第82話 テントで夕食
「りゅー、召喚じゅちゅできる?」
リトは、勢い込んで尋ねる私の手を、濡れタオルでごしごし擦った。ついでに顔と首筋も拭かれ、それだけで随分すっきりした気がする。
「さあな? 俺は使おうと思ったこともねえし。お前もフツーに魔法使えるんだから、いらねえだろ? 魔法より召喚術の方が、無駄に魔力を食うぞ」
そうなのか……。だけど、知っておいて損はない。
「でも、りゅー知りたい」
「そうは言ってもよ。魔法の本なら金さえ出せば買えんだけど、召喚術はどうなんだろうなあ」
ごそごそかばんを探っていたリトが、ぽんと何かを手渡した。
魔法の本かと思いきや、丸いパンだ。反射的にぱふっと食いついたものの、結構堅い。
「待ってろ。面倒だけどよ、スープくらい作るから」
テントの入り口と天井付近の布を開け、入り口から身を乗り出すようにして簡易コンロを使っているらしい。テントの中へ暖かい空気と、ほのかにいい香りが入ってきた。
リトの隣から無理矢理顔を出すと、小鍋から白い湯気がふわふわしている。
温かいスープと、パン。私は、それが好きだ。
リトがパンをちぎる手と、熱いぞ、と言うそれが好きだ。
「出て来んなよ、また手ぇ汚れるだろ」
既に出入り口についてしまった手をそうっと上げ、何食わぬ顔で頷いてテントの中へ戻る。
リトは小鍋を脇へよけると、まだ何かを温めているらしい。
今度は、口の中が唾液でいっぱいになる香ばしい香りが入ってくる。
これは、きっとお肉だ。
窮屈そうに大きな体を操って、入り口を閉めたリトが向き直る。
手元の皿には、やっぱりL字型の骨付き肉が載っていた。今炙られたばかりのお肉は割と黒々としていたけれど、匂いはいい。
置かれるなり手を出すと、ひょいと皿が持ち上げられてしまう。
「熱いって放り出すだろうが。渡してやるから、待て」
リトはうずうずする小さい手をまた拭って、皿に小さいお肉とスープカップを乗せ、いつの間にか放り出していた私のパンをリトの分と交換した。
「スープは熱いぞ、まだ触んな。肉はちょい炙っただけだ、そんな熱くねえだろ。こうして……パンで挟んで持て」
言いながらパンを半分に割って、割れ目に肉を挟んだ。
何と賢い。こうすれば、熱くないし手も汚れない。さらには肉汁までしっかり受け止めてくれる。
関心しながら重いパンを両手で持ち上げると、パンを通してほのかに温かい。
お肉は、鳥肉だろうか。つやりと脂のまわった皮目が縮み上がって、下の肉を覗かせている。
焦げの目立つ表面とは打って変わって、なめらかに白いそれはいかにも柔らかそうで。
「もう食っていいぞ。パン、ちぎった方がいいか?」
がぶり、と大胆にかぶりついたリトは、パンも肉も一緒くたに食いちぎり、もりもり頬を膨らませて咀嚼した。慌てて首を振った私も、勢いをつけて食らいつく。
口の中にはお肉しか入らなかったけれど、鼻と顎にふかっとパンの感触がした。そして、両頬にはしっかりとお肉の熱さが。これは、べったりといったに違いない。
「おいしい」
「割と美味いな、適当な店を選んだ割に、当たりだ」
あっという間にお肉を骨だけにしたリトが、2個目のパンをかじりつつスープを飲んでいる。私のお肉はまだまだ楽しめるのに、気の毒だ。ふと思い出した私は、懐からマーナッツの小袋を取り出して差し出した。
「もう、食べていい」
「食っていいのか?」
こくっと頷くと、リトは小袋からひとつ取り出して握り込んだ。小さなマーナッツが、もっと小さく見える。あんな大きな手では、さぞ殻が剥きにくかろうと思ったところで、パキっと音がした。
開いた手のひらからマーナッツをつまみ上げ、ひょいひょいと口へ放り込む様をまじまじと見つめる。
マーナッツ、そうじゃないはずなのに。
今度は二つ握り込み、拳がぐっと閉まると小気味いい音が響いた。
「お前も食うなら、剥いておいてやろうか」
何でもないように言って、ひとつを私の口の中へ突っ込んだ。
まだお肉を食べているのに! かり、かりりと香ばしいそれとお肉が――案外マッチしておいしい。
誤魔化されそうになって、そうじゃないと首を振った。
「だめ! りゅーのまでしたらだめ! 欲張っただめ!」
「欲張ってねえわ、お前にやるって言ってんだろ。剥いても味は変わんねえよ」
カリカリ音をさせながら、リトが呆れた視線を寄越してくる。だけど、変わるに決まっている。パキっとするのがおいしいのだから。
分かってないなと思いながら、私の方はなかなか減らないお肉をせっせと攻略することに忙しい。
結局、いつまでたっても食べ終わらない私にしびれを切らし、リトに半分も食べられたのだった。
「――ちめた……あちゅい!」
ぼんやりと冷えた頬に手を当てていたら、突如熱々のものが両頬を包み込んで飛び上がった。
「ははっ、そんなに熱いわけあるか!」
隣に座っていたリトが、私の両頬を包んだまま大笑いしている。
熱々の手が徐々に冷えた頬と熱を交換し、じんと染みこむようなぬくもりを伝えてくる。ああ、さっきまでリトはスープカップを持っていたから。馬車に乗るまでに、私が飲みきれなかったスープ。この分だと、きっとリトが全部飲んだのだろう。
またうつら、と落ちかかった頭を立て直し、暗い周囲を見回した。これは、まだ朝じゃないと思う。
馬車は、いつもこんな時間に乗らなくてはいけないのだろうか。だったら、私は馬車じゃなくていい。
だけど、さっきの野営地では乗らない人だっていっぱいいた。昨日来た時と乗っているメンバーだって違うもの。
「寝てりゃいいだろ、もう乗ったんだから」
散々起きろ、飯を食えとせっつかれたのに、もういいのか。
せっかく起きたのに……と思う端から夢の中へ転げ落ちてしまいそう。
「りゅー、寝る」
力の入らない体でリトの上に乗り上げようとすると、ひょいと抱え上げられて腕の中に収まった。居心地の良さに思わずほう、と吐息が漏れる。
「りと、もーふ」
「贅沢だな?!」
だって、寝るのだから。
渋々収納から毛布を引っ張り出し、リトはぐるぐると私に巻き付けた。冷えた毛布に思わずふるりと震えると、しっかりと包み込むように抱え直してくれる。
毛布はいらなかったかもしれない。リトの方が温かい。
こんなに早く乗る馬車は嫌だけれど、リトが毛布で抱っこするなら、いいかもしれない。
冷たい風も、ガタガタ伝わる振動も消え、確かに贅沢だなと微かに口角を上げたのだった。
「――へえ、そうなのか。あんなすごい芸当ができるし、どこの国の子かと思ったけど、グーラナス方面かい。ウチらと近いねえ、てっきり長旅かと思ったよ」
間近に聞こえる話し声に、意識がうっすらと浮上を始める。
「これから長旅になるところ、ってとこだな」
リトの声もする。目を開けようとして、まぶしさに身じろぎした。
「おや、おチビちゃん起こしちゃったかね」
「リュウ、そろそろ昼だぞ」
ショボショボ開いた目に、苦笑するリトが映る。隣にいる人は、知らないけれど知っている人だ。
私たちと同じく、最初からこの馬車に乗っていた人。
どうやら話好きらしいその老齢のおじいさんがしみじみ私を見つめてつぶやいた。
「こんな小さい子を連れて長旅になるなんて、大変なことだねえ」
「……りゅー、特訓した」
自分の足で歩いて、走れるようになった。魔法だって使える。
そっとリトを見上げると、大きな手が私の頭を押さえるようにぐいっと撫でた。
「こいつ度胸あるから、旅だからっつう苦労は大してねえかもな。どっちかっつうと普段から大変だ」
褒められたのだろうか。いや、けなされたのだろうか。
ちょっと眉間にしわを寄せて考えていたところで、馬車が大きく揺れた。
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