第39話 ジェムスカラベ

「わ、わ……りと、こっち来る!」

「へえ、お前が気に入ったのかもな」


ジェムスカラベが、私の指を掴んだまま、くいっと身体を起こしてちょこちょこ上へと登り始めた。

びっくりして身を固くしたものの、肩下辺りで落ち着いたらしい。少し周囲をうかがったかと思うと、きゅうっと身を縮め、尻尾もレッドジェムの中に収納した。

まるで、テントウムシみたいだ。大きいけれど。


しばらく腕にくっついたジェムスカラベを眺めていたものの、そこからちっとも動こうとしない。

つん、とつつくと、わずかに覗いている後頭部がさらにきゅっと縮こまり、引きはがされまいとしがみつく力が強くなった気がする。

ますますテントウムシだ。


まあいい、特に重くないし邪魔にはならない。

私はリトを見上げて、それより大事なことを訴えた。


「りゅー、くらもの食べる」


そう、私はまだレッドジェムを食べていないのだ。

両手を差し出すと、リトがかくりと頭を落とした。


「そいつより果物の方に興味が行くのかよ……レア幻獣だぞ」


ぶつぶつ言いつつ、もう一つレッドジェムを取り出した。

星の数は……10。

何個の星になるだろうかと見つめたところで、ふとさっき私が割ったレッドジェムはと思い出して、空っぽだった片割れを拾い上げた。

これは、6。

そして、くっついたジェムスカラベを改めて眺め、思わず瞬いた。


「りと! これ、ご! ちやう? 星、ご!」

「え、マジか。……ホントだ、こいつ5つ星だぞ!! すげえ!」


リトがうおお、と声をあげて喜ぶから、私もつられて心が弾む。

良かった。リトが買ってきた果物だから、きっとリトは幸運になるはず。

二人して喜びの舞いをしていたところで、また食べ損ねていることに気がついた。


引っ張って急かすと、リトは苦笑してレッドジェムを割った。

星は、7と3。結構偏って割れることもあるようだ。

ほら、と渡されるそれを奪い取るように受け取り、思い切りかぶりついた。


リトが瞬時に私の首にタオルを巻きつけ、顎を伝った果汁がぼたぼたとタオルへ落ちて吸収されてしまう。

一方の私は、そんなことに気を回す余裕もなく、呆然と手の中の果実を眺めた。


瑞々しい果肉は白っぽく、中心にある種に向かうにつれ、ほのかに赤味を帯びている。かじり取ったそこはとろりと滑らかな凹凸となり、柔らかいことが目に見えるよう。

そして溢れた果汁は、果肉の中にも溜まりこむほどに。

いっぱいに広がるのは甘く甘く、濃厚な香り。今はちゃんと、味もする。

果物には酸味があると思っていたのに、このレッドジェムにはない。


迷い込んだ森の奥深く、これを見つけた冒険者は、まさに天の施しと思ったに違いない。

こんな、完成しつくされた逸品を、まさか植物が作るのか。

とても信じられない。だって植物は、味を知らないだろうに。

どうしてこんな甘く、美味しいものを作り出せるのだろう。

もうひと口、至上の甘露を頬張って悦に入っていると、耳元でピィと声がした。


おや、と肩に視線をやろうとして、まふりと頬に柔らかな感触がする。

いつの間にか肩へ上ってきていたジェムスカラベが、邪魔だとばかりに私の頬を両手で押し返した。

勝手に私の肩を使っておきながら、中々図々しい。

かと思えばちまちました手の感触が段々と口元の方へ近づいて、動かなくなった。

次いで、何やら口元で非常にくすぐったい感触がする。


「なに? りと、とって!」

「そのままの方が、お前の口周りはきれいになると思うけどな」


大事なレッドジェムを持っているから手を離せない。慌ててリトに訴えると、笑いながら大きな手が伸びて来て、ひょいとジェムスカラベを摘まみ上げた。

そしてあろうことか、私の手首に乗せたのだ。


「あっ、だめ! りゅーの!」

「腹減ってんだろ。お前はこれから夕飯だろ? こいつに分けてやったらどうだ?」


残ったレッドジェムにかぶりつかれて悲鳴をあげると、リトはそんなことを言う。

私は、必死の様相で貪るジェムスカラベを見つめ、払い落としたい気持ちをぐっと堪えた。

空腹は、辛いものだ。

私は今、食事ですらないものを食べようとしている。

一方このジェムスカラベにとって、これは食事。

収穫されてしまい、ああやって隠れていたのなら、数日ぶりの食事かもしれない。


肩から力を抜いて、一生懸命食べるジェムスカラベを見つめた。

小さい小さい口が、高速で動いて果肉を削り取っていく。

よく耳をすませば、もきゅもきゅとすごい速度の咀嚼音が聞こえる。

美味しそうだ。

だけど、もう取り上げようとは思わなかった。


「えらいじゃねえか。ちゃんと分けてやれたな」


じいっと見つめていると、大きな手がわしゃりと頭を撫でた。

ふわ、と口角が上がったのが分かる。

私は、偉かったのだ。

それは、『じっとしていて偉い』とはまた違う響きを持って、私の中に誇らしく刻まれたのだった。



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