第2話 ひとりぼっちの小さないのち

「――お疲れさん。リトよ、今回も助かったぜ! そう暗い顔をすんじゃねえよ、もう被害は出ねえんだぞ。俺たちは神様じゃねんだからさあ」


 大賑わいの酒場の中、それに負けまいと張り上げられた野太い声。

 今回のチームリーダーが陽気にリトの背中を叩いて、苦笑した。

 大規模な盗賊狩りの依頼を受け、首尾良く捕らえたはいいものの、あの小さな集落にとっては後の祭りでしかない。

 盗賊の証言から慌てて駆け付けた時、集落を蹂躙し尽くした火は、既に消えかかっていた。


「分かってる。ただ、あのぼうずを拾っちまったもんだから、な?」


 集落の惨状を思い出し、リトは眉根を寄せた。

 カミサマとやらがこんな世界をただ見守っているのなら、よほど性格が悪いに違いない。


「可哀想にな、生き残っちまったか。完全なるひとりぼっちだな。だがあの年なら、まだ立て直しはきくだろうよ。俺は、目が覚めねえうちに孤児院へ預けた方がいいと思うぜ。情が移ってからじゃ、お互い辛いぞ」


 可哀そう、か。

 独りぼっちで生き残ったことは。

 リトは静かに瞬いて目を伏せた。

 たった一晩で、住んでいた場所すら失った天涯孤独の幼子が、リトには不憫でならない。


「そう、だな」


 生返事を返しつつ、にわかに宿に寝かせてきた幼子が気に掛かりだした。


「……じゃ、俺は行くぞ。もう少し街にいるから、何かあったら声かけてくれ」

「お前、今来たばっかじゃねえか。まだ碌に飲んでね――おい!」


 呼び止めるチームリーダーにおざなりに手を挙げ、リトはそそくさと打ち上げの場を後にしたのだった。

 



 気配を殺してそっと部屋の扉を開くと、幸いベッドの上の幼子は出た時と変わらず、眠っているらしい。


「……え、うおっ?!」


 安堵して覗き込んだリトが、素っ頓狂な声をあげてのけ反った。


「…………」


 ただ天井を見つめていた大きな瞳が、きょろりと視線だけでリトを捉えたから。

 ぽかりと開いた涼しげなミントグリーンの瞳からは、何の感情も読み取れない。


「お前、起きてたのか? どうした、大丈夫か?」


 泣きもしない幼子に不自然さを感じつつ、ベッドに腰かけたリトが小さな身体を抱き起こす。

 されるがままにさらさらと腕に触れた短い髪は、色合いまで柔らかいアイボリー。

 ただ、瞬くその表情は固く動かない。


「仕方ねえ、よな。あんなことがあっちゃあ……。大丈夫じゃ、ねえよなあ」


 もう一度瞬いた瞳が、じいっとリトの顔を見つめてしばし、薄い唇が開かれた。


「らい、じょぶ……?」

「!! な、なんて言ったんだ?」


 腕の中の幼子は、もどかしげに口を開閉させると、意味不明の言葉を発し始めた。

 そもそもの滑舌が相当に怪しいが、それ以前に覚えのある単語がひとつもない。


「全然分かんねえ……やべえ、俺でも分からん。かなり小国か、未開の地出身か? 変わった色してるもんな。くそ、どうするか……」


 頭を掻いて唸ったリトを見上げ、幼子はゆっくり小さな手を持ち上げた。

 しばし物珍しげに自分の手を眺め、ぎこちなく自分の胸を叩いてみせる。


「ゆぅー」


 ひと言発し、今度はリトの胸を叩いてじっと見つめる。


「え? え? なんだ? 何やってんだ?」


 幼子は通じていないとみるや、何度も同じ動作と言葉を繰り返した。

 とんとん、と己を叩いてひと言、そして、リトを叩いてじっと見つめる。


「もしかして、名前? お前、ゆぅーって名前か? お、俺は、『リト』だ!」

「いとら」

「違う違う、『リト』!」

「いと」


 幼子は、満足げに頷いた。いとじゃねえけど、と思いつつ、リトは通じた安堵に破顔した。


「そうか、お前『ゆぅー』ってのか。教えてくれてありがとな。だけどもう遅いから、今日はゆっくり寝るんだ」

「ちやうちやう、ままえ、『ゆぅー』。ちやうちやう!」


 まだ何か言っている幼子をひと撫でし、毛布にくるんで抱き上げた。赤ん坊でもなし、怒るかと思ったが――杞憂だったようで。

 大きなミント色の瞳は見る間にとろりととろけ、長い睫毛を閉じた。


 微かな寝息を拾って、リトの口角が上がる。

 思ったより、元気そうだ。そして、見知らぬ男に泣きもしない図太さ。


「おやすみ。お前、一体何者なんだ? なんで言葉が通じない? それにいくら幼いからって、こんな、まっさらな……」


 腕の中が、柔らかくて温かい。間違いなく生きている、小さいいのち。

 こみ上げる思いは、安堵だろうか、喜びだろうか。

 どれでもないと薄々感付いて、リトは深くため息を吐いたのだった。

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