第64話 お手伝い

「じゃあ、行ってくるが……」

「いってらったい」

「ピィ」


手を振る私を見つめ、宿の出入り口に向かいかけたリトが足を止めて複雑な顔する。


「お前、本当に大丈夫だろうな?」

「りゅー、あむなくない。あむないのは、りと」

「いやまあ、そうかもしれねえけどよ」


中々出発しないリトに、首を傾げる。

こうしてうだうだと扉へ向かおうとしてはためらい、かれこれどのくらい経つだろうか。もうやべえ時間だと言って部屋を出て来たはずなのに、悠長にしていて大丈夫だろうか。


「お前、寝てろ。部屋でずっと寝てろ。俺が帰ってくるまで」

「りゅー、なない」


だってリトの帰りは、早くても夕方だと言っていたではないか。そりゃあ、ペンタの気配だって呆れたものになろうと言うもの。


そう、今日は私がお留守番をする日なのだ。

なんでも、知人からリトに応援要請が来たらしい。

こういうことがあるから、何年も同じ町には留まらないようにしているとぶつくさ言っていた。

本来は私も一緒に行きたかったのだけど、リトはともかく他の人が許さなかった。

ギルドで非難轟々のリトを見て、私も渋々察するしかなかった次第だ。


「あのな、知らねえ人に声かけられても――」


屈みこんだリトは、真剣な顔で話しているものの、それはもう5回は聞いた。おざなりに頷いて聞き流していたところで、宿の扉が思い切り開く。


「どこいった、リトぉ!! ……っているじゃねえか?! 何やってんだよお前ぇ!!」

「別に、置いて行ってくれていいんだが」

「主戦力置いて行けるかぁ!!」


顔を真っ赤にした体格の良い男が、大声で怒鳴ってずんずん近づいてくる。

がしりと首根っこを掴まえられ、リトは渋々立ち上がった。

この人は、リトが私を拾った時にも冒険者チームを引っ張っていたリーダーらしい。初めて会った時、ものすごく驚いて、リトを見て、また私を見て。そして、ものすごく笑った人だ。


「どんだけ過保護なんだよ?! いきなり子煩悩になるんじゃねえわ!」

「違うわ、お前こいつがどんだけ危ういか知らねえから――」


彼はリトを半ば引きずるような勢いで出て行こうとする。

手を振る私の後ろから、おかみさんの大きな声が響いた。振り返ると、包丁を振りながらけらけらと笑っている。


「心配症だねえ、リュウちゃんは気を付けておくよ!」

「頼む、飯食う時も目ぇ離さねえように――」


まだ何か言いながら、リトの声は扉の向こうに消えていったのだった。

手を拭き拭き厨房から出てきたおかみさんが、私の頭に手を置いて苦笑する。


「まったく、リュウちゃんはウチの悪ガキと違って、こんなに聞き分け良くて賢いのにねえ」

「りゅー、ちゃんと聞き分ける」


こくりと頷いて、完全に閉じてしまった扉を見つめた。大丈夫、リトはちゃんと帰ってくるから。


「本当にいい子だよ。リトさんは高ランクだからねえ、ここいらの魔物に遅れを取ったりしないよ」


もう一度、こくりと頷いた。

今回は中型魔物の討伐。少々数が多いので安全のためにリトが呼ばれたらしい。リーダーは主戦力、なんて言っていたけれど、万が一の用心棒みたいな意味合いだそうで、リトだけは一匹も魔物を倒さなくても収入がある。


『仕方ねえ、せめてもの餞別ってことにするか』


ほんの少し視線を下げて、リトはそう言った。

……私たちは、今週末にこの街を出る。誰にも、何にも言わずに出る。

リトが旅支度しているのは知られているけれど、いつ

どこに行くのか誰も知らない。

それでいいのだろうか。

私はただ、ぽん、ぽんと頭を撫でる柔らかくて大きな手を感じていた。



おかみさんは、少しばかり不安そうな顔で私をのぞき込んだ。

「ちょっと重いけど、いけるかい? リュウちゃん」

こくり、力強く頷いて私は両手を差し出す。渡された盆を受け取ると、なるほどずしりと手が下がった。だけど大丈夫、このくらい運べる。

じっと盆に乗せられた料理を見つめ、慎重に足を踏み出した。前が見えないので、少しずつ、足で探るようにじりじりと進む。


いける、いける。わずかに視線を外して距離を測った3番テーブルは、もうすぐそこだ。さっきから私が運ぶのは3番と7番ばかり、厨房から一番近い席で助かっている。リトなら多分、二歩の距離だ。

息を詰めて少しずつテーブルに近づく私を、なぜだか周囲も固唾をのんで見つめている気がする。


「どーじょ」


無事に盆の端をテーブルに乗せたところで、ホッと安堵して失敗した。

ぐらり、と盆が傾いて、乗っていたサラダボウルが宙を――舞う寸前、お客が見事にそれを掴み取る。


「……ふう。ありがとうよ、ちっこいのに頑張ってんな」


周囲に張りつめていた緊張感が緩んで、脱力した面々が各々汗を拭ったりなどしている。その様子を不思議に思いつつ、ぺこりとおじぎをひとつ。


「ごゆっくい。しちゅれいしましゅ」


帰りはお盆しか持っていないので、颯爽と踵を返して駆け出し、見事にテーブルの脚に引っかかった。


「「「あああっ?!」」」


ガタガタっと一斉に物音がしたと同時に、私はびたーんとフロアに腹で着地していた。飛んで行ったお盆がくわんくわんと先に厨房まで帰って床で回っている。


「…………」


大丈夫、大して痛くはない。失敗したと思いつつ起き上がってぱんぱんと体を払った。さて、と顔を上げた時、席に座っていたはずの客たちがそろって腰を浮かせていることに気が付いた。

急に立ち上がった大人たちを不審に思って見まわすと、一斉に視線を逸らして着席する。

何事もなかったように再開された食事風景に首を傾げ、今度はトフトフ歩いてお盆を拾った。


「大丈夫かい、リュウちゃん。強い子だねえ! だけど無理しなくていいんだよ?」


おかみさんが眉尻を下げて屈みこみ、私の全身を確認した。


「りゅー、大丈夫。できる」

「そうかい? じゃあ、新しく来た人におしぼりを渡してもらおうかな」


宿のお昼は、案外忙しい。食堂の評判がいいらしく、宿泊客以外がたくさんやって来るのだ

私の食事はと言えば、リトが昼・夕と先に注文してあったから、席に座ればおかみさんが持って来てくれる手筈になっていた。

昼まで部屋でぼうっと過ごし、暇を持て余して早めの昼食を取っていた時、ふと思いついたのだ。

私はこうして大変退屈をしているから、忙しくなるなら手伝えばいいのではないかと。

最初は遠慮していたおかみさんたちも、私が重ねて手伝うと申し出れば、こうして少しずつ仕事を振ってくれるようになった。


最初は、椅子をテーブルに入れる仕事。次に、入って来る人にいらっしゃいませをする仕事。そして、さっき初めて食事を運んだ。

いつもサラダセットはメインとサラダが一緒に出される気がしたけれど、今日はサラダだけ先に渡すらしい。きちんと役目を果たせて、私は大変満足だ。

だけど段々客が増えてくると、配膳作業は力のあるおかみさんのものになってしまった。私はひたすら椅子を直し、いらっしゃいませを言い、おしぼりを渡す。おかみさん達に倣って、ありがとうございましたを言うことも覚えた。


つけてもらったエプロンのひもをひらひらさせ、狭いテーブルの間を忙しなく動き回っていた時、出て行った数人と入れ替わるように、またお客さんが入って来た。


「いやったいまてー!」


段々と適当になってきたいらっしゃいませを言いつつ、とてとて走ってそつなく人数分のおしぼりを渡す。

そのまま立ち去ろうとした時、おい、と呼び止められた。








◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


いつも読んでいただきありがとうございます!

2作品2日起き更新が少々厳しいので、少し更新頻度落とすと思います……すみません!

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