第56話 準備中
サリサリサリサリ……
豆粒ほどの小さな実を両手でつかみ、ペンタは忙しく口をうごめかせている。
小さいわりに歯ざわりよく、さくりとした甘酸っぱい実。
おいしい。
爽やかな香りを残して口の中からなくなったそれを、再びつまんで咀嚼する。
負けじとペンタが器に駆け寄って、両手に一粒ずつ掴んだ。小脇に抱えるように2つを抱きしめ、迷った末に交互に齧り始めた。
「……ひとちゅずつなないと、食れべないとももう」
危なっかしい様子にそう言ったか言わないかのうちに、小さな手からはつるりと両方がすっぽ抜けて転がった。
勢いよくテーブルの端から落ちた果実を、ペンタが呆然と見送って私を見上げた。
何か訴えかけるような大きな瞳が、まるで涙をいっぱい溜めているようで、つい笑みが浮かぶ。
大丈夫、まだたくさんあるし、それに。
「落とすな、ちび助」
床に落ちる前に2つともキャッチして、リトがペンタの前へ置いた。
そのリトを見るペンタの目と言ったら!
にまにましていると、ふいに頬をつつかれた。
「べそかきはもういいのか」
「りゅー、べしょかきない! ここよのきじゅを癒ちていただけ」
だって、もう取り返しようのないことだもの。
ただ、少しばかり落ち込んで布団で丸まっていただけだ。
「解体も魔物も平気なくせに、すげーーどうでもいい所で負傷すんなよ……」
どうでもよければ、傷を負ったりしない。私にとって、あの草笛は大事なものだったのだから。
ああ、あの時手から離したりしなければ……せめてどこかへ入れておけば良かったのだ。
あんなにいい音が鳴る草笛だったのに。
昨日帰ってきて、草笛がないことに気づいた時は取り乱してしまった。
探しに行くと言っているのに、リトがダメだと言うし。
朝からもその出来事が尾を引いていたのだけど、ペンタと果物のおかげで気分は上向いたようだ。
「そろそろこの町を出るからな、お前も心づもりしておけよ。忘れたからっつって戻ってこねえぞ」
そうか、私には大事なものが増えた。常に気を配っていなくてはいけない。
ペンタは勝手についてくるからいいとして、木剣や私の服はそうもいかない。
「お前にも、これ渡しておかねえとな」
そう言って差し出されたのは、リトの腰にあるような小さな巾着。これは、魔道具に違いない。
だって、リトの袋は巾着サイズなのに剣が入っていたりするのだから。
「収納袋だ。カバン2、3個分くらいは入るだろ。人前で出し入れすんなよ、高いやつじゃねえけど、相手がお前なら、そこらの子供にだって盗られるからな」
こくりと頷きつつ、興味津々で果物を入れてみた。
不思議だ。実に不思議だ。
入れたものが、袋ではなく別の場所に消えていく感覚。どこかに収納用スペースがあって、袋の口を通してそこと繋がっているのだろうか。
「お前の記憶倉庫も、こんな感じじゃねえ?」
「りゅーの?」
似ている、だろうか?
だとすれば、この袋は入れたものを、外部ストレージへデータ化して記憶しているのだろうか。
こういうものがあるから、私の魔法も『あり得る』と納得してもらえるのか。
リトはリトなりに、私を理解しようとしてくれている。
むずむずと胸の内が浮ついて、温かくなる。
……だけど、伝えきれていないことはたくさんある。
「で、せっかくだから記録館で旅に関することとか、今後の役にたつ知識を仕入れた方がいいんじゃねえ? 地図とか町のこととか、お前覚えられんの?」
私はぱちりと瞬いて頷いた。
仕入れるべき知識はあまりにたくさんあるけれど、そこに使える時間は有限。
なるほど、リトが知っていることはリトから聞けばいいのだ。リトが知らないことを、私が担当すればいい。
「地図、らいじょうぶ。五感情報を取い込めうようになったので。あの、おーきい地図、記憶ちてる」
「大きい地図……? はは、大陸地図のことか? あったら助かるけどよ、規模がでかすぎるわ、お前にはな」
飛行機や自動車がないのであれば、それはそうだろう。
言いながら私をひょいと抱え上げ、慌てたペンタがリトに飛びついて私の頭まで登って来る。
「ひとまず、これからの道中で通る町と、近辺の地図。あと……お前が買い物することはねえと思うが、金のことは覚えといた方がいいよな。ざっくり旅の心得、みてえな都合いい本があればちょうどいいな」
頭の中で今日データ取り込みする本を厳選しているのだろう。リトは顎をざりざり撫でながら、司書長に聞いてみるか、なんて呟いていた。
積み上げられた本の塔を次々と攻略しつつ、ふとリトはと見れば、相変わらず真剣に読んでいるのは育児本。果たしてそれは、私に当てはまるのだろうか。
「りと、終わった」
「おお、マジか。早え~! なら、あと何がいい?」
「りゅー、まもも分かやない。まももじゅかんない?」
テキストデータだけでは、限界がある。ばったり出会った時にすぐさま分かるようにしておかなくては。
「そうだな、それはいるわ。普通は魔物って分からなくても、本能的に怖がったり、気が付くもんだけどな……」
ああ、そうか。私は、本能が薄いのだ。
だって私に備わっている本能は、きっとこの体に残っているわずかなものだろうから。
だから、孤児院でも簡単に死の縁へ行ってしまったのかもしれない。
まじまじと自分の小さな手を見下ろして、孤児院での日々を思い出す。
そういえば、あんなに大事に持っていたハンカチ。どこへやったろうか。汚い、とリトに取り上げられたきり、忘れていた。
そういえば、脳裏にずっとちらついていた、あの悲しい幼子の姿。もう朧気で、すりガラスの向こうのように、はっきりしなくなっている。
だけど、あの喪失感を、あの痛みを、私は覚えている。
小さな胸が、早鐘を打ち始めた。呼吸が、浅く、早くなっていく。
これは、ダメな傾向だ。私の体が、孤児院で過ごした時の心を、思い出を、嫌がっている。
それでも、今思い出したから。今は思い出せるから。
あの姿が消えるまでに、聞いておかなくてはいけない。
「りと、りゅーのかやだは、りゅーのなない」
「んん? またよくわからねえことを……」
がりがりと頭を掻いたリトが、それでも私に向き直って見つめた。
何か分かるだろうか、私がこの体になったことについて。
私は、息を吸い込んで話し始めた。
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