者だからな、この程度日常茶飯事よぉ!」

急に元気になったラザクが、いつもの顔で顎を上げた。


そうなのか。私はお腹がすくととても辛いし、死んでしまうけれど、Dランクにもなると平気になるのだろうか。そういう減感作療法もあるのかもしれない。

ラザクの手を離し、伸ばされたリトの手に駆け寄ると、そのままふわりと体が浮いた。

「お前ね……なんでそんなラザクが好きなんだよ」

苦々しく呟いたリトに、きっぱり首を振る。

「りゅー、らざく好きない」

「ちょ……素直なお子様は辛辣ぅ!!」

がくりと膝をついたラザクの腹が、また鳴いた。


リトが、くるりと踵を返す。

慌てて振り返った私の視界の中で、足を引きずりながらラザクも後ろを向いた。

「……食うなら、貸しに上乗せするからな」

しばし静止していたラザクが、思い切り振り返る。そのぽかんとした情けない顔は、いつものラザクよりずっといいと思ったのだった。

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