第40話 かわいい

朝食後、私たちは宿の一室で、じっと小さな生き物の動向に注目していた。

これは、大切な実験なのだ。


ややあって、私の髪にくっついていたジェムスカラベが、もぞもぞ動き出したのを感じる。

このジェムスカラベは、あれからなぜか私の頭をお気に入りの場所にしてしまった。

もしかすると、このアイボリーの髪が、果肉の色に似ているからだろうか。


やがて、するすると髪を滑り降り、肩から私の手を伝って机までやって来る。

そこにある皿には、色々なカットフルーツが少量ずつ盛られている。

ジェムスカラベは二人分の視線を気にも留めず、置かれた皿に駆け寄ると、迷うことなく手近なものを両手でつかんで食べ始めた。

それは、確かリンコルという果物。


「りと、食べた」

「食ったなあ……お前、何でもいいのかよ」


これは、この生き物が今朝、レッドジェム以外の果物を食べようとしたことを受けての実験だった。

レッドジェムはそもそも珍しい果物だから、どこに生えているか分からない。それしか食べられないのなら、一か八かで森に放すしかなかったけれど、どうもレッドジェム以外でも、果物なら食べるらしい。

ただ、やたらと執着しているのがレッドジェムの種。果肉だけでなく種も食べるらしく、それを寄越せとピィピィ非常にやかましく鳴いたものだ。


大事そうに両手で持って頬張る様を見ていると、私もふわふわとした気持ちになる。

森に返してやるのがいいのだろうか。

レッドジェム以外も食べるなら、一緒に居ることはできないだろうか。

ちゃんと、私の分の食べ物を分けるから。


「可愛いもんだ。お前みてえに大事そうに食ってんな」

「りゅーみたい?」


リトは銀の目を細めて、私の頭を撫でた。

なるほど、カッコいいと可愛いの違いを理解した気がする。

これは、かわいい。それに、見目だけの問題ではないのだな。

しゃくしゃく忙しく動く口元、時折ぴこっと動く耳。

もふもふの隙間から見える足指。


「かあいい」


私も呟いて、ちょんとしっぽに触れた。

大きな黒い瞳がちらと私を見て、今忙しい、と言わんばかりの顔をする。

かわいい。手放したくない。

だけど、この生き物のことを知らない。私は、はたと気づいて顔を上げた。


「りと、りゅーはとちょかんに行く」

「なんだ急に。図書館って――あ、記録館のことか?」


多分そうだろう。こくり、と頷いて引っ張った。

早く行きたい。

この生き物についてを、それが無理ならせめて幻獣についてのことを。

それを調べれば、一緒にいられるか分かるかもしれない。


「別にいいけどよ、お前、ちゃんと時間には帰るんだぞ。昼飯も食えよ」

「…………」

「や・く・そ・く、な! じゃねえと行かねえからな」


ふいと視線を逸らした私の頬をつまんで、リトにそう言われてしまった。

せっかく、不確実な約束はすまいと思ったのに。

私はジェムスカラベを見つめ、渋々頷いたのだった。




「――そいつ、すっかりお前に懐いてるっつうか、宿り木的な認識してるよな」


雑踏の中を歩くリトの視線が、私の頭に向いている。

ジェムスカラベは、果物を食べ終わると再びちょこまかと登ってきて、テントウムシスタイルで私の髪にとまっている。多分、寝ていると思う。外に出たというのに、逃げるそぶりもない。


宿の人にも、『髪飾り、かわいいね』と言われたので、こうしているとアクセサリーにしか見えないのだろう。

珍しいと言っても町で売られている範囲の果物だし、アクセサリーとしての価値はあまり高くないらしい。幸運のお守りという意味も含め、子どもが身に着けるにはちょうど良いものだとか。

5つ星自体は珍しいけれど、加工の段階で手を加え、人工的に5つ星にしたものがアクセサリーとして出回っているそうだ。


盗られる心配がほとんどないのはありがたい。こちらは久々の街並みを眺めるのに忙しいので、頭に注意を払う余裕がないのだから。

あと、私の髪も抜けずにすむ。

なんせこのジェムスカラベ、握る力は中々強いのだ。無理に引っ張られれば、私の髪も一緒にサヨナラすることだろう。



「いいか、絶対に一人でどこかへ行くなよ? 俺以外の人について行くなよ?」


記録館に着いてから、リトはくどくどさっきから似たようなことばかり言っている。

わざわざ孤児であった者を誘拐するものだろうか。それなら、孤児院でいくらでも引き取れるだろうに。

そうは思うけれど、リトが真剣な顔をするので、私も大人しく頷いた。

とりあえず、早く下ろしてほしい。

上の空で頷く私に渋い顔をしつつも、やっと高度が下がってきた。


床に足がついた瞬間駆け出し、案の定つんのめって宙に浮いた。

スライディングしかかった体は、ちゃんとリトが掴まえている。


「走んな! お前まだ走る練習中だろうが。そもそもここは走っちゃいけねえんだよ」


そうなのか。それは知らなかった。

壊れ物も危ないものもないのに、なぜ。


「そもそもお前、どこに何があるか知らねえだろ。何の本が読みたいんだよ」

「げんじゅー!」


間髪入れずに答えた私に、リトは目を瞬かせて得心した顔をする。

それ以外にも色々知りたいけれど、おそらく幻獣の本を読む間にも他の疑問が出てくる。

まずは、そこからだ。


結局、私はまたソファ席に据え置かれ、リトが本を持ってくることになった。

その間に、手近な棚を片っ端から攻略していたら、戻ってきたリトに怒られてしまった。

どうやら、読んだ本は戻さなくてはいけないルールらしい。


「お前、こんなに持って来て本当に読むのかよ」

「りゅー、よむ」


大量に積みあがった本を眺め、リトが呆れた顔をする。

絶対に読むから、次の本を持って来てほしい。

私は、さっそく分厚い図鑑を取り出して、データの取り込みにかかった。


「――お前……」


1冊の取り込みが終了し、顔を上げたところで、リトと視線が絡んだ。

その真剣なまなざしに、首を傾げる。


「リュウ、お前魔法が使えるのか……?」


魔法……? 私は、ただ困惑して目を瞬いたのだった。

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