第6話 乗馬を習うことになってしまった
「マリー。どうだ。馬に乗れるようになりたくないか?」
「はい。遠出とか楽しそうですね」
まだ八歳では無理だが、将来は学びたい。
そう思ってマーガレットは答えたのだが、義理の父シルベストは今すぐだと思ったらしい。
なぜか一週間後、ジョセフが領地にやってきてマーガレットに乗馬を教えることになったのだ。
休暇でどこか長期で出かけるところを探していた彼にとって、シルベストの申し出は有り難かったと本人から聞かされた。
マーガレットは複雑な気持ちだ。
自分の我儘のために、わざわざ王都から来てもらった気がするのだから。
「本当に構わないのですか?」
「ああ。ここは本当に休暇には良い場所だよ。シーザとよく釣りや狩りをして楽しんだものだ」
マーガレットの問いにそう答えた後、ジョセフは少しだけ寂しそうな表情になる。
(私と結婚してから、いいえ。婚約してから、私は一度もジョセフ様とは会っていないわ。だから、十九年くらい、きっとこの領地にきてなかったのかしら?)
「……それでしたら、余暇のついでに私に乗馬を教えてください。本当についででいいですから」
マーガレットが言い募るとジョセフがその険しい顔を和らげる。
「シルベルト様から教えるようにお願いされている。ついでではなく、ちゃんと教えるつもりだ」
「あ、そうですか。それではよろしくお願いします」
断れそうもないと諦めてマーガレットはそう返事をした。
翌日から、ジョセフと乗馬の練習が始まる。
まずは馬に慣れること、世話をすることから始めることになった。
八歳のマリーにとって、馬はとてつもなく大きい。
(こ、怖い。なんていうか、大迫力)
「怖がることはないぞ」
「は、はい」
「まあ、そう言っても難しいか。そうだな。まずは馬で一緒に走ってみるか?」
「走る?」
「とても綺麗な場所があるんだ。馬ならすぐにいける。君を連れていこうか?」
(綺麗な場所?どこかしら。私は行ったことない場所かしら?)
「おお、アスハラの丘だな。あそこは綺麗だ。今は時期だろう。マリー」
どこからともなく、義理の父シルベストが現れ、マーガレットはジョセフに連れられて、アスハラの丘にいくことになった。
軽食なども持たされ、馬に括り付けられ、出発する。
ひょいっと馬上から荷物のように持ち上げられ、前に座らされた。
「後ろだと振り落とすかもしれないから」
「はい」
(確かに後ろだと、彼に掴まらないといけないし。この手ではちゃんと掴めないもの。八歳の自分の手は本当に小さい。人生をやり直している気になるけど、大人の方がいいわ。子供だとできることが限られるし)
「マリー、出発する」
「は、はい!」
(考えごとなんてしている暇はないわね。振り落とされないようにしっかり掴まないと)
乗馬は初めての経験で、不安定すぎて、マーガレットは必死に鞍に掴まるが、振り落とされそうで怖かった。
「危なっかしいので、少し触れる」
ぼそっと声がして、マーガレットのお腹を抱き締めるようにジョセフの腕が回る。
「到着するまでだ。このままだと落ちるかもしれない」
「は、はい!」
(うん。私は幼女。幼女。落ちそうな子供を支えているだけ)
どきどきする気持ちを抑えるため、呪文のように心の中で唱える。
マーガレットは、ヘルナンデスにばばあと思われていたことがやはり心の傷になっていた。
シーザには長年冷たくされていたので、慣れた。気持ちを切り替え、彼のことを考えなければ幸せに暮らしていけた。
けれどもヘルナンデスにはちょっと期待してしまった。
お姫様のように扱われ、浮かれてしまったのだ。
だから、ばばあと思われ、彼が生活のために近づいてきたとわかった時の落胆は大き過ぎた。
(もう二度と味わいたくないわ。あんな気持ち。私は幼女。子供。だからジョセフ様も優しい)
彼の体温を背中に感じ、お腹を支える逞しい腕からは安心感が得られる。
(私は幼女。子供)
目的地に到着して、マーガレットは目の前に広がる光景に目を奪われた。
悩んでいたことが全て吹き飛ぶほどの、素晴らしい眺めだった。
一面に広がる花畑。
色とりどりでとても美しかった。
「さあ、降りようか」
「はい」
まずは下ろしてもらってから、ジョセフも馬から降りた
近くの木に馬を繋ぎ、二人で花畑を歩く。
「綺麗〜〜」
自分の本当の年齢、すべてを忘れてしまって、マーガレットは花畑を楽しむ。
今の外見でそれをすれば可愛らしい。
なので、ジョセフは目を細めてその姿を見ていた。
「喉が渇かないか?」
一人で花畑を歩き回っているとそう声をかけられ、彼女は我に返った。
「すみません。夢中になりすぎました」
「構わない。楽しそうで何よりだ。さあ、休憩しよう」
馬にくくりつけられていた敷物とバスケットを取り外して、ジョセフはマーガレットの元に歩いてくる。花を潰さないように敷物を広げ、バスケットをその上に置く。
マーガレットも手伝おうとしたのだが、八歳の身にはどちらも重く、できることといえば、バスケットから水筒や果物、サンドイッチを取り出すくらいだった。
「ここの美しさは前と変わらない。ラナンダ前伯爵夫人も楽しんだのだろうか?」
「そうですね。シルベルト様と一緒に楽しんだでしょうね」
「シルベルト?ああ、私が言っているのは君の親戚であるマーガレット様のことだよ」
「マーガレット?」
(そうだわ。今はサミュエルが当主だから、シーザは前伯爵、そうなれば私も前伯爵夫人なのね)
改めてそう思っていると、ジョセフがじっとマーガレットを見ていた。
「ラナンダ前伯爵夫人は、体調を崩して、こちらで静養していると聞いているが、まだ姿を見たことがない。彼女の体調は大丈夫なのだろうか?」
ジョセフは少し切なげに目を伏せ、マーガレットの心がなぜかキリキリと痛む。
「マーガレット様の体調は安定しています。ご安心ください。あの、マーガレット様にお会いしたことがあるのですか?」
なぜ、こんな表情でマーガレットのことを聞くのかわからず、彼女は尋ねた。
(ジョセフ様とは会ったことがないはず。なぜ、彼は私のことが気になるの?友人の妻だから?ありえないわ。だって友人って言っても、葬儀にも彼は来なかった)
シーザの葬儀の手配をしたのはシルベルトだが、マーガレットも手伝っている。葬儀の参加者に彼の名前も、その場にも彼の姿もなかった。
「大昔、君と同じくらいの歳の彼女に会ったんだ。今の君に本当に似ている」
(大昔?小さい時の私?全く記憶がない)
「きっと前伯爵夫人は覚えてないだろうな。だけど、私は忘れらない」
(……まったく記憶がない。私が八歳の時、何をしていたのかしら?家から出たことはほとんどなかった気がするけど)
「あ、あの。そのマーガレット様と会った時の話を聞かせてもらえますか?」
ジョセフはしばらく彼女を見つめた後、小さく息を吐く。
「これも何かの縁かもしれない。あの時の彼女とそっくりの君に話をするのも不思議な気持ちだが」
彼は、マーガレットとの出会いを話し始めた。
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