第78話 次の次の町

「見えて来たな」


呟きと共に揺すり上げられた背負子に、私はハッと目を開けリトの肩から顔を上げた。

薄暗がりの中、道の先には明かりが見える。きっと、あれが『次の次の町』だろう。

リトは、よく歩く。町から町へ、時おり街道を外れてまっすぐ最短距離を。

おかげでこうして予定の町へ到着しそうだけれど、私は大層不満だ。

せっかく外の食事なのに、歩きながらパンと果物を齧っただけで終わってしまった。さらには、興味深い物もたくさんあったのに全て素通りときた。

その都度小さくちぎったレッドジェムを口に押し込まれ、それで納得してしまった過去の私に渇を入れたい。


しょぼつく目を擦ってあくびを零すと、肩にかかっていた小さな水筒に口をつけた。

外気に晒されていた水筒が思いのほか内容物を冷やし、喉を通った水の冷たさにふるりと震える。

きゅっと栓をした手の中で、ちゃぽんちゃぽんと液体の揺れる音がした。


非常に軽くて丈夫で、液体が漏れることもなく、ついでに吊るす紐を巻くためのくびれまでついている。こんなに私たちに都合のいいものが、植物なのだという。

私の知識の中にも確かにある、これとそっくりな植物――ひょうたん、というもの。それらがレッドジェムと同じように植物の実だなんて信じがたい。


「思ったより遅くなったな。宿が空いてるといいが……」


水筒に意識が飛んでいた私は、リトの呟きに首を傾げた。


「空いてないと、寝ねない?」

「お前は俺が抱えてでも寝られるだろ。わざわざ外で野宿すんのも何だし……朝一の馬車に乗るなら、飲んでりゃすぐだろ」


まさか、リトは寝ないつもりなんだろうか。

飲むと言うならお店なんだろうし、椅子があるだろう。


「交代ちたらいい。りと、しゅわって寝やえる? りゅー、起こちてあげる」

「ふっ! そうか、分かった。なら、宿がない時はそうしようか。お前が先に寝て、俺が次だな」

「そう」


こくりと頷くと、リトは可笑しそうに声を潜めて笑ったのだった。



私の方はリトと交代で寝る、というハードスケジュールをこなすつもり満々で気合を入れていたのだけど、宿は3軒目であっさり見つかった。少々残念な気分になるのは否めない。


「お疲れさまでした。どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」


宿の人はリトに視線を合わせて頭を下げ、ちらりと私と目を合わせて微笑みを深くした。

私のにまにまとは違うし、リトの大きい笑いとも違うけれど、いいなと思う。私も、こんな風に柔らかく笑えるといい。


「疲れたろ? 明日は早いから早く寝ろ、今すぐ寝ろ」


部屋へ入るなりブーツと上着を脱ぎ捨てたリトは、髪を解いてわさわさとかき混ぜた。

タテガミのような濃紺の髪がぶわりと広がって、リトがひとまわり大きく見える。

そして、尻をついてブーツを脱ごうとする私のケープと上着を脱がせ、ひょいと片手で持ち上げぽいぽいとブーツと靴下を引っこ抜いた。

そのままベッドに下ろされ、横になる隙もなくばんざいで服が飛んでいく。


「ピィッ」


次いでテーブルの上にペンタとペンタ部屋を乗せ、リトは自分の服を乱暴に剥いで椅子に放り投げた。

リトも寝るのか。なら、私も寝てもいい。

邪魔なズボンも脱ぎ捨て、残るは薄布一枚。体が随分軽くなって大きく息を吐く。

ぱふんと布団の上に倒れ込むと、さらさらのリネンが手足に心地いい。


「退け退け、おらっ!」


そのまま目を閉じようかとしたところで、リトが思い切り布団をまくった。物凄い勢いで転がった私の喉から、きゃっきゃと甲高い音が出る。

大急ぎでさっきの位置まで戻ると、リトがもう一度勢いよく布団をまくった。

もう一度、もう一度!!

あまりの面白さに、口が開いて笑みが音となって零れ落ちていく。閉じない口からよだれまで垂れて仕方ない。


「おいおい、目ぇ覚めちまうだろ。もう終わり! 寝るぞ」


はあはあと息を荒くした私を捕まえ、リトはぎゅうっと抱き込んで布団の中へ入ってしまったのだった。




「――無理して起きてんな、寝てろ」


リトの呆れた声が、分厚い胸板越しに聞こえる。

私は必死にまぶたを押し上げ、何とか覚醒しようと大きく深呼吸した。

私は、起きていたい。だから、毛布で包まなくていい。本当はこのままでいいのだけど、よくない。

覚醒するには……そうだ、明るい光が必要なのだから――


「らでぃあん――」

「ちょっと待てぇー?!」


私の呟きに過敏に反応したリトが、ぱちんと音が鳴る勢いで私の口を塞いだ。

なぜ口を……? 驚いて魔法は止まったけれど、正直口を閉じても魔法は発動できると思うのだけど。

想定外の行動に少し目が覚め、私は口元をぴっちり抑える手を引っ張った。


「お前、今アレやろうとしたろ?! 大騒動になるわ! 町中で魔法は使うな、禁止!!」


額の汗を拭い、リトが大仰にため息をついた。


「りゅー、起きる……」

「分かった分かった、じゃあ歩けばいいだろ」

「…………」


そうじゃない。本当は、毛布に包まれたまま目を覚ましたかった。

温かい腕の中から下された私は、渋々リトと手を繋いだ。


まだようやく人の顔が分かる程度の早朝、私とリトはこうして馬車に乗るべく宿を出た。

やっと馬車に乗れる。

だんだんと追いついてきた高揚感が、眠気をじりじり押しやっていく。

静かな町の中で、少しだけ音が多い場所。

ぶしゅう、ぶるる、と馬の音がする。誰かの会話の声がする。

乗り場に近づくにつれ、リトに引っ張られていた私の足がだんだん早くなり、ついにはリトを引っ張り始める。

引かれるままに歩いていたリトが、ふと大きなため息をついた。


「リュウ、ちょっと待て」


言うなり素早く私を抱え、スッと細い路地に身を隠す。

なんだろうと見上げると、しいっと人差し指を立てられた。

こくりと頷いて唇を引き結ぶと、ややあって慌てたような足音が響いてきた。

どこかへ急ぐのかと思いきや、どうも右往左往しているように思える。


もう一度深々と溜息をつき、リトはすうっと影のように移動して――


「……何を探している?」

「ヒェアッ?! あっ、おっ、り、リト!! ききき奇遇じゃねえか!」


真後ろに立ったリトが低い低い声を垂らすと、その人は面白いように飛び上がった。

大汗をかきながらぎこちなく振り返った人物に、私はぱちりと目を瞬いた。


「……? らざく?」

「そ、そう! よく覚えていたな、一緒に過ごしたことのあるラザクさ……さんだ!」

「過ごしてねえ、攫ったんだろうが」


リトの声が低い。

私はむっとしてリトの髪を引いた。


「りゅー、さわわれてない」

「さ、ささ攫ってなどは! 決して!! 俺はさあ、本当に、本当~~に助けようと思ってだなぁ!」


同時になったセリフに、ラザクが救いを求めるような顔をする。


「助けたのは、こいつだったけどな? とにかく、着いてくるな。言いたいのはそれだけだ」

「い、いや、別に、俺はたまたまここにいただけでぇ……」

「なら、もうお前の顔を見ることはねえな?」


じろり、と見下ろすと、ラザクがぎゅうと縮んだ気がした。

涙を浮かべた瞳で見上げる様は、ペンタにちょっと似ていて可哀そうな気がする。

ラザク、どうしてここにいたんだろう。

知らない人ばかりの町で、知っている顔がいると嬉しいのだな。たとえそれが、ラザクでも。


さっさと歩き始めたリトの肩越しに振り返り、もうついてこないラザクに少しがっかりしたのだった。





◇◇◇◇◇◇


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