第35話 役に立つ

「……おかゆ……」


目の前に置かれた椀を見つめ、ぼやぼやする目を擦って恨めしくリトを見上げた。

朝食ならいざ知らず、今は昼だ。なぜ食事が粥に逆戻りしているのか。

しかも、ここはベッド。私は、食堂へ行きたいのに。


「文句言うんじゃねえ、熱出してんだからそれでいいんだよ」


溜息混じりにそう言って、リトは私の肩から滑り落ちた布団をかけなおした。

文句は言ってない。納得はできていないけれど。

私は小さな手をぺちりとおでこに当ててみる。


「ちめたい。もうおねちゅない」

「冷やしてるからだろうが。いいから、今日は大人しく寝てな」


どうも、昨日の無理がたたったらしい。

私の体は昨夜から熱を出してしまった。そして、これが熱が出ている状態なのだと初めて知った。

孤児院で体調が悪い時、時折熱が出ていたのだなと今更ながら思う。

そして、あちこちが身動きのたびにみしみしと痛い。これが、筋肉痛なのだとリトは言う。

こんなに痛いなら、回復した時はずいぶんと筋肉がついているに違いない。


「食わねえか? 水は?」

「食べゆ。みじゅ飲む」


孤児院の時と比べれば、こんなもの何ほどでもない。

少々ぼんやりして目が熱いくらいだ。

水を飲みほして粥に取り掛かった私を見つめ、リトは少ししょんぼりしているように見える。


「悪かったな。加減がわかんねえんだよ、お前がどのくらい動けんのか。無理すんじゃねえ、ゆっくりやれ」


そうっと私の頭を撫で、少しだけ笑った。


「りゅー、無理なない。ゆっくりない。りゅーは、ばんがりたい」


だって、そんな悠長なことを言っていられない。

私にはやるべきことがたくさんある。

それに――


「りと、ちやう。めめなさい、ない」


間違っている、と指摘して首を振る。謝罪は、悪かった時にするものだ。

リトは頑張ったことを褒めてくれたのに、悪かったことにされてはダメだ。

私は、ちゃんと嬉しかったのだから。


「そうか? 途中でストップかけてりゃ、体調崩さなかっただろうによ」

「だめ。りゅーの邪魔しやいで」


むっとして、釘をさしておく。

せっかく頑張ろうとしているのに、毎回制止されては事が進まない。

リトは相変わらず情けない顔をしているけれど、そうかよ、と言って笑ったのだった。



翌朝、すっかり熱も下がったというのに、リトは『様子を見る』などと言って私を軟禁している。

散々交渉の末、部屋の中は歩き回って良いということになったので、今はひたすらぐるぐる歩いている。

最初耐え難かった筋肉痛も、歩いているうちにマシになってきた気がする。

落ちた筋力はすぐに戻らないだろうけれど、歩く程度のこと、刺激があればすぐ戻ってくるはずだ。


「飽きずによくやるよ……大分ぎこちなさは減ったんじゃねえか?」


買った服などを整理していたリトが、まだ歩いている私を見て苦笑する。

辛かろうが、退屈だろうが、淡々とこなすのはAIの得意技だ。

もしやこれは、私の強みではないだろうか。私くらいの年頃の幼児では、なかなかこうはいくまい。

今は他より劣っていても、幼児のうちに色々と身に着けることができれば、いずれ抜きんでることができるかもしれない。

そうすれば……。


「りゅー、役に立ちゅ」


口の中で小さく呟いて、リトへ視線をやった。

荷物整理も終わったらしく、手持無沙汰になった彼は武器を取り出して磨き始めていた。

重そうなナイフ、長い剣、どれもピカピカではないけれど、刃はつるりときれいだ。

もっとよく見ようと、勢いに任せてまろぶように駆け寄って、手を伸ばした。

案の定手前でつまづいた体を、リトが無造作につかみ上げて溜息をつく。


「ばーか、死にてえのかよ。なんでお前はひたすら命を捨てようとすんだ」

「ちてない。剣、みゆだけ」

「見るだけなら飛び込んで来るんじゃねえ! 刃に触れんな、指が落ちるぞ」


私は、驚いて目を瞬いた。触れるだけで、そんなにも切れるのだろうか。

目を大きく見開いてまじまじと眺めたけれど、とてもそんな風には見えない。だってお肉を切る時のナイフだってこんな風にきらめいているけれど、リトは力を入れてぎこぎこしているではないか。

私はふと思いついて、リトを見上げた。


「……りと、回復のおすくりは、きじゅによく効く?」

「ああ、お前みたいに熱だとかには効きにくいんだけどな、魔物に噛まれたとかなら――なあお前、なんで今聞いた?!」


不審げに銀の瞳が細くなり、見透かすように私を見つめる。

私は努めて平静を装って、ベッドへ視線をずらして一歩進む。

リトの視線が外れた瞬間、さっと手を伸ばし――


「だろうな?! お前、怖いもの知らずにもほどがあるぞ! 痛いって分かんねえのかよ」

「りゅー、らいじょうぶ」

「大丈夫じゃねえわ。はぁーなんっで子供っつうのはこう、危険な方ばっか吸い寄せられんだよ……」


せっかくむき出しになっていたのに、剣はさっさと鞘へ納められてしまった。

だけど、案外その鞘も美しい。

リトの剣は、武器屋で見たよりも綺麗だ。たくさん模様や装飾があるのを見て、私は枕元に置いていた自分の剣を持ってきた。


「りと、りゅーもも絵かいて」

「絵? なんでだよ。木剣はこういうもんだぞ」


リトはそう言うけれど、私は頑として首を振り、短い指で剣の根元を示した。


「ここ! ここに描いて。ひとちゅでいいから!」

「なんで俺が……まあ、目印にはいいか」


押し付けた木剣をぶつぶつ言いながら受け取って、リトはカバンの中を漁った。

文句を言いつつも、何やら描いてくれているらしい。

リトの手にあると随分小さく見えるその剣。


私はそわそわと見守ったのだった。


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