第79話 退屈だから

まだ眠っている町の中で、馬車乗り場の周りだけは起きているみたいだ。

乗り場を囲むようにいくつかの屋台が並び、もくもくと湯気が上がっている。寒そうに襟を立てた中年男が、湯気のたつ何かを受け取ってすすり、ほう、と白い息を吐いた。

奥は簡易厩舎だろうか、石畳の町中でごく小さな柵の中だけは土がむき出しになっていた。

ここは大人しかいないから、私は珍しいらしい。さくさく土を踏んで歩いていると、付近にいる数人が引き寄せられるように私を見て、次いでリトを見て、サッと視線を逸らしていく。


「俺らが乗る馬車は……あれか?」


こんなに近づいてもいいのだろうか。ざすざすと足音を鳴らして1台の幌馬車へ歩み寄ったリトが、そばにいた男に声を掛けた。

馬が、少しだけリトを見て、すぐに下を向く。顔の先端をもそもそさせて、これは何かを食べているんだろうか。

近くで見る馬は、大きくて硬そうで、あまり動かない。しっぽだけが、別の器具のように動いていた。

目も大きくてちゃんと睫毛があって、そして長い顔の先から白い息が漏れているのが、確かに生き物らしいと思う。


「……りと」


小さい呟きは、幸いリトには聞かれなかったらしい。さっきから眺めている黒い馬は、本当にリトに似ているのだ。あの肩や脚の盛り上がりといい、艶めく尻尾といい、リトが馬になったのかと思うくらい。

私が馬になったら、あっちの白っぽいのだろうか。


私が馬に注目している間に、男と2、3言葉を交わしていたリトが肩を竦めた。


「出発はスープを片付けてからだとよ。俺らも何か食おうか。朝飯は何がいい? 昼もここで買っておいた方がいいな」


見上げると、男はまだ具材のたっぷり入ったスープを持ち上げて笑ってみせる。どうやら、この人が御者だろうか。


「りゅーも、それたべる」

「そうだな、あったかいモン食わねえとな」


ぐるりと見回したリトが、私の手を引いて湯気の上がる屋台へと歩み寄った。




「――それ寄越せ。もう馬車に乗るから」


伸ばされた手に背中を向けて、私は慌てて残るスープをふうふう吹いた。もう器を取り落とすほど熱くはないけれど、思い切って頬張った具材は芯が熱くて、あえなく器の中に逆戻りした。


「りゅー、馬車でたべる」

「馬車でスープは食えねえよ」

「りゅー、たべらえる!」

「無理だっつうの、揺れるからな?! 分かった、ひとまずスープは飲め!」


御者がお早く、と急かすのを聞いて、リトが慌てて私を抱え上げる。

しっかり胸元に抱き込んでいたスープの器に勝手に口をつけ、あっと言う間に私ごと傾けて中身を飲み干してしまった。


「りとだめ! りゅーの!」


飲めと言ったのに! どうしてリトが飲むのか。


「じゃあ、あとは食え。汁がなけりゃ、まあ大丈夫だろ」


そのまま幌馬車の後ろからステップを上がって、リトは一番前に陣取った。よかった、ここは馬の尻が一番よく見える。

周囲を覆う大きな布は、巻き上げられて屋根になっていた。馬車の壁面に備え付けられた座席は、粗末なベンチのよう。申し訳程度に座布団が敷いてある。

リトが歩けばみしみしと床が鳴っていた。リトは重いから、床を踏み抜いてしまわないだろうか。馬車自体ただの一枚板なので、うっかりぶつけでもすれば簡単に壊れてしまいそうだ。時折真新しい板が継いであるのは、そういうことだろうか。


じっと床を見つめていると、景気良い掛け声とともにぐらりと馬車が動いた。

私の体が転がっていくより先に、危なげなく宙に浮く。


「座ってろ、立つなよ?」


リトの隣、馬車の一番前に下ろしてもらい、風と共に土と馬の匂いが鼻をつく。

ガコガコと車体を揺らしながら馬車はスムーズに乗り場を出発し、やがて安定した速度で走り始めた。

チャッコチャッコチャッコ、長い足が楽し気に路面を叩いている。小刻みに揺れる馬の首が、リズムをとっているようで、タテガミがその都度ふわふわ揺れる。

馬は、すごいな。こんなにたくさん乗っているのに、重いリトも乗っているのに、いかにも簡単そうに馬車を引く。


大きな大きな馬の尻は、明るくなりはじめた日に照らされてぴかぴか光って、力強い筋肉は足の運びに伴って揺れる。きっと、この馬は荷運び用のたくましい馬なのだろう。

ふっふっと鼻先から漏れる白い息は、こうして見ると生き物よりも機械じみて見えた。

町を出て路面が土になると、あの軽快な音が鈍くなって残念だ。


「そんなに面白いか? お前、景色じゃなく尻ばっか見てねえか?」

「おもしよい」


確かに尻ばかり見ていたと顔を上げてみれば、景色は様変わりしていた。

うっすら霧がかって暗かった周囲は、カーテンを開けたように明るくどこまでも瑞々しい色が広がっている。色々な緑色が、風に揺れてちらちら白く光っていた。

町が、起き始めると一気に色づき始めるのと同じだ。さっきまでは、草原も眠っていたんだろうか。


「まあ、景色を見たところで何があるわけでもねえけど」


くわあと大きなあくびを零して、リトが退屈そうな顔をする。

そうか、馬車は結構揺れるし読書にも適さない。私は何もかもが目新しいけど、リトは道中の娯楽を考えなければ退屈で仕方ないだろう。


「りと、りゅーお話ちてあげる」

「お話? おしゃべりじゃなく?」


こくり、と頷いて座りなおし、リトを見上げた。


「どんなお話? 楽しい? 怖い?」

「え? うん? よく分からねえけど、そりゃまあ、楽しく過ごす方がいいだろ?」


もう一度こくりと頷いて目を閉じ、身体の力を抜いてリトに寄り掛かった。

きっと身体の感覚がおろそかになるから、こっちはリトに頼んでおこう。


「むかし、むかし、あゆとこよに、おじいしゃんとおばあしゃんがありまちた――」


最初だから、数時間に渡るようなものは避けた方がいいだろう。それに現代的な本はそもそもこの世界では意味不明になってしまう。あと、私の舌がまわらないので、あまり難しい言い回しの本は適さない。

そう考えて選択したのは、童話。

普通に読んで20分くらいのものを。ただ、童話は確実に『楽しい』と言えるものがあまりないように思う。割と残酷だったり、考えさせられたりするから。


「まいみち、おじいしゃんは山へしば刈いに、おばあしゃんは川へしぇんたくに――」

「え、お、おい……?」


これは、モモタロー。名前は聞きなれないだろうけれど、剣や魔物の世界にはマッチする話ではないだろうか。

AIモードになった私は、ただリトのぬくもりだけを感じながらお話を読み聞かせてあげたのだった。



「――おちまい」


記憶倉庫へ潜っていた意識が、二度、三度瞬く間に浮上していく。

いつの間にかリトの膝に乗っていることに驚きつつ、どうだったかとその顔を見上げた。

ああ、さすがに喉やら舌やらがかさかさになっている。普段あまり話さないものだから、余計に疲れた。

水筒を引っ張り上げようとしたその時、ガタタッと音がして思わず首を竦めた。


「す、すげえ!! いいとこのぼっちゃんてぇのは、こんなに賢いのか?!」

「吟遊詩人みたいだね! モモタヨーの話、全部覚えてるの?!」

「面白かったぞ! イヌ、キジにサルってどんな従魔なんだ? 意思疎通もできるなんて随分高位の魔物か幻獣なんだろう?」


走行中に立ってはいけないと聞いていたのに、周囲の人がいっせいにこちらへ詰め寄って来る。

リトに読んでいたのだけど、みんな聞いていたらしい。


「い、今のはこいつが好きな話でな! 毎日読んでるうちに覚えただけだから! 覚えてるのはこの話だけ!」

「いやいやアンタ、こんな字も読めないようなちっこい子が、ここまで覚えてるなんてすげえもんだよ!」


興奮する客の中で、リトが一生懸命説明している。そうか、次からはカモフラージュにメモ帳でも広げながら読んであげよう。

そっと膝から下りて席に戻ると、水筒の栓を開けた。

枯れた喉に流れ込んだ水は、とても美味しかった。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


更新遅くなってすみません!

だって……どうしても……本が読みたくてぇ~~!!

もうちょっと何話かまとめて書く方が時間とれるかな?

無限の時間が欲しいですね……

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