第5話 夫の友人
応接間に行くと、そこには既にお菓子が並べられていて、マーガレットはごくりと唾を飲む。
幼女になってから、淑女としてのマナーを忘れつつあると自覚しているのだが、体に引っ張られるためか、どうも欲求に正直になっていた。
「マリー。遠慮なく食べて。たくさん作ったのよ。ジョセフもどうぞ」
公の茶会ではないのだが、主催とばかりに義理の母カロリーナが、優雅に椅子に座り、マーガレットとジョセフに笑いかける。
マーガレットは皿に切り分けられたパイにすぐさま食らいつきたい衝動を堪えた。
(体は幼女でも、私は伯爵夫人だったのよ。マナー、マナー)
呪文のように言い聞かせていると、義理の父シルベルトが一口口にして、皆に勧めた。そうしてマーガレットはようやく食べることができた。
ほろほろと落ちるパイ生地を上品に食べようとしたのだが、幼女の手がなかなか不器用だった。
「あらあら。マリー」
こぼしながら食べてしまい、カロリーナが微笑ましく見ていた。
恥ずかしくて顔を伏せてしまうしかない。
(ああ。淑女の鑑と言われた私はどこに)
幼女であれば可愛らしいで済む。
それではだめなのだ。マーガレットは自身に言い聞かせて、果敢に再び食べ始めた。お皿を持ってこぼしても大丈夫なように。
プルプルと震えながら、お皿を持っていると急に軽くなり、見上げるとジョセフが皿の端っこを持っていた。
「重いだろう。無理しなくもいい」
「そうよ。マリー」
「うんうん」
(なんていい人ばかり。やっぱりお義父様もお義母様も優しい。このジョセフって人も。シーザが、いけ好かないって言っていたようが気がするけど。シーザ自身がちょっと変わってるしね)
シーザは両親と異なり、高慢ちきな男だった。
どうも騎士学校を経て騎士として生活をしているうちに周りにちやほやされ、変な自信がついて、そういう性格になってしまったらしい。けれども騎士精神は持っていて、女性には優しいという評判だった。
(私にもまあ、初めは優しかったものね。結婚してから激変したけど)
「マリー。どうしたの?おいしくない?」
「何かあったのか?お父さんに話してみなさい」
(お義父様、それは言ったらだめです)
カロリーナが気がついて、シルベルトの腕を突いて、彼は自分の発言に気がついたようだった。
「気分が悪いのであれば、休んだほうがいいのでは?私が邪魔をしてしまってようで、すまない」
「あの、すみません。気分ではなく、考えことをしてしまっただけなので、大丈夫です」
まったく幼女らしくない発言なのだが、ジョセフは違和感を覚えなかったようだ。
そうかと言って、浮かした腰を再び下ろす。
「今日の苺パイも美味しいです」
「そう。よかったわ」
ほろほろ落とすよりはと、残りのパイを口に頬張る。マーガレットは頬を膨らませた、冬眠前のリスのようになってしまった。それを見てカロリーナが笑い、釣られてシルベルトが、ジョセフも今度は声に出して笑う。雰囲気はよくなったが、マーガレットは恥ずかしくてたまらなかった。
☆
ジョセフを見送った後、マーガレットは二人に捕まった。お腹いっぱいなのに、再びお茶に誘われる。
「どうだね。ジョセフは」
「顔は怖かったですけど、優しい人ですね」
「そうでしょう?あの子、見た目で損をしているのよ」
「あの子?そんなに親しいのですか?」
「ええ。昔はよく遊びにきたわよ。シーザの友人だったのよ」
「友人?!」
マーガレットは驚くことしかできなかった。
シーザからジョセフという名を聞かされる時は、いつも負の感情が乗っていた。彼を褒める事などなかった気がする。
「……二十年前、ジョセフが近衛に指名され、シーザにはそのような誘いはなかったの。当たり前よね。実力が違い過ぎてたし、あの子。ずっと遊び歩いていたみたいだから」
シーザが騎士学校時代から遊び歩いていたことは婚約してから知った。その噂を否定するように、彼はマーガレットにとても紳士的で、理想の騎士として彼女に接していた。
その目にマーガレットに対する情熱はなかったけれども、格上の相手で騎士様だ。
結婚しても紳士的で穏やかな結婚生活が送れるだろうとマーガレットは思っていた。けれども初夜を終えると彼は噂通りの行動をした。
「マーガレットには本当に悪かったと思ってるわ。私も、シーザが本当にあなたのことを愛していると思ったの。だから、結婚に賛成したの。屋敷にきた時も、あなたはとても素直で可愛らしくて、これはいいお嫁さんになると思ったわ」
「そうだな。私もそう確信した。実際、マーガレットはよい嫁だった。シーザにはもったいなさすぎるほどのな」
二人にそう言われ、マーガレットは複雑な気持ちに陥る。
「私はこのラナンダ家に嫁げて幸せです。幼女になった私にも親切にしてくださって、本当に感謝してます」
「マーガレット」
「マリー、いえ、マーガレット。私もサミュエルではないけれども、あなたに幸せな結婚をしてほしいのよ。あなたを本当に愛する人と」
「お義母様、それは無理でしょう。私はこうして子供になってしまったし」
「いいえ。大丈夫。その分ゆっくりお相手を探せるでしょう?私はあなたが結婚するまで死ねないわ」
「お義母様。そんなことおっしゃらないでください。私は今でも幸せですよ」
「まあ、カロリーナ。焦ることはない。時間はたっぷりあるのだ。それよりも、私は別の可能性を考えているがな」
義理の父シルベルトは何やら含みのある視線を妻に送る。それだけで彼女はわかったように、まあと頬を赤らめた。
(本当お二人は仲がいいわ。こんな夫婦は理想よね。あくまでも理想)
マーガレットは義理の両親の思惑にまったく気がついていなかった。
二人は彼女に内緒で話を進めようとしていた。
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