第65話 ご注文は以上で

振り返ってみると、どうやら今おしぼりを渡したばかりの人たちに呼ばれたらしい。

私ができる仕事は終わってしまったけれど、呼ばれたなら行くべきだろう。転ばないよう駆け戻ると、大きな男たちを見上げた。


「何さっさと戻ってんだよ。もう注文は決まってんだよ、聞いて行けよ」


笑みを浮かべているけれど、なんとも気の毒なことに、この人たちの笑顔は不愉快な気分になる。にやにや、と言えばいいだろうか。私より笑顔が下手な人を初めて見た。

そろって似たような笑みを浮かべた3人の男に見下ろされ、小首を傾げる。


「ごちゅうもん、おかみさんをよよびします」


ぺこり、と頭を下げて厨房へ向かおうとすると、ずいと目の前で足が通せんぼした。


「お前が取れって言ってんだよ、早くしろ!」


長くもない足で私を止めた男が、バン、とテーブルを叩く。

ちら、と厨房の方に目をやったけれど、おかみさんは忙しそうだ。

私はもう一度男たちを見上げて頷いた。彼らは随分お腹を空かせているみたいだから、取り急ぎ私が注文を受けよう。だって、空腹はとてもつらいものだから。


「ごちゅうもん、どーじょ」

「……チッ、かわいくねえガキだ」


いざ、と間近く寄ってみれば、逆に面食らったような顔をされてしまった。

かわいくないと言われることはなかったので、少し嬉しい。エプロン姿はあまりカッコよくないと思ったのだけど、そうでもないみたいだ。


決まっていると言っていた割に、おもむろに注文表を開きだしたので不思議に思ったけれど、もしかすると私に見せるためかもしれない。中々に親切な人たちらしい。


「これと、これと、これ――おい、復唱しろよ」


メニュー表を指しながら言われるメニューにこくりこくりと頷いていたら、そう言われてしまった。復唱、と言うけれど、まさか『これ』を復唱という意味ではないだろう。


「ががいもとまゆまめのれーじーさやや、ちょりとてんてんしょうのさや風むち、こうじーしゅてーき――」

「は? てめえ、適当言ってんじゃねえだろうな?! お前みてえなチビが読めるわけねえ!」

「りゅー、読める。大丈夫」


いくらも読み上げないうちにそう言われ、きょとんと目を瞬いた。そうか、この年で読める子どもは少ないとリトも言っていた。


「メニューくらい、読めなくても覚えてんじゃねえ? 続けろよ」


面白くなさそうな顔をして、他の二人も次々注文を指し始めた。さすが、身体が大きいだけあってたくさん食べるらしい。メニュー表全部注文するつもりだろうかと思うほどのオーダーを受けたところで、やっと終わったらしい。


「あいがとうございましゅ。少々お待ちくだたい」

「間違ってたら、ただじゃおかねえからな?」


間違っていようがいまいが、料理はタダではないので、それでいい。

ぺこり、と頭を下げると、とてとてと厨房へ向かった。ちょうど、他のお客さんがおかみさんを呼んで、何か伝えているところだ。

慌てて飛び出してきたおかみさんが、私を抱きしめて男たちに向き直った。


「りゅーちゃん! ごめんよ、大丈夫かい?! ちょっと、この子はただの手伝いだよ、注文はあたしを通しとくれ!」

「知らねえなあ、注文は全部伝えたんだからよ、間違ってたらどうなるか分かってんだろうな?」


だから――と言い募ろうとするおかみさんを見上げ、私は首を傾げる。


「りゅー、間違えない。だいじょうぶ」


そんなに心配なら、ここで確認してもらえばいい。

私は男たちを振り返った。長くなるから、まあいいかと思ったのだけど。


「では、ごちゅうもんを繰い返します。ががいもとまゆまめのれーじーさやや、ちょりとてんてんしょうの――」


つらつらと述べていくメニューは、発音こそ怪しいけれど、おかみさんにはこれでも伝わるはずだ。

だんだんと男たちの口が開いて、ついでに周囲のお客さんの口も丸く開き始める。


「――と、きせちゅのくやものじゅーしゅ。ごちゅうもんは以上27品でよよしかったでしょうか」


絶対に間違っていないと言えるけれど、誰も良しと言ってくれない。しんと静まった食堂の中で、厨房のおやじさんが忙しく鍋を振る音だけが響いていた。

みんな、何を待っているんだろうか。もしや、何か言い足りなかったろうか。


「……合わしぇて、小銀貨7枚、銅貨2枚と小銅貨5枚になります」


そうか、金額かと追加してみたものの、店内にはさらに静けさが広がっただけ。

日本円に直せば8万円前後になる。安いお店ではないけれど、高級というほどでもない食堂なのに、3人で随分飲み食いするものだ。とてもじゃないけれど、テーブルには乗らないと思う。


ふはっ、と誰かが笑った。

途端に、店のあちこちからくすくす抑えた笑みが広がっていく。

我に返ったおかみさんが、満面の笑みを浮かべて私の頭を撫で、胸を張った。


「まいどありぃ! あんた、大量注文だ、張り切って用意しとくれよ!」


大きなおなかを揺すって、おかみさんは私の手を引いて歩く。とても、とても愉快そうに笑い声を響かせながら。

ちら、と振り返った男たちは、思い切りテーブルを蹴りつけて赤い顔をしていたのだった。




「――はい、お待ち! まずは、ガダイモと丸豆のデージーサラダ、鳥とテンデン草のサラ風蒸し、コウジーステーキ戦士サイズ――」


配膳は任せろと、頼もしいおかみさんが両腕いっぱいにメニューを運んで次々テーブルへ並べていく。やっぱりテーブルが足りなくて、空いた一つをくっつける羽目になってしまった。

一方の私は、さっきから忙しくしている。


「お手伝いさん、こっち!」

「はい~」


ちょこちょこ駆け寄ると、スプーンが差し出される。


「頑張ったお手伝いさんに、ごほうび」

「イイコに、ごほうび」


そんな調子で、いろんなテーブルに呼ばれて、ひとくちのご褒美をもらう。

そういうシステムだったろうか? 不思議に思いつつ、いただくひとくちのご褒美に私は口元が緩みっぱなしだ。

お手伝いとは、何といいものだろうか。もっと早くにやればよかった。


ご機嫌でお手伝いをしていると、近くでがちゃん、と大きな音がした。

振り返ると、さっきの男たちが私の方を睨みつけて指さしている。


「おい! こいつが料理をひっくり返しやがった! どういうつもりだ!」

「りゅー、ひっくい返してない」


そんなにそばを通ったわけでもないのに。言いがかりも甚だしいと不審の目を向けると、男はますます怒りの形相をみせた。


「見てたぞ、この子はかすりもしてなかったじゃないか!」

「いい加減にしなよ!」


周囲のお客さんたちが口々に擁護してくれるのを『うるさい!』と一喝し、男が立ち上がった。

そして、おかみさんが駆け寄ってくるより早く私の胸倉を掴む。

男の挙動に伴って、私の軽い体は簡単に引き寄せられる。これは、もしや因縁というやつではないだろうか。普通、こんな幼児にする行為ではない気がするけれど、この男たちは私を対等な存在と認めたのかもしれない。


お客さんの悲鳴が聞こえ、私の足が完全に宙に浮いて持ち上げられた時、タイミングをはかったように音をたてて扉が開いた。


「ちょっと待てよ、お前、そんなことしてタダですむと思ってんのかあ?!」


威勢のいい声が響く。足をぶらぶらさせたまま首を捻ると、眩しい日の光を背に、戸口に誰かが立っているのが見えた。

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