第34話 頑張れる

「馬鹿、着てろ!」

「でも、よごえゆ」

「そんなこといちいち気にしてられるかよ! 毎回裸で食う気か?!」


無論、そのつもりだったけれど。

絶対にダメだという圧を感じ、まくり上げようとした手を渋々下ろした。


私たちは服と武器を買った後、昼食を取りに大衆食堂らしき所へ来ている。

せっかくの服を汚したくない私は、きちんと脱いでおこうとしたのだけれど。


「いいか、絶対脱ぐな。そもそも人前で服は脱ぐな!」

「りとの前れも脱いだ」

「俺はいいんだよ、俺の前だけ! いいか、脱いでいいのは俺の前だけだからな!」


そうなのか。

……なるほど、確かに人前で脱ぐのは『変質者』に当たるらしい。これは犯罪であるから、リトも慌てて止めようというものだ。

意識してデータを取得し、納得して頷いた。

簡易的に検索するくらいならば、問題なく行える。これを習慣づけるようにすればいい。



「飯食ったらどうするかな……そろそろ体も大丈夫そうだし、歩く練習もしねえとなあ」


独り言のように言いながら、早々に自分の昼食を食べ終えたリトは、私のパンをちぎっている。

私には引きちぎれない頑丈なパンが、リトの指だと簡単に小さくなっていく。

固いパンが、みちみち、と音をたてて引きちぎられてはスープの中へ放り込まれ、みるみる色を変えた。

そして、リトはパンで汚れた手を、無造作にテーブルの脇で払う。

手拭きで指を拭うところまで目で追ってから、目の前の器に視線を移した。


今日はお粥じゃない。

だけど、ずいぶんあっさりした鶏肉のスープだ。

ごろごろ入っていた具はあらかた食べ終え、空いたスペースをどんどん埋めていくパン。私は、それがじわじわスープを吸い込んで沈んでいくのを、ただじっと見つめている。


リトは、知らないだろう。

私が今、嬉しいことを。

とても、嬉しいことを。


ちぎられたパン。

リトが、わざわざ私の食べやすい大きさにしたパン。

当たり前のように行われる、当たり前じゃなかったこと。

夢にまで見た、じゅわりとスープの染みたパン。


十分に冷めたそれを、ことさらゆっくりと口へ運んだ。

ぎゅう、と噛みしめて溢れだすスープに、パンの香ばしさが香る。

それはもう熱くはなかったのに、体がほこほこと温かくなっていく気がしたのだった。




「――帰りは歩くか。疲れたら言えよ」

「らいじょうぶ」


店を出たら、リトは私を下ろして手をつないだ。

大きい手だ。

そして、大きい一歩だ。

よちよち歩く私に合わせるもので、リトは一歩ごとに待たなければいけない。


いつ旅を始めるのか分からないけれど、私はこのままではダメだ。せめて、孤児院の子たちのように走って跳んでが当たり前にできなくては。

せめて、宿に帰るまでくらいは歩き切らねば……!


そう決意していたのだけど。


「――あっ」

「……っと。足上がってねえよ、抱っこするか?」


繋いだ手が命綱になって、私の体は振り子のようにぶら下げられる。

さっきから、つまずいてばかりだ。


「抱っこない! りゅーは、宿まであゆく」


それでもきっぱりと首を振り、ともすれば疲労で震えそうな足を踏み出した。


「病み上がりにはさすがにキツイんじゃねえ? 無理すんな」

「無理なない!」


すっかり眉尻を下げてしまったリトから視線を逸らし、荒い息を隠して前を向いた。


歩けたはずの足は、きっと筋力がすっかり落ちているのだろう。

以前よりもままならない体に、じわりと瞳が潤む。


だけど、無理じゃない。

できるはずだ、私はAIだもの。

痛くなんてないし、疲労なんてない。

そんなもの、元々持ち合わせていなかったのだから、今は切り離して考えればいい。


淡々と、ただ正しく足を運ぶことだけをプログラムして、私は無心で歩き続けた。




「――リュウ、リュウ、大丈夫か? 着いたぞ、よく頑張ったな」


ハッと目を瞬くと、視界一杯にリトの顔が飛び込んできた。

その後ろには、見覚えのある扉。

ああ……私はやったのだ。

ほら、できたではないか。


ほんのりと、口元に笑みが浮かぶ。

……できた。

どうだ、大したものではないか。


「りゅー、ばんがった」


崩れ落ちる私の体を、リトが受け止める。

もう一歩たりとも動けない。

足が鉛のように重いとはこのことか。


足の裏は火がついたように熱く痛み、腰から下は骨から響くような強い疼きが、私をさいなんでいる。

痛みは散々あるのに、他の感覚がない。

まるで下肢が麻痺したようで、不安がよぎった。


「ほら見ろ……無茶しやがって。頑張るのはいいことだけどな、頑張りすぎなんだよ」


ぎゅう、と胸に抱かれて、リトの髪が私の腕を滑っていく。

これはご褒美だ。私は、この上なく満足して目を閉じた。

しなびた体に、リトの腕が、温かさが、心地いい。


「笑ってんなあ……。お前、ストイックなのな。意外――でもねえけど」


それは、褒められているんだろうか。

ゆっくりと歩きだしたリトの腕の中、すっかり力の抜けた体がことんことんと揺れた。

扉の開く音、そして閉じたまぶた越しに周囲が暗くなったのが分かる。

ゆらゆら揺れる足が、なんとも重い。こんなに重い体を持ち上げるなんて、リトも大したものだ。


「夕飯は……無理そうだな。いいぞ、寝とけ」


苦笑するリトの声が遠くに聞こえ、夕飯は食べると言いたかったのだけど、それはもう声になったかどうか分からなかった。

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