第18話 どうしていいかわかりません

 その後の、二人の雰囲気はギクシャクして、結局そのままラナンダの屋敷に戻ることになった。

 挨拶もそこそこに、ジョセフは帰宅し、マーガレットは部屋に逃げこんだ。


 サミュエルは不在で、この時ばかりは安堵した。

 アリスは何も聞かずに、マーガレットの着替えを手伝う。


「……アリス。私は何も知らなかったの」


 ぽつりとマーガレットは呟く。


「温かい紅茶を入れましょうね。ミルクたっぷりの」


 アリスは優しく微笑み、部屋を出ていった。


 恋なんて知らずに、シーザの妻になり、母になった。

 社交の場に出れば恋の話はたくさん転がっている。そういうものかとまるで物語を読むように、マーガレットは夫人や令嬢達の話を聞いていた。


「さあ、どうぞ。マーガレット様」

「ありがとう」


 紅茶の他、甘めのビスケットも用意されていて、それをかじって紅茶を飲む。


「美味しい」

「それはよかったです」

「アリスは何も聞かないのね」

「ええ。聞いてほしいですか?」

「うん。いいえ。独り言を言うわ」


(とりあえず気持ちを吐き出したい。わけがわからないから)


「まさか、ジョセフ様が私のことを好きだったなんて知らなかったの。しかもずっと前から。あの孤児院のことも覚えてなかったし。気持ちは嬉しいけど、どうしていいかわからない。正直もう会いたくない。どうしていいかわからないから。勝手よね。元に戻るために、愛する必要がある。ジョセフ様は魔法を解きたいと言ってくれたわ。でもわからないの。優しいし、一緒にして楽しいわ。夫と一緒にいた時はそんな気持ち感じなかった。だって、シーザはいつも私のことなんて、どうでもいいって思っていたもの。興味もなかったはず。だから期待なんかしなくて、ずっと生きてきて、馬鹿みたいに期待したら、ばばあって思われていて」

「マーガレット様」


 気がつけば、マーガレットは泣き出していた。

 アリスにハンカチで涙を拭われて、その事実に気がつく。


「マーガレット様。焦らずゆっくりと考えてください。いいえ、もう考えなくて、このままでいいじゃないですか。マーガレット様は十分頑張りました。今はただ楽しまれてください。今までできなかったことを沢山しましょう」


 アリスはマーガレットを抱きしめ、その背中をゆっくりと撫でる。


「アリス。ありがとう」


 この屋敷にきてからずっと仕えてくれているアリスは、マーガレットの姉であり友人だった。その胸に顔を埋め、彼女は泣き続けた。


 ☆


 それからマーガレットは屋敷に閉じこもった。

 図書室で本を読んだり、小さな手で刺繍をしようとしたり。

 ジョセフから誘いが来ても、マーガレットは断りを入れた。

 サミュエルは何も聞かず、彼女のやりたいようにさせてくれた。


(避けるなんてひどいわよね。だけど、どうしていいか、わからない)


 マーガレットは、彼のことを考えないようにしようとしているのだけど、気がつくと考えていた。


(お母様が生きていた時に出会った男の子。とても痩せていて、いつも元気がなくて。元気を出してほしくて、孤児院に行くといつも彼を探してパンを渡したわ。干し葡萄パン。そうだわ。随分作っていないけど、作ってみようかしら)


 なんとなく、甘酸っぱい干し葡萄パンの味を思い出して、マーガレットは厨房を借りることにした。けれども八歳の彼女一人でパンを作るのはかなりの重労働だった。料理長が張り切って手伝い、結局味見係と監督しかしてない状況でパン作りが進み、完成した。


「美味しいです!」

「うまい!」

「美味しい。懐かしい味」


 アリスがかぶりつき、料理長が絶賛。

 マーガレットも久々の甘酢っぱいパンに舌鼓を打つ。


「美味しそうな匂いがすると思ったら」


 調理場で行儀悪く味見をしていると香りを嗅ぎ付けてか、サミュエルが現れた。


「僕にもください」

「もちろんよ」


 サミュエルはその場でパンを一つ食べ終わると、おやつにといくつか持っていってしまった。


「そんなに好きだったかしら。干し葡萄パン」


 小さい時に何度か作ったことがあったパンだが、その時はあまり喜んでくれず、結局作らなくなったことを思い出し、マーガレットは首を傾げる。


「味覚が変わられたんじゃないですかね」

「そうね。きっと」


(美味しそうにその場で食べていたし、きっと沢山食べたいのね)


 マーガレットはそう納得することにした。


 ☆


「干し葡萄パンか。懐かしい」


 サミュエルはマーガレットたちが作ったパンを、ジョセフに渡していた。

 あれほどいい雰囲気に見えた二人。

 マーガレットもジョセフをかなり気に入っていたようだった。けれども、数日前からマーガレットは屋敷に引きこもるようになり、ジョセフの誘いも断る。

 サミュエルは見かねて、ジョセフに真相を確かめようとしたのだった。

 干し葡萄パンが、マーガレットの手作りと聞けば喜ぶだろうと、彼に差し入れすることにしたのだ。


「美味しいな。懐かしい」

「母上の母上、お婆様が得意だったパンのようです」

「ああ、やっぱり。同じ味がする。持ってきてくれてありがとう。本当に」


 サミュエルが来たことより、パンの方が歓迎されている気がして、少しだけ傷ついたが、彼は用事を先に済ませようと口にする。


「ジョセフ様。気がついていると思いますが、母上の様子が近頃おかしいのです。何があったのですか?」


 親しい間柄で回りくどい言い方は好きではない彼は、はっきりと尋ねる。

 パンを頬張っていたジョセフは目を大きく見開いた後、もぐもぐと口を動かすだけ。サミュエルが再び尋ねようとした時、彼はごくんと最後の一口を咀嚼し、口を開いた。


「……告白のようなものを、いや告白した」

「え?早すぎませんか?」

「その通りだ。時期尚早だった。だが、聞かれてしまったら嘘はつけないだろう?」

「え?聞かれたんですか?」


(母上、母上ならありえるかもしれない。なんか恋愛経験ゼロだと思うので、多分そういう気持ちがわからないんだろうな。母上は)


 質問しながらサミュエルは納得していた。


「そうだ。まあ、知り合いの口の軽さが災いした。もう、このようなことはない。だが、遅すぎた」

「遅すぎた……。そんなことはないと思うのですけど」

「いや、怖がらせてしまったと思う。しばらく時間をおいた方がいいと判断した」

「時間ですか。僕は時間など置かない方がいいと思いますけどね」

「いや、彼女が怖がる顔は見たくない」


(怖がるか。多分、混乱していただけだと思うんだけど)


 マーガレットはそういう経験が少ない。おそらく父から口説かれた事だけだろうとサミュエルは想像していた。


(だから、わからないんだろうなあ。色々と。時間を置いて、解決するのか、わからないな。会って誤解をお互いに解いた方がいいと思う)


「ジョセフ様。明後日はお仕事ですか?」

「あ、ああ」

「そうですか」


(明後日は王妃様主催のお茶会がある。多分、ジョセフ様は警護にあたるはず。ユリアナが参加するって言っていたから、母上を連れていってもらおう。色々裏で手を回す必要があるな)


「それでは僕はこれで」


 サミュエルは脳裏でマーガレットとジョセフを引き合わせる計画を立てながら、ジョセフの家を後にした。



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