第46話 子どもではない

手元の本を読み終わった時、頭上でぱらりと乾いた音がした。

リトは私が本を下げたのにも気づかず、左手の本に意識を集中させている。

静かな記録館の中、ソファ席には私たちだけ。

深々と座るリトの上に、私が座っている。


ざりざりと自分の顎を指でなぞりながら、その目は文字列を追って微かに動いていた。

私が身じろぎすればひょいと本を上げるものの、リトの視線もついて上がってしまう。一向に視線が合わない。

一体何を真剣に読んでいるんだろうか。


「おい、見えねえよ」


リトの腿の上へ立ち上がって表紙をのぞき込み、読み取ったタイトルは――『はじめての子育て』。


「りと、子しょだてする?」


恋人もいらないと言っていたのに、子どもは欲しいのだろうか。

振り返ると、じとりと見つめるリトの顔が目の前にあった。


「してんだろうが、今。お前だ、お前!」

「でも、りゅーは子どもなない。AI」


AIについては、リトはあまり理解していないようだったけれど。


「えーあいは知らねえけど、とりあえずお前はどっからどう見ても子どもだぞ」

「でも、リトのこどもなない」


リトは私を引き取った保護者だけれど、家族ではないのだろう。

先日の食堂でも、それで私の立場について悩んでいたはずだ。

何の気なしにそう言ったのだけれど、リトはハッと私を見つめなおした。


「……悪い。お前を不安にさせたか? あの登録のことだよな?」

「りゅー、不安なない。らいじょうぶ」


ぎゅう、と私の胸元に顔を埋めるようにしてリトが私を抱き締めた。

どうしたのだろうか。リトがいれば、私は何も不安なことなどないのに。

もしや、リトが不安だったのだろうか。

そう推測して、リトがやるようにぽんぽんと頭を撫でた。


「そうか……。なら、いいんだけどよ……違うからな?」


何が、と言うより前に、リトが顔を上げた。

おでこのぶつかる距離で、リトの銀色と、私のミントグリーンが絡みあう。


「お前を俺の子どもって、登録したくねえわけじゃねえんだ。後々、きっとお前が困ったことになるから……だから、そうしねえだけだ」


真摯な瞳が、縋るような色を帯びて見つめている。

その銀色の中には、きっと私のミント色が混ざっているのだろう。

私は、少し眉をしかめて首を振った。


「りゅーは、りとの子どもなない。そうしたらだめ」

「え……そう、なのか。まさかお前が嫌だったとは思わなかったわ」


苦笑して伏せられた睫毛に慌て、私はリトの両頬に手を当てて視線を誘導した。


「ちやう、りゅーは、今ちいちゃいだけ。ちゅよくなって、りとの役にたちゅ。子どもなない、りゅーは……りゅーは」


相応しい言葉が見つからず、もどかしく口を開閉させて言葉を切った。

私はリトの子どもになりたいのじゃない。守られないのじゃないし、いつまでも保護してもらいたいのじゃない。

今は、まだ色々と足りないだけ。


はたと思い当たる言葉を見つけ、私は目を輝かせて銀の双眸に視線を注ぎこんだ。


「りゅーは、りとの相棒!」


これだ、と会心の笑みを浮かべると、揺れていたリトの瞳が大きく見開かれる。

もしかして、とハッとした私は、そっとその頭を抱き寄せた。


「めめなさい。りと、不安なった?」

「――っ!!」


途端に、ぎゅうぎゅうと強く腕を締められ、はふっと私から空気が抜けた。

リトの顔がお腹あたりに思い切り押し付けられていて、これでは息ができないんじゃないだろうかと思う。


「ばーか、ばぁーーーか! 不安なわけねえわ!!」


リトがお腹でもがもがそんなことを言うもんだから、くすぐったさに身をよじって笑った。

ひとまず、それなら良かった。


やがて顔を上げたリトは、なんだか不貞腐れたような表情をしている。


「お前が俺の相棒だとか、一体いつになると思ってんだよ。まだ何もかもヨチヨチのヒヨッコじゃねえか」

「よちよちない! もうりゅーは走れるし、ひちょりでごはん食べる!」


仕方ないだろう。だってまだ、私は人間1年目なのだから。

だけど、中身はAIだもの。人間と同じ成長ではないに違いない。こうして走ることもできたし、毎日できることが増えている。いっぱしの人間になるのだってすぐに違いない。


「ふーん。俺は面倒みるガキを拾ったんじゃなくて、相棒を拾ったわけか」


その通りだと深々頷くと、ふはっと可笑しそうに笑う。


「そうか。なら、ちょうどいい。俺とお前でパーティを組むっつうことにしようか」

「ぱーちぃ?」


二人で組むのだから、バディじゃないのかと思ったけれど、冒険者同士のグループや所属のことらしい。

それはいい……!!

身を乗り出して頷くと、リトは大きく口角を上げて、にっと笑った。


「なら、パーティ成立、だな。よろしく頼むぜ? 相棒?」

「よよちく!」


差し出された大きな手を握る。

私の手がこの大きさになるまで、あとどのくらい必要なのだろうか。

じっとその手を見て、ちらりとリトを窺った。


「りと、りゅーはばんがって大きくなる」

「おう。無理すんな」

「でも……もちかすうと、もうちょっちょ時間かかるかも。その間は、りとがおしぇわちてくだたい」


意を決してそう言うと、一瞬きょとんとしたリトは、その後腹を抱えて大笑いしたのだった。

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