第83話 既知との遭遇
「あっ! すいません揺れやす、掴まって!」
御者の早口と同時に突如馬車がスピードを落とし、乗客から悲鳴が上がった。前方では馬が怒ったように高くいなないている。
ひとりで座っていたらどこかへ飛んで行ってしまうところだった。だけど大丈夫、今はリトの腕がきゅっと締まって、揺るぎなく私を抱えている。素晴らしいシートベルトだ。
「なんだ、どうした?!」
「魔物でさぁ! 馬を落ち着けねえと危ねえです。……どうどう、こっちは襲わねえって」
忙しなく脚を踏み換える馬を、御者が落ち着いた声音でなだめている。焦りのないその様子は、ぎょっとした乗客を落ち着かせるにも十分な効果があるようだ。
魔物と聞いた乗客がそれぞれ周囲に視線を走らせ、一人が切羽詰まった声で遠くを指した。
「あれだ! 人が襲われているぞ!」
馬車内で小さく悲鳴が上がる。
傍らの森から出てきたか、足をもつれさせながら逃げようとする冒険者らしき人。追いかけるのは、ずんぐりした四つ足の生き物二匹。体長は私よりやや小さいくらいだけれど、体重は3倍以上あるだろう。ビーバーやカピバラを凶暴な顔にすると、こんな風だろうか。
ただ、足が短く機敏には見えないので、ああして頑張って走っている限りは追いつかれないのでは。魔物の方が体力はありそうだけれど。
「マルビータだ、馬車は襲わねぇです。助けられる人がいたら、頼んます! 無理なら、馬が落ち着いたら抜けます。目ぇつむっててもらうしか……」
御者が言葉を濁すと、気まずげに逸らされた周囲の視線が、引き寄せられるようにリトに集まった。
なるほど、馬車の中で一番強そうなのはどう見てもリトだ。剣は見えるところに持っていないのだけど……。
マルビータは、どう見積もっても巨大トカゲのマーシュドルより弱そうだし、助けてあげればいいと思う。
「りと、早く」
回復薬で治るかもしれないけれど、ひとくち囓られてからでは可哀想だろう。
「……すげえ気が進まねえんだよな。はあ……助けねえわけにはいかねえか……」
深いため息をついたリトが渋々腰を上げ、私を背中へ回した。きゅっと首にしがみつくと、毛布でおんぶひものように固定される。
「……行くか」
こくりと頷いた途端、リトは馬車の床から跳んだ。
ちょうどその時、逃げる人がもんどり打って転んだ。二匹の魔物が嬉々としてその背へ飛び乗って首筋を狙い――悲鳴を上げた。
見事眉間に命中したのは、スープカップだろうか。パキンと鳴った。とても痛そう。
二匹の魔物が戸惑って見回す、そのわずかな時間。
リトには、それで十分だった。
ひゅうっと風を切る音とともに、もう、そこにいた。
「……せっかくの獲物を、悪いな」
慌てて牙を剥いた魔物が飛びかかってくるより早く、長い足がしなった。
悲鳴が尾を引き、重そうな体がボールのように遠く放物線を描く。その隙に飛びついてきたもう一体は、空中でリトの足に捉えられ、もっと遠くまで飛んだ。
簡単だな。リトは、剣がなくても魔物を倒せるのか。私も足がもっと長ければできるだろうか。
這々の体でヨロヨロ森へ逃げていく魔物を見送っていると、向き直ったリトが転がる被害者を見下ろして口を開いた。
「おい、いつまでそうしてる」
不機嫌そうな声音が不思議で、リトの肩越しにその人をのぞき込んでみる。
ものすごく震えて頭を抱えていた人は、声を聞くなり弾かれたように顔を上げ、目がこぼれるんじゃないかと思うほど見開いた。
金魚のように口を開閉させ、まじまじとこちらを見つめる顔。
見たことのある、その顔。
「……らざく?」
私はきょとんと首をかしげた。ラザク、どうしてしょっちゅう会うのだろうか。
その間にリトはさっさと踵を返して、馬車へと引き返していく。
置いていっていいのだろうか。首をひねって振り返ると、ラザクがまだそこにいる。
「らざく、行くよ」
「……はっ?! え、あ、ままま、待ってくれよ!! その、リトぉ、礼くらい――」
大慌てで足を踏み出して盛大に一回転し、それこそ魔物に追われているかのような形相で追いかけてくる。
振り返りもせず馬車に飛び乗ったリトへ、周囲の乗客がわっと一斉に声をかけた。
「あんた、素手で! 名のある冒険者かい?!」
「いくらマルビータだからって、あんな簡単に……」
興奮した人たちのきらきらした目は、背中の私によく見えてによによ口角が上がる。リトは、やっぱりすごいのだな。
「兄さん、助かりやした! 代わりに食われるわけにゃいかんし仕方ねえんですが、見捨てるのは気分のいいもんじゃあねえんで」
御者さんが晴れ晴れした顔でそう言って、再び馬を走らせ始める。
ラザクは、と見ればなんとかほかの乗客に引っ張り上げられたようだ。
「あんた、よかったなあ。この人がいなかったら今頃マルビータの昼飯になってたぞ」
「一人かい? まさか、他の仲間は……」
「いや、俺は訳あって一人で……」
おざなりに返事しながら息を乱すラザクは、馬車の床に座り込んでちらちらとリトを振り仰いでいる。
リトは聞きたくなさそうだけど、私は知りたい。
「らざく、どうちてここに?」
「よくぞ聞いてくれた! 本当はさ、一人じゃなかったんだが騙されてよぉ……」
ぱあっとうれしそうな顔をして隣に腰掛けると、ラザクは切々と現状を訴え始めた。
どうやら、ここで会ったのは本当に偶然ではあるらしい。
「でな、あいつら追加料金とかほざきやがるから、俺様ァ凛として不当な要求を撥ねのけたわけ。だっつうのによぉ、あいつら俺の財布を! 見ろよ、剣だって盗られたからこそ、あんな小物に遅れを取っちまって……」
「らざく、剣れも勝てない」
「んなにィ! Dランクのラザクさんがそんなワケあるかよ!」
ラザクの話はどうせ都合よく改変されている。分かるのは、案内人とトラブルになって喧嘩別れしたということくらいだろう。
ラザクと話す私を見て、おじいさんが少し驚いたように私たちを眺めた。
「あんたら、知り合いだったのかね」
「絶対に違う!」
「その通り!」
同時に聞こえた声に、ラザクが潤んだ瞳でリトを見て、リトは再び遠くへ視線をやった。
何か察したようなおじいさんが、取り繕うようにラザクへ声をかける。
「はは、まあ、君らも色々あるみたいだねえ。と、ところでラザクさんと言ったか、じゃああんたもグーラナス方面の冒険者ってことだろ、近いのにここらで案内人が必要かね?」
これだけ離れたのに、冒険者だとこの辺りも行動範囲ということだろうか。
もう十分旅をした気分だったのに。
「そりゃ道案内なんていらねえけどよぉ、探しモンがあってな。ほら、前に飛空艇が飛んだろ? あれでよ」
おじいさんは、合点がいったように頷いた。
「ああ、もしかして『夢人の落し物』かい」
「そう、それだ! なんか、知ってんのか?!」
身を乗り出したラザクに、おじいさんは手を振って苦笑する。
「知ってるともよ、ワシは飛空艇が飛んどるのを見ていたからなあ」
「マジか! じゃ、じゃあ俺じいさんを雇……あっ金がねえ……」
「いやいや、知っとるからこそ、お前さんの宝探しは無理だと言えるのよ。あんな高度から落として、無事なモンがあるかい」
表情を暗くしたラザクが、おじいさんの台詞を聞いてさらに肩を落とす。
一方の私は興味深いワードに目を輝かせた。
「たかや探し? りゅーもする!」
「そ、そうか、お前なら分かるか! このロマンが!」
ラザクがぐっと拳を握って貪欲に目を光らせている。とてもじゃないけれど、ロマンを追う顔ではない。
リトがため息をついて私を膝の上に引き寄せた。
「あのな、夢人は魔道具を飛空艇から落としたっつうんだ。あの遙か空の上だぞ? 破片になってんのがオチだろ」
そうなのか。宝というからには、てっきり宝飾品の類いかと思ったのだけど。
だけど魔道具にしたって、収納袋やネックレスだってあるのだから、無事な可能性はないのだろうか。
ラザクと二人で納得いかない顔をしていると、おじいさんとリトが顔を見合わせた。
「あんたらの夢を壊して悪いがなあ、どうも夢人が落としたって騒いだ辺りは川原と岩石地帯でなあ」
「うぎっ……いやせめて、破片でもあれば! 何割かは褒賞が!」
「ゆめみと、だれ?」
まだ諦めないラザクを横目に、興味を失った私はリトの腹にもたれて見上げた。
「夢人、な。知らねえか? ちょっと前まで知ってるヤツの方が少ないくらいだったんだがな。今や知らねえ者はないくらいで……けどさすがに本にはまだ載ってねえ――」
ふいに言葉を切ったリトが、まじまじと私を見下ろした。
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9月8日に大阪で開催される「文学フリマ」イベントに参加予定です!
どんな本出しましょうか!?(もふしら関連は不可で申し訳ないです)
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