第9話 司書長の推理?

「――リトアスさん、久しぶりではないですか。あなたは変わりませんねえ。探し物ですか?」


 カウンター奥から歩み寄ってきた老齢の女性が、皺の刻まれた頬に手を当て、柔和な笑みを浮かべた。


「司書長、ご無沙汰です。探し物、っつうか……」


 リトはがりがりと頭を掻いて言い淀む。


「司書長は異国語にも詳しかったなと思って」

「え? あなた以外にならそうですね、と言いますが。異国の言葉なら、リトアスさんの方が詳しいのでは?」


 訝しげに見上げる瞳から、ばつが悪そうに視線を逸らし、リトは眉尻を下げた。


「けど、俺も分からねえ言葉を話すんだよな……俺が世情に疎くなってる間に、どっかの国と国交が開かれでもしたかと」


 そんなわけないでしょう、と司書長はころころ上品に笑ってから、ハッと表情を引き締めた。


「なるほど、そうでないならば異国の間者であると疑って……? それは一理あるわ! まずはその方の素性から――」


 途端に物騒な話になってリトはぶんぶんと首を振った。


「違う違う! まだほんのガキだっつうの! 先日の依頼で身寄りのない子を拾っちまって」


 促されるままに一通り話し終え、リトはひと息ついたところで司書長の反応を窺った。


「その子……本当に異国語を話しているのかしら?」


 顎に手を当てた司書長は、ふむうと唸った。これまた想定外の呟きに、リトは目を瞬かせる。


「だって、4歳くらいなんでしょう? 話を聞く限り、知らないオジサンと平気で過ごして、家族を恋しがることもないなんて、おかしいと思うの」


「オジ……」


「精神的ダメージで別人のようになることってあるでしょう? 抜け殻のようになったり、生活がままならない方もいらっしゃると聞いたわ。その子も、別人格だと思い込んだり、意味不明な言葉を羅列しているだけって可能性があるんじゃないかしら?」


 特定の単語でリトの方にも精神的ダメージを与えつつ、司書長は邪気のない瞳で痛ましげな顔をする。


「抜け殻……確かに、最初はそんな風に見えたがなあ」


 しかし、あの食欲と文字への食い付きを見る限り、抜け殻とはとても言い難い。


「だけどリトアスさん、一時預かりなのよね? 孤児院へ引き渡すのかしら?」


 司書長は、気遣わしげにリトを見上げた。


「まあ……そうなる。その前に言葉が通じなきゃ話にならねえと思ったんだが」

「それなら、あまり手元に置いておくのは……。それにほら、同じ年頃の子がいる環境の方がいいでしょうしね」


 それは、つい先日も言われたなと苦笑した。

 そして、それが正しかったと、既に知っている己に気付いていた。


「そう、だな。言葉が解決しねえなら、だらだら預かってても仕方ねえし」


 振り切るように浮かべた笑みを見て、司書長はそっとリトの腕を叩いた。


「大丈夫、子どもは馴染むのも早いものよ。大人よりね」


 俺のためか、と自嘲しつつ、リュウの揺れない瞳を思い返して納得する。

 弱いのは、きっと子どもより大人の方。


「さて、その子はどこにいるのかしら? あなたの様子だと連れて来ているんでしょう」


 ぱんと手を叩いて、司書長はにっこり笑ったのだった。




 さきほどのソファーに戻ってきたリトは、派手に散乱する本を前に呆然と足を止めた。


「まあ、この有様……感心しませんよ」


 司書長は渋い顔をして、散らばった絵本を拾い集めては、トントンと揃えている。


「もしや、お話のその子が散らかしたのかしら。中々活発な子で――リトアスさん?」


 返事をしないリトを見上げ、司書長が訝しげな顔をする。


「な、なんで……? どこ行った?!」

「どうしたのです。あ、ちょっとリトアスさん! 走ってはいけません!」


 司書長の存在など忘れたように左右を見回し、走り出したリトを、呆気にとられた彼女が追いかけた。


「リトアスさん落ち着いて。子どもなのだから、言いつけを守らずうろつくことなんて当たり前です」

「いや、だって、歩けねえのに! まさか?!」

「歩けない……?」


 困惑する司書長に構わず、リトは左右に視線を走らせながら小さな姿を探した。

 混雑はしていないが、人がいないわけではない。小さな人影は簡単にその背後に紛れてしまうだろう。


 リトは内心ほぞを噛む。ここは学術庁直轄の記録館、入館にはそれなりの支払いと身元が必要なはず。

 出入口は監視がいるから、と油断した。

 一人でいる幼子など、格好の餌食だったのに。


「リュウ! リュウ!! どこ行った!」


 静かな館内に、リトの声が響き渡った。


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