第20話 ベロニカ・シュメリダ

 シュメリダ公爵夫人であるベロニカ・シュメリダは、シーザと男女の恋愛関係にあった。

 お互いに遊びと割り切れている関係で、シーザが学生時代から付き合いがあり、それは彼が結婚しても続いていた。


 シーザが愛人と事故死したことに対して、彼女は怒りを覚えた。

 愛人とまるで心中したかのように見えたことに。


 彼とは割り切った関係のつもりだったが、ベロニカにとってシーザの存在は大きかったようで、彼が亡くなった後は、その忘れ形見サミュエルをいつか手に入れようとしていた。

 けれども姿はよく似ているサミュエルはシーザと異なり、頭が切れ、女性にだらしなくなかった。

 まるで女性に興味がないようなそぶりだったので、同性愛者かと思うことで、ベロニカはサミュエルのことを諦めようとしていた。


 しかし、彼に恋人ができたことで、ベロニカの心に再び執着心が沸き起こる。

 王妃のお茶会で彼の恋人と、彼の母親マーガレットによく似た幼女を見かけた時は、サミュエルの子かと一瞬思ったくらいだった。けれども年齢的にありえず、遠縁ということでベロニカは胸を撫で下ろした。


 シーザに愛されなかったマーガレットのことをベロニカは同情していた。

 彼に抱かれるたびに、美しいだけの彼女に優越感を覚えた。

 マーガレットによく似た幼女に対して何も思いはなかった。

 けれども、彼女の若い愛人ヘルナンデス・トイルは違ったようだった。


 面白くないと思ったことは事実だ。

 けれども、ヘルナンデスから提案された計画は魅力的で、ベロニカは彼に協力することにした。

 彼の計画がうまくいけば、彼女はサミュエルを、ヘルナンデスはあの幼女を得る。

 実際にこの計画は穴だらけで、ヘルナンデスのみが利益を得るのだが、サミュエルの名をちらつかされ、ベロニカは計画に賛同した。


「簡単にいったでしょう?」

「そうね。あとは私が襲われたふりをすればいいのよね」

「はい。そうでないと疑われてしまいますから」


 テーブルに置かれた紅茶と菓子類全てに睡眠薬を混ぜてあった。二人は勧められるまま、紅茶を飲み、ケーキを口にする。しばらくすると二人は気を失うようにテーブルに顔を伏せた。


「私が合図します。暴漢が入ってくるので悲鳴を上げてください」


 怪我をすることに怯えを見せたが、ベロニカは頷いた。

 彼が呼び鈴を鳴らすと、従業人ではなく、ごろつきたちが現れた。


「助けて!誰か!」


 三人の暴漢たちは、人相が悪く、ナイフを片手に部屋に押し入ってきた。ベロニカは演技ではなく悲鳴を上げた。

 一人の暴漢がベロニカを殴り気絶させた。その間にヘルナンデスは暴漢たちと同じような服に着替え、帽子を深く被る。他の二人はマーガレットとユリアナをそれぞれ麻袋に入れ、ヘルナンデスの指示を待っていた。


「さあ、とっととずらかろう!」


 彼の合図で、裏口から逃げ出し、用意してあった荷馬車に乗り込んだ。

 マーガレットたちの護衛は三人。うち一人は裏切りもので、ヘルナンデスの合図で、他の二人を背後から襲い殺害。その後に暴漢二人と合流して、部屋に押し入った。従業員たちはこの日半数以上が休みをとっており、本日出勤している者もヘルナンデスの計画の協力者だった。

 そうして、すんなりヘルナンデスは、マーガレットとユリアナを誘拐することに成功した。


 ☆


「旦那様。大変でございます!」


 執務室に慌てふためいた執事が飛び込んできた。

 扉を叩くこともせず、彼らしくない行動だった。


「何があった?」


 サミュエルは嫌な予感に胸が締め付けられるような痛みを覚えながら、問いかける。


「マーガレット様とユリアナ様が誘拐されました!」

「何だと?護衛は何をしていたんだ?」

「護衛は二人が死亡、一人は行方不明だそうです。シュメリダ公爵夫人がこの件で訪ねてきておられます。お会いしますか?」

「シュメリダ公爵夫人?」


 サミュエルは苦手な、むしろ嫌いといっても過言でない夫人の名前を聞き、眉を顰めた。けれどもマーガレットたちの誘拐事件に関連しているということで、会うことにした。


(おそらく、彼女が実行犯か?何を言うつもりだ?)


 頭が回るタイプではないとサミュエルはシュメリダ公爵夫人――ベロニカのことを判断していた。父と付き合いがあった女性の一人であることは調べてわかっていた。

 サミュエルは、この女性に時折夜会で会うと気色悪い目で見られるのがたまらなく嫌だった。


「ああ、サミュエル!大変なことに!」


 応接間で待っていたベロニカはサミュエルの姿を見ると立ち上がり、彼に擦り寄るように駆け寄ってきた。

 むわっと香水の香りがして、吐き気を覚えながらも笑みを湛える。


「マリーと、ユリアナが誘拐されたことで来られたんですか?」

「ええ!とっても怖かったわ。私は何もできなくて気が付いたら、誰も周りにいなくて、ごめんなさい。守ってあげられなくて」


 涙でも取れない厚化粧をしているらしく、一滴流れた涙で化粧は崩れることはなかった。


「シュメリダ公爵夫人。嘘くさい芝居はやめてください。あなたが誘拐をさせたのですよね?どこに連れて行ったんです!」

「な、何を言っているの?私は殴られたのよ!」

「それが?暴漢に殴られたから、被害者?そんな単純なことに私が引っかかるわけないじゃないですか?教えてください。どこに連れて行ったんですか」

「知らないわ。何を言っているの?あなた正気なの?」


 ベロニカは真っ赤な唇を塗った口で、冷静に問いかけてくる。 

 サミュエルの問いに微塵たりとも動揺していなかった。


(ああ、ムカつく。手荒な真似はしたくないが、この女が絶対に何かを知っている。痛めつけたら吐くはずだ。だが、腐っても公爵夫人。どうしたものか)


 夫人を殴って行き先を吐かせ、マーガレットとユリアナを救い出しても、その後サミュエルは罪に問われる。最悪死刑も免れない。公爵は王族に連なる身分であり、時には罪すら覆い隠されることもある。


 サミュエルは迷い、ベロニカは勝ち誇ったように笑っていた。


(僕は、死んでもいい。母上たちを助けるのが先だ!)


「シュメリダ公爵夫人。早く行き先を教えてください。そうじゃないと僕が何をするかわかりませんよ」


 彼は壁に飾られていた剣を鞘から取り出すと、彼女にゆっくりと近づく。


「ひっ。あ、あなた、何をやっているのか、わかっているの?」

「当然。わかっていますよ」


 さっきまでの勢いはどこにいったのか、ベロニカは後退り始めていた。


「さあ、話してください!」

「旦那様!」


 使用人の悲鳴のような声、それから物々しい足音が聞こえてきた。


「サミュエル。勝手に入らせてもらった」


 扉を開けて部屋に入ってきたのはジョセフ。それから数人の騎士たちだった。



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