第13話 サミュエル・ラナンダ
(僕には父という存在がいた。けれども、父は僕たちの家とは別の家に住んでいた。父のことを聞こうとすると、母が悲しい顔をした。だから、僕は聞かなかった。成長すると、父が家にいない意味がわかってくる)
「僕はいらない子なの?」
「そんなことはないわ。あなたは私の愛しい子よ。あなたがいるから私は幸せよ」
「幸せ?それは何?」
「とても嬉しいことよ。楽しいことかしら。あなたと一緒に過ごすのがとても楽しいの」
母マーガレットは曇りのない笑顔を浮かべ、息子サミュエルを抱きしめる。
そうすると彼の中の不安な気持ちはなくなる。
けれどもしばらくするとそれはじわじわと彼の中に生まれてきて、その度にサミュエルはマーガレットに聞き、抱きしめてもらった。
「母上。早く大きくなって、あなたをこの家から解放してあげます」
「何を言っているの?サミュエル。私はいつもあなたと一緒よ。そんなこと考えなくていいから」
サミュエルは、いつも楽しそうに過ごしているマーガレットが、ふとした瞬間寂しそうな表情をするのに気がついていた。
茶会に呼ばれ、母と一緒にいくと子供同士で集まることになる。そこで、子供たちは残酷なことをサミュエルに告げる。
ーーお前はいらない子なんだろ?
ーー君のお父様は違うところに暮らしているんだろう?君と君のお母様が嫌いだから。
最初に言われた時は泣きそうになったが、母の笑顔を思い浮かべて涙を堪えた。
(負けるものか。立派な当主になる)
サミュエルはお茶会から逃げることもせず、マーガレットにそんなことを言われていることすら言わず、母と共にお茶会に出席し続けた。
マーガレットも令嬢や夫人たちに酷いことを言われていることを彼は知っている。けれども伯爵夫人として毅然として振る舞う彼女の背を見て、サミュエルもそれに習った。
そのうち、子供たちはサミュエルを詰るのをやめた。けれども彼自身はどの子供が詰ってきたか覚えていて、人を選んで友にした。
(いつか、思い知らせてみせる)
詰ってきた伯爵以下の身分の者にはさりげない仕返しをしているが、自身より上の爵位の子供へは難しい。サミュエルはその機会を待って、貶める機会があれば自身の仕業とわからないように足を引っ張り恥をかかせた。
父に愛されない子どもであることをサミュエルは知っている。
けれどもその分、母から、祖父母から、使用人たちから愛された。
彼が十三歳になった時、転機が起きた。
父が亡くなったのだ。愛人とともに事故で。
サミュエルは悲しいという感情は持たなかったが、心の一部に穴が空いた気がした。
たまに屋敷に来て少しだけ話す人。
自分にそっくりな人。
それが彼の父親シーザだった。シーザは騎士学校を卒業して、十年ほど騎士団で働いた後、ラナンダ伯爵を継ぎ、当主の仕事を全うするためと騎士団を退団した。
仕事はほとんどせず、愛人と遊び回る生活を送る父。
当主としての仕事は、マーガレットと祖父母が行った。
クズのような人だと、サミュエルは思っていた。
父が亡くなってしばらくして、彼はジョセフ・カリエダという人物を知った。酔った父がふらっと屋敷にきて、話すことがあった。
ーー俺はジョセフという男が嫌いだ。あいつは孤児で、無骨な男だ。
ーー貴族らしくない男で、なぜあんな男が近衛騎士なんて栄えのある騎士に命じられたか。
酔った父の戯言、母は完全に聞き流していたが、サミュエルは気になった。
だが調べることもなかった。
ただその名前だけが脳裏にあった。
「まあ、怖い顔。けれども腕がすごく立つのでしょう?」
「とても公平な人物だと聞いている」
十六歳になり夜会にも出席し始めた。王を守る近衛を見る機会があり、噂話を耳にした。その時までジョセフの名前はすっかり頭から抜けていたのだが、会話を聞いてサミュエルは思い出した。
(父の嫌いな人)
興味が出てきて、彼について調べた。
すると、彼が父の友人だったことがわかった。ふと祖父に彼について尋ねたら、驚愕した後、寂しそうに友人だったと答えられた。ますます興味が湧いて、彼らの友人関係が終わった理由をさらに聞くと、知らない方がいい、どうでもいいことだよと笑って誤魔化された。
サミュエルは独自に調べた。
すると、ジョセフが近衛騎士に指名された時期に完全に会わなくなったことがわかった。
(父は嫉妬したんだな。ずっと一緒に勉強してきて、自分より出世したから)
サミュエルは二人が仲違いした理由がそれだけだと思っていた。
理由が分かったが、サミュエルはまた父に対して失望してしまった。
それから当主になり、仕事が落ち着いて彼は母の幸せについて考えた。自分にも好きな女性ができて、母にも同じ気持ちを味わってもらいたかったからだ。
その結果、母は傷つき怪しい薬を飲んで、幼女になってしまった。
自分が守らなければと思ったのに、祖父母に領地に連れて行かれた。領地から母の手紙は届く。けれども母のことがとても心配だった。
そんな矢先、彼は参加した夜会で、近衛たちの話を小耳に挟む。
「ジョセフ副隊長が、ついに長年の思いを果たす時がやってきたのだろうか?」
「だが病気だろう?」
「だが、やっと会えるんだろう?」
「一目惚れした令嬢が別の男に求婚される。ショックだっただろうな」
「でも拗らせすぎだ。ずっと思い続けるなんて」
「それだけいい女だったんだろう。確かにきつい顔をしていたけど、美人だったな。若ければぜひ再婚相手に選んでほしかった」
「ああ、そういえばつい最近、再婚相手を探していたな」
騎士たちはその場から立ち去り、サミュエルはそれ以上聞くことができなかった。
(母上のことだ。ジョセフ・カリエダ。父の友人だった。父は母が社交界デビューした、その日に求婚したと聞く。そうか、そういうことか)
父の母に対する冷たい態度、サミュエルはその理由が分かった気がした。
(やはり私はいらない子だったのか。それでも母は祖父母は私を愛してくれた)
その思いが強くなり悶々としていると、母の手紙にジョセフの名前が出てくるようになった。領地からの報告は一ヶ月に一度。迎える客などは祖父母の判断に任せていた。
なので、誰が領地に赴いているのか、サミュエルは後日に知ることが多い。
この場合は、ジョセフが領地にいることを知ったのも、母の手紙からだった。
「ユリアナ。僕と一緒に領地に行ってくれないか」
「いいですわ。母上様とお会いするのですね。楽しみですわ!」
サミュエルはユリアナと心を通じ合わせ、彼女の人となりを知り、マーガレットの事情を話した。ユリアナは驚きはすれど、彼が話すより先に結婚後は一緒に暮らしたいと言った。
どうやら、ユリアナは以前からマーガレットに憧れを抱いていたらしく、その幼女版と聞けばすぐに会いたいと行ってきた。
そうして先触れもなくサミュエルは領地へ向かい、ジョセフと対面した。
彼はすぐにジョセフを好ましく思った。同時に彼のマーガレットへの想いも理解した。
サミュエル自身は幼女になった母に人生をやり直してほしいと思っていたが、ジョセフなら彼女を幸せにできるかもしれないと、元の姿に戻る方法を探ることに同意した。
そうして王都に戻ってきて、サミュエルは故人から手紙を受け取る。
それが父からの手紙であること、内容に言葉を失い。父をひどく憎んだ。反面ジョセフへの怒りはまったくなかった。
だから、父が嫌がることをしようとした。
手紙をジョセフに見せ、彼のやりたいことをさせようと思ったのだ。
(僕は父にとってはいらない子だった。だけど、母上の愛を僕は知っている。お爺様もお婆様も僕を愛してくれた。十分だ。父の歪んだ感情にはこれ以上付き合ってられない。母にもジョセフ様にも幸せになってほしい)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます