第9部 第5章 とまどい

 全てはまだ終わっていない。


 女神エーオストレイルは空を飛ぶのを止めて、父であるシェーンブルグ伯爵の前に降りた。


 そこには皇太子殿下もいた。


 かっての彼女の人生を変えるほど愛した皇国の皇帝にそっくりの姿の……。


 驚いたことに、心を共有しているせいか、皇太子殿下に会うのを凄く怖がっているのが分かる。


 いや、だからこそ、100メートルくらい離れて地上に降り立った。


 いやいや、こんなに離れて降りないでもと突っ込みたいところだが、本当に女神エーオストレイル様は怯えていた。


 同じ姿の皇太子に嫌われたら生きていけないとか思ってるようだ。


 えええええ? 


 さっきまで堂々と戦っていたのに、あの強さはどこへ行ったのか。


『身体を君に戻すね』


「は? 」


 俺が女神エーオストレイル様の言葉に驚く。


 まあ、俺は身体の動かし方は、それ以前の人間としてのやり方しか知らないから、身体を戻されても空は飛べない。


 だから、歩いていくしかない。


 身体の方は羽根は背中に仕舞えたものの、甲冑を着ているような甲殻類の姿は戻らなかった。


 人間でなくなっていくと言うのは本当だったようだ。


 それにしたって、甲殻類のような身体を甲冑に似せたのは、多分、皇太子に拒絶されないためだと思われた。


 いやいや、かっては彼ら邪神の仲間であったのを裏切って全ての邪神の仲間を倒して人間の世界を作って、自らを女性と転させて皇国の初代皇帝と結ばれて豊饒の女神となったという女神エーオストレイル様の心は乙女だった。


 怯えておられる。


 皇太子に会うのが……いや拒絶されるのがそれほど恐ろしいのだ。


 乙女ゆえに、愛する人に拒絶されるのが耐えられないと。


 いやいや、最強の武神はどこへ行ったのだ。


 しかも、その決定的な瞬間の対応は見事にこちらに全振りである。


 乙女ゆえに。


『しつこい』


 女神エーオストレイル様の突込みをいただいた。


 ……昔は人間を餌として見ていたのでは?


『あの当時はそうでも、今は違う……』


 と言う事は、マジで皇太子って皇国の初代皇帝の生まれ変わりなのか?


 などと聞いたが、無言であった。


 ただ、心臓が共有しているせいでバクバク言い出したので、何かあるのはほぼ確定である。


 俺もそれで、そこから歩けなかった。


 これで、皇太子が嫌な顔したら終わってしまう。


 女神エーオストレイル様の心が折れて、ぶっちゃけ世界が終わるのだ。


 どうしょうか?


 皇太子のいる場所から100メートル先で地上に降りて、少しだけ皇太子に近づいて途方に暮れた。


 皇太子にこれ以上、近づいて良いのか悪いのか……。


 俺は前世で恋愛とかしていないから、その辺りの機微が良く分からない。


 向こうも皆でじっと見ていた。


 なぜ俺が近づいてこないのか分からないんだろうな?


 俺も正直、良く分かんない。


 俺は戦う事を選んだばかりに、修羅だけでなく沢山の兵士たちの命を奪った。


 今、皇太子への対応に下手をやったら、それらを全て無駄にしてしまうのかと悩む。


「ちょっと、俺がするよりも女神エーオストレイル様、御自らで御決めになられた方が……」


 などと女神エーオストレイル様に話しかけるが反応がない。


 というか、怯えてるのが分かる。


 ちょっと、乙女過ぎない?


 ビビりまくっていなさる。


 そして、父のシェーンブルグ伯爵も俺が近づいて来ないので不思議に思っているようだ。


 それは、こちらをよく見ようと兜を外した姉もゲオルクも皇太子付きのアレクシスも……まあヨハンは当たり前として、皆が不思議に思っているらしくて、じーっとこちらを見ている。


 そこにアメリアもいた。


 彼女なら恋の縁結びの神様の大神殿の女官をしていたと胸を張るほどなのだ、ならば今の状況が分かるはず。


 この女神エーオストレイル様の乙女心がっ! 

 

 だが、アメリアは首を傾げていた。


 恋の縁結びの大神殿の女官の話はどこへ行った! 


 などと思っていたら、皇太子殿下がパッと気が付いたように微笑んでこちらに向かって走ってきた。


 慌てて、皇太子だけ行かせるわけにいかないので、一斉に父のシェーンブルグ伯爵やアレクシス達も走ってくる。


 俺の心臓がバクバク言い出した。

 

 そんなに皇太子が……。


 困ったもんで、女神エーオストレイル様の怖いのと嬉しいのが混在した気持ちがこちらにも流れ込んできて、こっちも同じような気持ちになった。


 目の前に皇太子は来ると俺を見て優しく笑った。


「君がどんな姿をしていても私の気持ちは変わらないよ。愛している」


 そう皇太子が黒光りの甲冑のように怪物に変わって行っている俺の身体を抱きしめた。

 

 女神エーオストレイル様の気持ちが洪水のように流れ込んできた。


 圧倒的な喜び。


 涙が止まらない。


 それだけ怯えていたのだ。


 それで気が付いた。


 豊饒の女神になるためでなく、単純に女神エーオストレイル様は彼に嫌われまいと人間の姿を選んだのだ。


 結ばれるために、はっきりと女性になって……。


 愛の奇跡と言う奴か。


 共有している心が喜びと安堵で満ちていく。


 そして、皇太子……いや皇国のかって愛していた初代皇帝ともいえる彼に対する愛も感じた。


 そこで、皇太子の後ろにいるアメリアがなぜ俺が近づいて来なかったのか、初めて理由に気が付いたらしくて納得したって顔になった。


 ヨハンとかゲオルクとかは理解できないのだなと分かるけど、父のシェーンブルグ伯爵と姉も少し戸惑った顔は最後まで治らなかった。


 いやいや、これで女神エーオストレイル様の恋の成就って大丈夫なのかな? 


 自分の恋でもあるのかもしれないけれど、それが凄く心配になった。

 

 


 

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