第12話 行くべき場所

 どうも、今日リトは出かける準備をしているらしい。彼がどこへ行くかは知らないけれど、私自身は行くべき場所がある。

 歩けるようになったのだから、もういいだろう。


「りと、りゅーは、ほんを読みみ行きましゅ」


 本来は私、と言いたいのだけれど、ともすれば『わやち』『わちゃち』となるので、煩わしくなってリュウと呼称することにした。

 ちなみに、です・ますも毎回やってくる割に言いづらい。無くとも意味は通じるのだから、効率的に省いてしまおうか。そもそも、幼児においてはいずれも一般的のようだから。

 さあ、知の宝庫へ、と見上げると、彼はピクリと肩を揺らした。


「なあ、リュウ。お前は同じ年頃の子どもと一緒にいた方がいいらしい。俺は、子どもの扱いに慣れちゃいねえしな」


 私は少し頭を傾けた。確かに、同世代の言動を習得し、コミュニケーションを取るのは理に適っている。必要なことでもあろう。


「だから……行ってみるか」


 子どもの集まる場所というと、学校、いや、この年齢なら保育園のようなものだろうか。

 なるほど、リトは私をどこかへ預けなくては働くこともできない。人間はコミュニティで働き、金銭を得て生活を維持するものだ。

 言われて初めて、リトがずっと私の側に居ることに思い至った。なんと、これは由々しき事態だったのではないだろうか。


 それはもう、今すぐにでも行くべきだろう。

 しっかり頷いて、さあ、と視線を上げた。

 しかし、リトは動かない。

 伏せた瞳はただ、抱いた私の小さな手をじっと見つめていた。


「……りと、行きちゃくない?」


 手に触れた長い髪をくしゃりと握ると、リトはハッと顔を上げた。


「いやいや、怖い場所じゃねえからな! 行きたくないわけじゃねえよ。嫌な場所ってわけじゃねえんだぞ?」


 誤魔化すように笑みを浮かべ、リトは私の頭を撫でた。


「街で、なんか美味いもん食おうな」


 さっき朝食を食べたところなのに? と思いつつ、私は勢い込んで頷いたのだった。



 

 ――どうしたことだろう。目の前に食べ物があるというのに、口が開かない。


 リトが屋台で買った、色々な食べ物。どれも初めての味、どれも魅力的で美味しい。しかしほとんどリトが食べてしまい、私はどれも少しずつしか貰っていない。


 そして、今目の前にあるのは、串に刺さった大きな腸詰め。これは、いわゆるフランクフルトだろう。

 炙られた表面は褐色に焼き上がって、てらりと脂が光る。


 熱かったけれど、ぱっと弾ける肉汁が、歯ごたえが、お肉とはまた違った魅力をもって私を魅了した。


 しかし重い。そろそろ支える両手がふらふらと頼りなく揺れ始めた。

 美味しかったはずだ。そう、とても美味しいと思ったのに。


 もう一度ちみ、と僅かに囓って思わず口を押さえた。

 ああ、無念。どうやら、私の胃はここまでのよう。喉元まで食べ物が詰まっているような感覚がある。


 しかし、まだ完全に諦めるには早い。胃の内容物は順次腸へ送られるはず。要は、このフランクフルトが入るだけの隙間ができればいいのだ。


 胃の内容物が空になるには――そう、3時間程度。私の胃の内容量は恐らく500cc程度であるから、この腸詰めの分、200cc程度として……。


 愕然とした。私は、これを食べるためにあと1時間は待たなければならないのか。

 そんなことをしては、腸詰めが冷えてしまう。そうなれば、全てが変化するだろう。

 この食感も……! 香り立つこの香ばしさも! 弾ける肉汁も!

 全ては、終わりだ……。


 湯気の立つ腸詰めを見つめて打ちひしがれていると、自分の腸詰を食べ終えたリトがオレを見下ろした。


「さすがに腹一杯か? ははっ! お前、腹がすげえことになってるぞ! やめだやめ、もう食うな!」


 吹き出されて視線を下げてみると、なるほど、私の腹はぽっこりとはちきれんばかりに膨らんでいる。

 こうして下を向くと、何かが喉を駆け上がってきそうな気配さえする。

 と、両手が急に軽くなった。


「あ、りゅーの!」

「もう入らねえだろうが。また……。……また、機会があればな!」


 サッと串を取り上げ、リトの大きな口が見る間にそれを平らげる。


「……」


 恨めしくその口元を眺めつつ、ふと手近にあるリトの腹を撫でた。

 おかしい、成人とは言え胃の内容量は私の倍程度のはず。毎度私の倍以上食べているのだから、リトの腹だって膨らんでいるはずなのに。

 ごつごつとした膨らみはあるものの、私の腹とは違う。


「お前みたいな腹にはならねえよ」


 可笑しそうに少し笑ったリトが、私を抱え直して立ち上がった。


「行くか」


 こくりと頷いた私は、知らなかった。

 目的地が孤児院であることも。

 そして――リトが明日も、明後日も、1週間後も、その先も、戻っては来ないことを。

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