第7話 宝の山

「リュウ、疲れたか? 大丈夫か?」


 深く思考の海に沈んでいた私は、物理的に揺さぶられてハッと顔を上げた。


「らいじょうぶ」

 反射的に答えて、苦笑を返される。

「適当言いやがる。ほら、着いたぞ」


 視線で誘導された先には、寝泊まりしていた所と比較にならないほど立派な建物があった。

 重々しい両開きの扉の左右には、武装した人間が圧迫感を携えて佇んでいる。


 私に用事がある場所と思えない上、何やらもわもわと胸の中が不快になる。

 ぎゅう、と大きなリトの胸に身を寄せると、思った通り不快感が和らいだ。

 リトは『快』に偏っているから、きっと相殺できるのだろう。


「どうした、怖いか? ちょっと物々しいもんな。大丈夫、怖い場所じゃねえよ。ここは職員も知識のあるヤツが多いから、もしかしてお前の言葉が分かるヤツがいるかもしれねえと思ってな。……まあ、俺が最近サボってんのが悪いんだけど」


 ぶつぶつと呟いたリトは、なるべく接地面積を最大にしようとする私を察したか、包み込むように両腕と顎で抱え込んだ。

 ぐっと身体の圧迫感は増したのに、さっきとは真逆の、言いようのない快適感に翻弄される。


 ごそりと顔を上げた私は、柔らかい銀の瞳を見つめ、改めてその胸元にぺたりと頬をつけた。


「りと。りゅー、こえ、『いいじょ』」


 発声の精度が悪い。果たして伝わるだろうかと思いつつ、もう一度『いいぞ』と言った。


「――ふっ! 急に偉そうじゃねえか」


 吹き出したところを見るに、どうもおかしな発言だったらしい。

 歩みはそのまま、武装した人へ軽く会釈して、リトは躊躇いなく大きな扉へ近づいていく。


「その言い方は大人専用だな。抱っこがいいっつうか――お前、足が……なあ」


 少し言い淀んで、リトはにっかり笑った。


「こういう時、お前くらいの年なら何て言うか――まあ、『好き』だな。『良い』と思うものは『好き』って言えばいいだろ」


 言いながら摘まんだ何かを差し出した。私はすかさず口へ入れ、想定通りの甘みに満足して咀嚼する。


「お前な、何出されたか確認してから食えよ……。リュウは、これが『好き』、だろ? リュウは食うのが『好き』だな?」


 ふむ、『良い』は『好き』と言うことらしい。ならば。


「りと、しゅき」


 扉に手を掛けたリトが、震えて止まった。まるで、電源を落としたように。


「――違うだろ、ビックリするわ。お前が好きなのは、『抱っこ』だろ」


 訝しげにした左右の人にハッとして、リトは急いで扉を押し開いた。

 『違う』と言ったろうか。2語しか言っていないのに、違うも何もないだろう。

 しかし、それ以上何を言うでもないリトは、私と視線を合わせずに早足に歩くのだった。



「俺と、こいつの分も」


 入った先で受付とやり取りして、これは支払いをしたのだろうか。

 流暢に話す受付の人は、街行く人と明らかに違う身なりをしている。きっと、この建物を利用するにはそれなりの金額がかかるのだろう。


 私は、リトの仕事を知らないし、所持金も知らない。むしろ、知っていることなど見た目くらいのもの。

 会話のできないもどかしさに、また不快感がせり上がって喉が詰まり、息苦しくなり始める。

 視界すら揺らめく気がして、私は慌ててリトにしがみつき、ゆっくり深呼吸する。


 なるほど、感情をうまくコントロールしなくてはいけないとは、よく言ったものだ。

 このように身体的に障害を生じるものだとは思わなかった。


 そんな状態の私に気付くことなく、リトはさらに廊下の奥へ向かっている。

 コツン、コツンと響く硬質な足音は、磨かれた床ならでは。内装から見るに、ゴシック様式が近いだろうか。

 歩いた先には、また大きな扉。


 開いた先を覗き見て、思わず息を呑んだ。


「お、ちょっとした反応。やっぱお前、普通じゃねえよな」


 きっとまん丸になっているだろう私の目を覗き込み、リトが笑った。

 私の方はそれどころではない。

 腕の中から思い切り身を乗り出して、慌てたリトに引き留められる。


「りと、りと!」

「待て待て、連れて行ってやるから」


 リトは、分かっていたんだろうか。私が望んでいたものを。

 そこにずらりと並ぶのは、一面の本、本、本――! 

 知の宝が、これでもかと棚に並んでいる。

 これだけあれば、必ず翻訳が可能になる――!!

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