第13話 別れ
何と説明すれば良いか分からないまま、リトは孤児院へ向けて重い足を運んでいた。
もっと早くに手を離していれば。
そもそも、預かったりしなければ。
しかし、あのまますぐに孤児院へ預けていたら、どうだったろうか。
言葉は通じず、歩けず、食事すらままならない。まるで4歳になって初めて意識が芽生えた赤子のようだった。
だから――少しでも、道筋をつけてやれたはず。
「……」
見上げた建物は、お世辞にも立派とは言えない。零れそうになったため息を慌てて飲み込んで、口角を上げた。
リュウに、不安を与えてはいけない。リュウにとっては、ここは悪い場所ではないのだから。
「着いたぞ。ほら、ここからちょっと覗いてろ。俺は手続きしてくるから」
ぽんと頭に手を置くと、リュウは不思議そうに見上げて自分の頭に手をやった。
相変わらず表情はほとんど動かないけれど、仕草で何となく感情が伝わってくる。ひとまず、特に嫌がる様子も、怖がる様子もないことに安堵した。
「こんにちは、リトアスさんですね。数日前に伺っていますよ、例の集落の子でしょう? 今までリトアスさんの所で?」
にこやかに対応する女性が、キビキビと書類を手渡した。
無事にギルドから連絡は入っていたようで、リトは少し肩の力が抜けた。
「少し、問題があったからな。少々ショックが強かったらしくて、言葉や日常生活に支障が残っている。同年代の子と同じ対応では難しいかもしれなくて――」
「まあ、そうなんですか……。情報ありがとうございます」
気の毒そうに眉をひそめはしたものの、『よくあること』だと受け取っているだろうことが伝わってくる。身寄りの無い子が集まるのだ、さもありなん、とリトは密かに視線を落として書類を受け取った。
いくつかの項目を記載して渡せば、呆気ないほど簡単に手続きは終わった。
無理もない、何せリトはただの他人だから。ただ、集落からここまでの運搬役を担っただけ。
「あとは、受け入れを行った後で書類をお渡ししますので」
では、と促す職員からは、多忙であるだろう気配がひしひしと伝わってくる。
「――ああ、あの子ですね。なんて愛らしい! 泣きもせず、きちんと言うことを聞いて待っているようですし、何も問題なさそうですよ」
「いや、でも、表情が固くて、中々意思の疎通も難しいかもしれなくて……」
どこか言い訳じみた台詞に苦笑した時、リュウが気付いて振り返った。
「りと」
分かってしまう、その動かない表情が緩んだのが。
無機質なミントグリーンの瞳が、少し光を宿すのが。
よちよち、と覚束ない足取りでリトの足に掴まるのを見て、職員の女性は少し眉根を寄せたようだった。
「ええと、リュウってお名前なのね、こんにちは! ほら、見ていたかしら? あなたと同じような子たちはみんなここで生活しているのよ。楽しそうでしょう? 私が案内するから、連れてきてくれたお兄さんと、ここでお別れできるかしら?」
「こんちにわ。りと、おわかえ……?」
何の疑念もない瞳が、リトを見上げる。
「ああ、またな。……きっと、楽しいぞ」
……しばらくは、顔を見せてやればいい。
リトは、誤魔化すようにそう考えた。俺も、こいつが楽しく過ごせているか確認してからの方が、安心して街を離れられるから、と。
リュウは、こくりと頷いてリトの足から手を離した。
「なんて聞き分けのいい子かしら! さあ、行きましょう」
差し出された手に首を傾げるリュウにしびれを切らし、彼女はサッと小さな手をとって歩き出した。
「あっ!」
途端につんのめったリュウに慌て、つい差し出した手に感じる、とてつもなく柔らかい重み。
「りと、あいやと」
ちまちました手が、きゅっとリトの手を握り、よくやったと言わんばかりの顔をする。
「すみません、本当に足下が怪しいですね。お姉さんが抱っこしたらダメかしら?」
「ダメちやう、いいよ」
伸ばされた手が、慣れた様子でリュウを抱き上げる。
よいしょ、と身体を揺すって、しっくりとその小さい身体をおさめて。
そして、リュウの手が女性の腕に添えられた。
「まあまあ、本当にいいこね! 泣かずに偉いわ!」
リュウの丸い頬に、女性の頬が押しつけられて、華奢な手が当然のようにアイボリーの髪をかき混ぜた。
「では、少々お待ち下さいね」
そう言って、リュウを抱いた女性が遠ざかっていく。
振り返ったリュウが、不器用な仕草で小さな手を振った。
「りと、ばいばい」
女性の肩越しに揺れる小さな手。
手を振り替えそうとしたリトは、固く握った拳に気付いて苦笑した。
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