第15話 微妙な距離感ですね
カロリーナはマーガレットに新しい服を作りたいと言い、アリスがそれに随行して、応接間から出て行き、部屋にはシルベルト、ジョセフ、サミュエルだけになった。
「さて、サミュエルにジョセフ。何か私に話をすることがあるのではないか?」
三人が完全に退室し、しばらくしてからシルベルトが口を開く。
「お爺様。お爺様は知っていたんですよね?」
「何が……。もう誤魔化されないか?」
「ええ、正直に話してください」
「知っていたぞ。シーザはジョセフを傷つけるため、マーガレットに求婚した」
「それなら、なぜ、止めなかったんです!」
「知ったのは、結婚してしばらく、お前が三歳になった時だ。マーガレットも幸せそうだったので、今更何もできないだろう」
シルベルトは感情的なサミュエルに対して淡々と返事を返す。
「シルベルト様はどうやって知ったのですか?」
「シーザから聞いた。酔っ払った彼奴(あやつ)が話したのだ。思いっきり殴ってやった。殴りすぎてカロリーナに止められたくらいだ」
「……私の気持ちを知っていて、この領地への滞在を許してくれたのですね。乗馬のことも」
「ああ」
「もしかしてお爺様は、父がしたことを知っていたのですか?」
「知らん。知らなかった。だが、もしかして、とは思った。やはりそうだったのか?」
「ええ。これをお読みください」
サミュエルはジョセフから返してもらったシーザの手紙をシルベルトに託す。一瞬迷った後、彼はすぐに読み始めた。
「なんてことだ」
読み終わり、シルベルトは両手で顔を覆う。
「ここまで愚かだったとは」
「……僕は父が心底嫌いです。そして、その父の息子である自分が嫌いです」
「サミュエル!」
ずっと黙っていたジョセフは吐き捨てるように言ったサミュエルに向き直った。
「そんなことを言うな。マーガレット様が悲しがるぞ。彼女は君を愛している。生きがいといっても過言ではないだろう」
「知ってます。だけど、僕は僕の存在が許せない。もし、僕がいなければ、母上はこの家を出ることができたかもしれない。そして、あなたと、」
「それは違う。マーガレット様は私の気持ちを知らないし、おそらく私と会ったことすら忘れていたはずだ。だから、私のことはいい。シーザがどうであれ、マーガレット様は君を愛している。シルベルト様も、カロリーナ様もだろう?そして君の婚約者ユリアナ嬢も」
「ありがとうございます。だけど」
「サミュエル。許してくれ。しかし、私はお前が生まれてくれて本当に嬉しかった。だから、お前の存在を否定することなど言わないでくれ」
「お爺様……」
サミュエルは目から溢れ出た涙を手の甲で拭った。
「僕は、僕は。母上を幸せにしたいのです。母上の幸せな姿を見てから、ユリアナとの道を歩みたい。僕だけが幸せになるのはおかしいでしょう?」
「それは、」
「マーガレット様は不幸ではない。幼女になっても君たちの存在が彼女を救っていると思う。君は君の人生を歩むべきだ。マーガレット様はこれから色々なことを知って、新しい人生を送れるだろう。いや、送ってもらいたい」
「そうだな。私もそう思っている」
ジョセフの言葉に、シルベルトが合意する。
「けれども母上は元に戻りたいと思っていますよ。だから、まずは魔法を解く努力をしてみませんか?ジョセフ様」
「それは、」
「私もそう思っているのだ。ジョセフ。仕事もあるだろう。また仕事を疎かにすることはマーガレットも嫌うだろう。乗馬の件が終わっても、ちょくちょく領地に訪れるといい」
「……ありがとうございます」
「期待してますよ。ジョセフ様」
すっかり涙を引っ込めたサミュエルが、ジョセフの肩を叩いた。
☆
「上手くなりましたね」
「でも身長が低いから、補助なしで馬を走らせられないのが悔しいわ。早く元に戻って、馬を駆ってみたい。今ならできそうな気がするわ」
「できると思いますよ。マーガレット様なら」
「……ジョセフ様。その言葉使いどうにかなりませんか?マリーとして接していた時のあなたのほうがいいわ」
「努力します」
「なんで、そんな。難しそうなのですか?」
マーガレットは苦笑したジョセフに対してむくれてみせる。
サミュエルが王都へ戻り、ジョセフが領地で乗馬の練習を再開して三日が経った。以前の分と合わせて一週間ほどで、約束の期間が終了した。
今日は最終日で、明日彼は王都に戻る予定だった。
マーガレットが別人の振りをしていたことを謝ると、彼は当然だと許してくれた。むしろ部外者である自分に明かしてくれてありがとう、と感謝されたくらいだった。
部外者という言葉がちょっと気にかかったマーガレットだが、秘密もなくなり、マーガレットは以前よりジョセフに近づいた気がした。けれども彼女がそう思っただけで、ジョセフの対応は変わってしまい、少し残念に思っていた。
(ジョセフ様は、やはり友人だった男の妻と接するのは嫌なのよね。きっと。小さい時の縁で、こうして親切にしてくれるだけだわ。きっと)
これ以上求めてはいけないと、マーガレットは距離を置きたがるジョセフの意志を尊重することにした。
「マーガレット様。あの、名前で呼ばせていただいてますが、かまわなかったでしょうか?確認も取らないまま呼んでましたが」
「勿論よ。いずれ、私は離縁して、ラナンダ家とは関係なくなるのだし」
マーガレットは再婚の話が出てきた時から、そのことを考えていた。
(修道院に入るとしても、離縁してからのほうがいいと思うのよ。でもその前に元に戻る可能性があるのか、どうか。愛する者からキス。愛する……)
ちらっとジョセフの顔を見てしまい、マーガレットはひどく後悔した。
(何を考えて。彼はシーザの友人だった人よ。そんなこと考えたらだめ。彼にもきっと好きな人がいるはずだし。それにしても彼はシーザと同じ年齢のはず。そうすると三十八歳。どうしてずっと独身だったのかしら。近衛騎士副隊長よ。いい身分だと思うのに)
「どうしました?」
「あの、ほら。ジョセフ様はどうして結婚されなかったのかなあと思いまして」
「えっと、あの。そうですね。好きな人がいるからです」
「好きな人、その方と縁を紡ぐのは難しいのですか?」
「ええ。まあ。というか相手の気持ちもありますし」
「そうですか?ジョセフ様は素敵な方だから、もし障害がないようでしたら、求婚なりしたらいいと思いますよ」
「本当ですか?」
「ええ」
「ならば……」
ジョセフはいつもの眉間の皺を無くし、微笑む。
そうすると印象がまったく変わり、随分若く見え、可愛らしい。
マーガレットは彼の微笑みに対して惚けてしまった。
「マーガレット様。今度私が戻ってくる時は、一緒に王都に行きませんか?見せたい場所があるのです」
「あの、いいですけど」
(突然どうしたの?前後の脈略がない気がするのだけど。王都に行くのは気分転換になりそうだけど)
「なら、約束ですね」
「は、はい」
そうしてジョセフはマーガレットと約束を取り付けると、翌日王都へ戻っていった。
足取りがとても軽やかで、王都に戻るのが嬉しいのかと、マーガレットはおかしな勘違いをしていた。
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