第45話 体験というデータ
「――だからな、キスにも色々あってだな! あれは親愛の部類であって恋人のキスとは違って……いや朝っぱらからする話題じゃねえよ?!」
話題には朝向きと夜向きがあるらしい、ということも今知った。
親愛のキス。……なるほど、国によって基準があるらしい。日本では恋人のものだけれど、外国ではあれも挨拶に含む地域もある。ならばもちろんこの世界の基準もあるだろう。
軽く知識を探り、私は納得して見上げた。
「おはようとおやしゅみのきちゅは、親愛?」
「おう。いや、そうとも限らなくて……恋人でもそれはするっつうか」
歯切れが悪い。しかし、確かにおはようやおやすみは、誰にだって言うものだ。
腕組みして考えていたリトは、ふいと身をかがめて体を寄せると、んむ、と私の額に唇を当てた。
「これは、親愛のキス。ほらな、何もやましいことはねえだろうが! 恋人以外もするやつな。っつうかお前にするのは全部そうだ。恋人とか、夫婦とか、そういうのはその人にしかしねえヤツがあんだよ」
やましいとは? 周囲を見回すリトは、何となく私に言ったのではない気がする。
ふむ、と私は頷いた。
「しょれは、どんな?」
「どうやって見せろっつうんだ。恋人がいねえよ……」
いや、いてもお前には見せねえけどな?! なんて言われてムッとする。
それでは比較できないではないか。
私はリトからの情報を手がかりに、もう少し意識の中を探ろうと口をつぐんだ。
「ちょっと待て、お前今、記憶倉庫を探そうとしてるだろ?!」
それは言い得て妙だ。膨大な品が収められている記憶倉庫。ラベリングはされているけれど、正しくそのラベル名を探さなければ、似た物を間違えることもあるし、探し出すことすらままならない。
こくりと頷いたら、頬をつままれた。
「お前がどのくらい知識を蓄えてるのか知らねえけど、相当なんだろ? やめとけ。ひとまず、今はやめとけ」
なぜ、と思ったけれど、浅く探った知識の中ですでに答えが見つかった。そこには但し書きとして『18禁』と書いてあるものがあったから。
これは、成人未満は見てはいけないということだ。私が人として生きる以上、それには従うべきだろう。
ちなみに、記録館に通う中、尋ねられるままリトには私が持つ膨大なデータについて話してある。
方法は違うけれど、今までだってこうして取り込んできた知識があるのだと。
大人しく頷いた私に表情を緩め、リトはぽんと私の頭に手を置いた。
「なんでも記憶倉庫から探すばっかりじゃなく、体験してみな。ちゃんとお前の目で見て、感じてみな。違ったろ? 夕焼けも、風呂も」
私は、目を見開いた。
そうか。そうだ。
知っていることと、体験したこと。
私がすべきは、知識と実際の紐づけ。目覚めた時だってそう。ひとつひとつ五感を確認したのと同じ。
幼子がすべきことは、体験し、人に聞き、それをデータとして収集すること。
もちろん、書籍からの知識は必要だ。積み重ねられた知のデータは、書籍なくして成り立たない。
私にあるこのデータの山と、この世界にある未知なる体験の海。
それぞれが反応し合って輝くさまは、どれほどか。
瞳を輝かせて頷いた私に、リトはよし、と言って笑った。
ちなみに、その日以降食堂の様子がちょっと変わった気がする。そして、混雑している。
リトに聞いても、知らねえとそっぽを向かれた。
それは多分、リトのせいらしい。
なぜなら今日記録館へ行く前、食堂のおかみさんと言う人が、食事を運びがてらリトを肘でつついていったから。
「男前も大変だねえ! はっは、食堂が華やかでいいよぉ。ああ、ちなみにあたしはダンナとかわいい子供が二人いるから、辞退しておくよ」
「辞退じゃねえわ、何も申し込んでねえっつうの!」
「いやぁ、どっから嗅ぎつけるんだろね? 宿泊客以外もこんなに来るって久々、男前様々さね! そりゃあんな堂々と恋人募集宣言されちゃあ、みんな張り切るってもんだろ」
リトは、恋人募集しているのか。
もしかして、私に恋人のキスを見せてくれるために……?
期待を込めた視線は、思い切り首を振って否定されてしまう。
「募集してねえわ!! いねえっつっただけだろが! 今コイツで手一杯だっつうの!!」
「それがまたいいんだろうね、あんた最近、ますます株上がってるよ!」
はっはっは、と機嫌よさそうに戻っていくおかみさんは、ついでに私の頭をうんと撫でてくれるから好きだ。
一方のリトは、とても疲れた顔をしてテーブルに突っ伏していたのだった。
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