第22話 物語の終わりに


 目を開けて、マーガレットは誰かの腕の中にいることに気がつく。


「トイル卿!」


 それがヘルナンデスだとわかり、彼女は必死に抵抗する。


(気持ち悪い。なぜ、こんな男の腕の中に!)


「暴れないでね。船から下ろされてしまうよ」

「船!」


(どういうこと?さっきまでお店にいたのに!そうだ。ユリアナ様は?)


「ユリアナ様はどこ!」

「ああ、あの人。あの人は別のところにいるよ。売る前に味見をするそうだよ」

「味見?!」

「ああ、食べる訳じゃないよ。だから安心して。しばらくすると戻ってくるから」

「離して!」


(売られる前の味見って、そういうことよね!どうしてこんな状況になっているのかわからないけど、この男が仕組んだことなのね!)


「離して!ユリアナ様!」

「うるさい子はあまり好きじゃないなあ。今調教してあげなきゃいけないのかな?」


(なに、言っているの?この人。わけわからない。頭おかしくなっちゃったのかしら?)


 マーガレットはヘルナンデスのことが更に気色悪く思え、もっと暴れた。しかし八歳の女の子。押さえつけられれば何もできない。


「いたっつ!」


 しかし死に物狂いで、力いっぱい腕に噛み付くと、力が一瞬緩んだ。その隙を狙ってマーガレットは走ったのだが、すぐに髪を引っ張られ、倒される。


「いくら私でも怒るよ。異国で一緒に楽しく過ごすつもりだったのに。やり方を変えなきゃいけないのかな」

「やめて!離して!」


 髪をさらにひっぱられ、プチプチと数本抜けた。彼の元まで引き摺られ、体を縛られる。


(だめだ。もう逃げられない。ユリアナ様は大丈夫なの!?)


「仕方ない子だなあ。子供には強すぎるみたいだけど、この飴をあげようかな」


 彼は胸ポケットから、小さな紙に包まれた飴玉を取り出す。 


「いい夢を見られるよ。大人しくしてね」

「いや!離して!」


(何の飴!?絶対危ない薬だわ!)


 抵抗しようとしても体は動かない。頭を動かそうとすると、顎を掴まれた。


「ほーら。おいしいよ」


 ヘルナンデスが、飴玉を指に取り、マーガレットの口に入れようとした瞬間、扉が蹴破られる。


「ヘルナンデス!マーガレットを離せ!」

「ま、マーガレット?!」


 動揺する彼に向かってジョセフが駆け出し、その体を真横に突き飛ばした。

 彼の体は壁にぶつかり、動かなくなった。


「マーガレット!」


 ジョセフは迷うことなく彼女を抱きしめる。


「じょ、ジョセフ様?」

「ああ。間に合ってよかった!」

「母上!」


 息を切らして、壊れた扉からサミュエルがユリアナを連れて現れた。


「ユリアナ様!」

「ああ、マーガレット様!」


 ユリアナのドレスは汚れていたが、乱れはなかった。ただ顔が殴られたようで赤く腫れていた。


「顔が!」

「数秒遅れた。あの野郎!殺してやればよかった」


 サミュエルはユリアナの腫れた顔を見ながら、先ほどまで交戦していた男のことを罵る。


「十分ですから。サミュエル様。もう多分使い物にもならないでしょうし」

「まあね。そうか。死んだ方がよかったかもしれないな」


(……そうとう怒っていたのね。でも、ユリアナ様が無事でよかった。頬は痛々しいけど)


「マーガレット。私もあいつを殺したいと思っているんだが。いいだろうか?」


 すぐ近くで声が聞こえてマーガレットは自身の現状を思い出した。


(あ、私はジョセフ様に抱きしめられていたんだわ)


 意識すると途端に恥ずかしくなった。

 片膝をついた状態で彼に離さないとばかりに腕の中に閉じ込められ、彼の肩越しに二人の姿が見える。


「あの、離してもらっても?」

「いやだ。せっかくこうして抱きしめることができたんだ。もう少し」

「あの、でも」


(恥ずかしい。とっても恥ずかしいから)


「ジョセフ様。部下の方たちが指示をまっているようですよ。母上のことは私にお任せください」


(サミュエル!ありがとう)


「断る」


 けれどもジョセフは首を横に振った。


(ど、どうしてしまったの?ジョセフ様は……)


「ジョセフ様。あの、私は逃げませんから」

「本当だな」

「はい」


 あのギクシャクした日々が嘘のように、彼はマーガレットに話しかけていた。


「では、サミュエル様。任せた。すぐに家に戻れるように手配する」

「よろしくお願いします」

「ありがとうございます」

「感謝しています。ジョセフ様」


 サミュエルが頼み、ユリアナが礼を言う。

 マーガレットはまだ抱かれたままで、恥ずかしい気持ちに蓋をして彼の目を見ながら感謝を伝えた。


「……ああ、やはりここにいて」

「ジョセフ様?!」

「行ってください。ジョセフ様」

「はい。それではまた」


 サミュエルが呆れたようにそう言って、ジョセフは名残惜しそうにマーガレットから離れた。それから彼女の手足を拘束していた縄を解き、騎士を引き連れて部屋を出て行く。ヘルナンデスには縄がかけられ、騎士は気を失った彼を荷物のように運んでいった。

 


 ジョセフたちは間一髪、船が出航する前にマーガレットとユリアナを救出することに成功した。サミュエルと一緒に二人はラナンダの屋敷に一旦戻ることになった。

 ユリアナは気丈に振る舞っていたが、屋敷に到着すると熱を出し、医師を呼んだ。同時にユリアナの両親にも手紙を出し、ラナンダの屋敷でしばらく療養すること、心配であればこちらに滞在しても構わないと伝えた。

 ユリアナは翌日熱が下がったが、恐怖心がまだ残っているらしく、サミュエルが付きっきりで側にいた。

 マーガレットは、ヘルナンデスに触られた感触がまだ残っていて、時折気分が悪くなったが、それだけだった。

 

(なんで、あんな人。好きだと思ったんだろう。本当。幼女相手にあの態度は気持ち悪い)

 

 船から救出されてから、ジョセフもマーガレットに触りたがったが、それは気持ち悪いと感じなかった


(なんていうか、少し緊張するけど。前みたいに怖いって思わなくなった)


 もう距離を取るのはやめたらしく、彼はマーガレットと彼女を呼び、口調もマリーとして出会った頃に戻っている。


(ジョセフ様は、私がただの幼女マリーだった時も優しかったけど、トイル卿みたいに気持ち悪くなかったわ。あれはほんと異常なのね)


 シュメリダ公爵から離縁されたベロニカは、気が触れてしまったらしく、辺境近くの病院に入ることになった。罪といっても、主犯はヘルナンデスだったため、気も触れたこともあり、病院送りで済まされた。その背景には公爵からの陳情があったといわれているが、噂に過ぎない。

 ヘルナンデスは家と完全に断絶、平民に落とされた。その上、彼の場合、主犯で実行犯でもあるので、鉱山で一生強制労働の罰が与えられた。極寒の地なので、致死率が高く、ある意味死罪よりも重い処罰であった。


 マーガレットが幼女になって、半年がたった。

 王妃にはすでに彼女が魔女の薬によって、幼女化したマーガレットということはバレていた。けれども、マリーとして欺いた罪に問われることはなかった。

 その代わり、週一でお茶に呼ばれている。

 ドレスも何着も作られてしまい、着せ替え人形のようだとマーガレットは辟易していた。

 王妃の手前、そんなことは言えないけれども。


「ねぇ。マーガレット。まだダメなの?」

「どういう意味でしょうか?王妃陛下」

「もう、マリーナって呼んでって言ってるのに」

「恐れ多いことです」

「本当、もっと早くお友達になりたかったわ。あなたの元の姿、ものすごく興味あるのよ。あなたの心の狭い元夫のせいで、会う機会が減らされていたなんて、知らなかったわ。本当に」


 シーザのしたことも洗いざらい王妃に話してしまっている。

 すでにマリーとして欺いた過去があるので、嘘をつくことに恐怖心が湧いたからだ。

 能天気で優しい王妃に見えるが、それは彼女の表の顔にすぎなかった。マーガレットは何度がお茶をして、その裏の顔まで知ってしまい、「王妃様には逆らえない」と呪文のように唱える毎日だ。


「マーガレット。帰ろうか」

「ジョセフ。ちょっと早いわよ。あなたの仕事が終わったからって。待ちなさいよ」

「王妃陛下。どうか、私から幸せな時間を奪わないでください」

「奪っていないわよ。あ、いいこと考えたわ。ねぇ。ジョセフ。マーガレットにキスしてみない?」

「はあ?」

 

 王妃相手なのに、ジョセフは素で返してしまった。


「ひどいわね。なんて対応なの?」

「も、申し訳ありません!」


 隣で二人の話を聞いていたマーガレットは、突然の王妃の言葉に石のように固まっている。


「私からしたら、もういいと思うのよ。王妃命令よ。キスしなさい!」

「か、勘弁してください。王妃陛下!」

「そ、そうです。人前でやめてください」

「あら?人前じゃなきゃ、いいの?」

「それは……」


 マーガレットとジョセフはお互いの顔を見合わせた。

 背の高さがあまりにも異なるので、マーガレットはかなり見上げ、ジョセフは見下ろして、お互いを見ている。


「む、無理です!」

「ま、まだ」

「もう、あなたたち。かなりいい年で、やめてくれないかしら?私の前でキスしたくないなら、どこか二人っきりになった時、しなさいね。これは命令よ」

「王妃陛下、横暴です」

「王妃陛下、そればかりは許してください」

「だめ。さあ、帰っていいわよ。だれか二人を送ってあげて」


 抗議しようと二人が声をあげるが、苦笑しながら近衛騎士がやってきて、二人を部屋の外まで見送った。


「……帰りましょうか」

「そうだな」


 王妃に煽られ、キスしろと命令まで下された二人は、いいおじさんと、(心は)いいおばさん。

 しかしまるで十代の若者のようにぎこちない態度で、手を繋いで王宮の廊下を歩く。

 姿は父と娘そのものなのだが、心は恋人同士のそれであった。


 翌日、王妃の元へ手紙が届く。

 それはマリーが領地に帰ったと言うことと、長らく静養していたマーガレットが王都に戻ってきたという内容だった。


 (おしまい)

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ばばあと言われたので若返りの薬を飲んだら、幼女になってしまいました。 ありま氷炎 @arimahien

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