第72話 2回
「らざく! らざく!!」
呼びかけて、ダメだと確信した。やはり意識がはっきりしていない。
このままラザクが襲われたら、私に助ける術はない。そして、逃げる術もない。
取れる手段は……私に注意を向けること。そして、私がなんとかやり過ごすしかない。
唯一攻撃に使えるだろう武器は、火の魔法。着火のための道具も、あれからちゃんと用意してある。
だけど、私がささやかな火を噴いたところでどうだろうか。
マーシュドルに届かないばかりか、飛び退かれてしまえばダメージなど皆無。そもそも、あの鱗に火が通用するのだろうか。
だけど、ともう一度私は考えた。
相手はトカゲなのだ。何も、私に恨みがあって付け狙っているわけではない。ただ、目の前の餌を食べようとしただけ。ならば、このエサは食べるに適さないと思わせればいい。
そう、あの時口に入れて、すぐさま吐き出した熱い熱いお粥のように。
だから、たとえ小さな炎でも、口の中ならば……! きっとマーシュドルは口内をやけどしたことなどないだろう。食べられないと認識するに違いない。
方針を決めて、ひとつ頷いた。
そのためには、上手に食われる必要がある。口へ入れる前にあの前足で引き裂かれては困るのだ。
ほどよく木の上にいるのだから、さっきの釣り餌よろしく食いつけるようにすればいい。
「らざくより、りゅーがおいちい!」
食いではないかもしれないが。
意を決して枝にぶら下がり、ばたばたと足を振る。
落ちないように、落ちないように……地面に落ちたら、食いちぎられるかもしれないから。
思惑通り私へ引き寄せられるマーシュドルと、思惑が外れて滑った私の手。
あ、と思ったけれど、幸いと言っていいものか、マーシュドルの方が素早かった。
大きな、大きな口腔と、並んだ牙。
落ちる私を上手に捉えた上下の顎が、閉まる。
何の躊躇いもなく閉じられた牙は、ちょうど私の顔と、下腹部の上。
爪は黒かったけれど、牙は白っぽいのだな。
小さな私にはお釣りがくるほどの、致死の一撃。
「……いっかいめ!」
焦点が合わないほど間近にある牙を見つめ、宣言した。
よかった。微妙に齧られたりすれば、発動しなかったかもしれない。それだけが懸念だったのだ。この小さな体だから、大体は致命傷だとは思ったのだけど。
安全マージンを考えるなら、余裕はない。
次の咀嚼は受けるわけにはいかない。けれど、威力が弱くてもいけない。
ぎりぎりまで魔法を発動させて可燃性物質を周囲にため込み、かつ機会を逃さない。
その間は恐らく、ものの数秒だったのだろう。
マーシュドルが、少し顎を上向けた。
来る……次の咀嚼!!
「にかい、め!!」
私は目を閉じて、力強く着火道具をすり合わせた。
その瞬間――炸裂した、音と、光。
自分の周囲に不可視の膜が形成されているのを感じて、ホッと安堵する。
想定より激しい爆発は、私にとって十分に致死的だったらしい。そして、1回目の発動と干渉し合うことなく上手に発動してくれた。なんと賢いAIが内蔵されているんだろう。
よかった、下手をすれば、トカゲのために私自身を丸焼きにしてあげるところだった。
――だけど、落下の衝撃は弾くに至らないと判断されたらしい。
ばさばさと葉っぱと小枝を折りながら藪の中に落ち、これはこれで結構痛いと思った。
枝の絡まった髪を払い、服を払ったところで、見つけてしまったのだ……あのカギ裂きを。
そこまで話したところで、つい服に視線をやってしまい、再び気分が急降下するのが分かった。
「あー、服なんざいくらでも買ってやるから! そんっっなしょうもないことで泣くな」
「しょうもないなない!」
「はあ……お前の心の基準が俺には分かんねえよ。とにかく無事でよかった……すげえやつだ、お前は」
大事に大事に抱え込まれて、私の口元がによによと緩む。
もう大丈夫。リトがいる。
「りゅー、ばんがった」
「頑張りすぎだ。けど、助かった……」
助かったのは、私だけれど。
そして全ては、リトからもらったシールドの魔道具あってこそだったけれど。
「マジで渡しといてよかった。まさかこんなことがあるとは思わなかったけど。だけどな、シールドの魔道具はそういう使い方をするもんじゃねえんだよ! 万が一の時、最後の最後の命綱っつうか賭けなんだよ! 意図的に使うモンじゃねえ!!」
「ちゅかわないと、助かやない」
「そうなんだけどな?! フツー、そんなことできねえだろ! お前、つまりは既に2回死んでるっつうことだぞ!」
死なないために使ったのだけど。
それも、ちゃんと安全策をとってシールド発動2回までで片をつけるようにしたのに。リトが発動は3回くらい、と曖昧なことを言っていたから。そして、万が一策がうまくいかなかった時のために、もう一回はとっておきたかったから。
私は、藪の中に横たわる巨体に視線をやった。ピクリともしないところを見るに、既に息絶えているのだろう。想定外の爆発は、想定外のダメージを与えていた。
口腔内からの攻撃は、かなり有効だ。多くの生物において、重要な器官と近接しているから。
同じ手を使えるなら、私でも魔物に対抗できるかもしれない。漏れなく私が巻き込まれるけれど、爆発を除いて1回、運が良ければ2回はシールドが発動する。
だけど、察したようにリトが私を抱く腕を強めた。
「馬鹿が……攻撃のために使うなんて、絶対に考えるなよ。シールドは万能じゃねえって言ったろが。発動しないこともある。それにマーシュドルくらいなら弾けたが、他の魔物ならシールドが持たなかったかもしれねえんだぞ。あの爆発だってそうだ」
そうか……自爆になってしまっては困る。
リトは私の胸元からペンダントを引っ張り出し、握り込んだ。
「ピィ……」
もう安全と気づいたのか、ペンダントと一緒にペンタも服の中から顔を出す。
そのままよじよじと登って肩まで行くと、迷惑そうに方々の毛並みを撫でつけ始めた。
ペンタにも、ずいぶん助けてもらった。
私がラザクを守ったように、ペンタも私を守った。今のままでは、私はラザクと同じになってしまう。そう考えて、眉根を寄せた。それは嫌だ。私は、ペンタにとってのリトにならなくては。
難しい顔をしているうちに、リトが魔道具に魔力を込め終わったらしい。
せっかくあるのに、使わないとはもったいない。
少し唇を尖らせて見つめると、リトが苦笑した。
「こういう魔道具はな、壊れたからって次があるもんでもねえんだ。着けているっつうことを忘れるくらいでいいんだよ。発動したら儲けモン、ってとこだ」
言いながら私の胸元を引っ張ってペンダントを落とし込み、押し込むようにポンと叩いた。
銀色の瞳が念を押すように『使うなよ』と覗き込むから、渋々頷いておく。
「さあ、帰るか」
立てるようになったらしいリトが、そう言って私を抱えたまま立ち上がった。
「頑張ったご褒美は、何がいい?」
「くいーむの、ぱん!」
「……まあ、いいけどよ。なんか、美味いモン食わしてねえみたいじゃねえか。もっと色々あんだよ、食いに行こうな」
もっと、美味いもの……!!
木々に隠されていた夜空が一面に広がっているのを見上げ、私は瞳を輝かせていた。
……そして、危うくラザクを忘れて帰りそうになったのだった。
慌ててリトに伝えた時、小さく舌打ちしたのは、気のせいだと思うことにした。
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