第58話 ろうそくに火が灯るとき
私がやっと泣き止んだのを見て、リトが大きく息を吐いて脱力した。
「マジで何なんだよ、いきなり……ガキってのは本当分かんねえ」
リトは全くいつもと変わりない。
なら、なぜあの時何も言わなかったのか。
あんな風に押し黙ることなど、今までなかったではないか。
ひくり、ひくりと勝手に飛び跳ねる体に難儀しながら問いかけると、呆気なく返答が返って来た。
「それがよ、ここまで出て来てんだけど、思い出せねえの。何だったか……そういう現象があった気がすんだよ」
ここ、と手のひらを頭の辺りまで持ち上げ、リトが身もだえしている。
相変わらず、リトの言うことは分からない。そういう現象とは、一体何を指しているんだろうか。
「昔の宗教関連だったと思って、探してたんだが――あ!」
私を抱えたまま、片手に持ってきていた小さな本を無造作に開き、ぴたりと動きが止まる。
真剣な表情で文字列を追う視線を辿って、私も紙面に目をやった。
『魔物憑き』そんな文字が飛び込んできて、思わず息を呑む。
「まもも……。りゅー、まもも?」
人の思念、この場合は怨念と言うのだろうか。そういったものが集まって具現化した魔物がいるそうだ。
元の世界の幽霊と似ていると思うのだけど、伝承なんかではなく実際に存在してれっきとした被害がある。
単体で存在する魔物ではあるものの、物質的な体を持たないために、生き物の遺体に憑りつくことが――
そこまで読んで、私はリトを見上げた。
私は、魔物なのか。
リトが切った、ゴブリンと同じ。
銀色の瞳は、まだ真剣に文字を追っている。
私は、ずっとその瞳を見つめていた。
ぱらり、とめくられたページで終いだったらしい。
リトは満足そうに、小さく息を吐いて本を閉じた。
「……やっぱな、これで色々腑に落ちたわ」
ふいと下がった視線が絡み――リトは、笑った。
私は急いで唇を引き結び、ぱしぱしと目を瞬いた。
「お前、読んだか?」
「よんだ。りゅー、まももだった」
こちらをまっすぐ見る瞳を見つめ返し、静かに頷いて私の理解を示す。
だけど、リトは変な顔をして私の頬をつまんだ。
「なんでだよ、お前、ちゃんと読んだか?」
言われてきょとんと首を傾げる。そういえば、私はどうして途中でやめてしまったのだろう。
これだって、きちんとデータとして取り込まなければいけないのに。
読んでねえな、と苦笑したリトが、再び先ほどのページを開いてみせる。
「お前、魔物憑きのことを言ってんだろ? 違うだろうが、ちゃんと続きを読め。お前は、
指で示された部分を、食い入るように読んだ。
魂変わり……私は、魔物じゃない。
「お前、色が変わったって言ったろう。ほら、書いてある。そんなこと、あり得ね~と思ったから覚えてたんだよ。ちなみに、魔物憑きなんざただのアンデッド魔物のことだからな? お前みたいな知性なんてねえんだよ」
もうすっかりデータとして取り込んだ情報を、丹念に丹念になぞり、何度も読みこんだ。
私は、魔物じゃなかった。
魔物は、嫌だった。多分、リトと同じが良かったから。
リトに、切られたら嫌だったから。
俯いて文字列を見つめながら、息を止めて。
そっとそっと溢れてくる水分を拭う。
相変わらず定期的に飛び跳ねている背中を、リトの大きな手が何の気なしに撫でていた。
「お前には記憶があるからなあ。『魂変わりは、誕生したばかりの魂によって――』ってとこが合わねえ気がするけど、もしお前が言うように別の世界から来た魂なら、新たにって言えなくもねえのか」
なんとか流れるそれを止めることに成功したところで、思わぬセリフに驚いて顔を上げた。
『魂変わり』は、世界に新規発生した魂が、輪廻の輪より先に『使える体』に入ってしまうことによる、非常に稀な現象。魂の新規発生自体が非常に稀なのだから、リトの言う『あり得ない』に限りなく近い現象だろう。
魂が変われば体も変わる。さすがに体の大きさは変わらないけれど、色は即座に、その他の身体的特徴も徐々に魂に沿ったものになるのだとか。
だけど、私に魂はない。意思の芽生えを、魂と誤認したのだろうか。
一体誰が。世界が?
「たま、しぃ……りゅう、ないとももう」
「あるわ、馬鹿」
端的に切って捨てられ、ぽかんと口が開く。ついでにほろりと頬を雫が伝った。
気付いたリトが、袖で頬を拭う。硬くて痛いリトの服が、ごしごし私の頬を擦って熱を持つ。
「なんでないと思うんだよ。ここにあるだろうが」
とん、と胸を突かれ、釣られるように柔らかな服を見つめる。
それは、普通はここにあるということだろう。私の視線に気づいて、リトは頭を掻いてから、そっと顔を寄せた。
「魔力が見えるんだから、魂の光が見えたっておかしかねえだろ?」
「ほんと? でも、りゅーは見えない」
「でも、俺には見える。まっさらで透明で、小さいのが、ちゃんとある。見ろよ、俺のなんか馬鹿でかくて、随分昔から使い古されてる」
だから、私には見えないと言っているのに。いくら目を凝らしても、光なんて見えない。
やっぱり、それは私を納得させるための方便な気がする。
「見えねえか? じゃあ、気にする必要もねえな」
え、と視線を上げると、リトが肩をすくめてにやりと笑った。
「見えもしねえもんを、何で気にする必要がある」
「…………」
私は、すっかり驚いてしまった。
なんだ、そうか。
とても、大事なことだと思っていた。それが、ヒトがヒトである条件の一つだと思っていた。
だけど、誰にも見えない。
私にはないかもしれないし、リトが言うように、あるかもしれない。
私は、胸に手を当て深呼吸した。
「……じゃあ、りゅーの、ここにある」
「おう。あるぞ」
ほわり、と胸の内が温かくなった気がした。
今、きっとここにろうそくができて。
そしていつか、本当に魂の光が灯るのだ。
そんな気がして。
私は、ほんのり笑みを浮かべたのだった。
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