8 それぞれの絆
※
視界がぐるぐると回っている。祝賀会では、何を聞いて何を話したのか、ほとんど記憶にない。会場の一段高い場所に設えられた椅子に座り、愛想笑いを頬に張り付かせ、お世辞を受け流す。身体に染み付いたことだったので、深く考えずとも自然にこなすことができたのは幸いだ。
「皆、そう
頃合いを見て言ったのは、
「祭儀を滞りなく成し遂げたこと、
静かな視線がこちらに注がれる。微かに気遣いの色が感じられ、王も例の贈り物の件について報告を受けたのだろうと察した。せっかくの心遣いを無駄にする理由はない。エレナは頬笑みを絶やさず、壇上に戻り、一同に膝を折る。
「それでは、陛下のご厚意に甘えて、そろそろ失礼させていただきます。皆さま方はこの後もごゆっくりご歓談を」
日中に日蝕の儀を執り行った直後であるから、
広間を出て、重厚な扉が背後で閉じると、膝から力が抜けそうになるのを、必死で堪える。滑るようにハーヴェルが横に現れ、腕を貸してくれた。
「ハーヴェル、私、おかしくなかったかな」
「とても立派でした」
胸に詰まる物がありそうな声音で返答があり、エレナは唇を噛み締める。震えそうになる脚を叱咤し回廊を抜けて星の宮に入る。自室の扉が開き、見慣れた白と金を基調とした室内が見えると、心の堰が崩壊するのを感じた。背後で扉が閉まると同時に、気づけばハーヴェルの胸に飛び込んでいた。
彼は、さも当然のように、抱きしめて背中を撫でてくれる。まるで父親のように、幼い頃からエレナを慈しんでくれた人だ。
ヴァンという不肖の弟子を育てた師でもあるハーヴェルには、エレナ同様に辛いものがあるだろう。それでも気丈に振舞う姿には、どこか痛々しさも漂う。
「あれはやっぱり、そういうことなのかな」
返答はない。それが回答のようなものだった。
だからあれが、精巧な贋作でもない限り、ヴァンの持ち物としか考えられない。似せて作るにしても、そもそもの本物を持っているのはやはりヴァンなので、模造品の見本となり得る徽章もまた、贋作師の手元には存在しないのだ。
「止めるべきだった。ヴァンを北に行かせたのは私よ。私が命じなければ」
「エレナ様、ひとまず座りましょう」
促され、ソファーに深く腰かける。ハーヴェルが何か指示をしたのだろう、しばらくすると侍女がハーブティーを持ってきてくれた。普段から飲み慣れたその香りに、心が少しだけ落ち着く。身体の芯から震えるような寒気は、徐々に和らいでいった。
「取り乱してごめんなさい」
カップで両手を温めながら視線を向けると、あえて向かいではなく隣に腰掛けてくれたハーヴェルは小さく首を振った。
「いいえ。むしろ良く、これまで耐えてくださいました」
優しく言われると、涙が浮かんでしまう。鼻の奥がつんと痛んだが、唇を噛んで我慢した。
「一か月です」
ハーヴェルが不意に言った意図がつかめず、目線で続きを促す。
「一か月、ヴァンを探しましょう。あれだけでは、生死が不明ですから。その間は、私があなたの騎士になります」
奇しくも、この年は日蝕の年。
「でもハーヴェル。家族は」
「たったひと月のこと、妻子も理解してくれるでしょう」
「気持ちは嬉しいけれど」
「それであれば私の忠誠を受け入れていただけますか、エレナ様」
真摯な眼差しを一身に受ければ、頷くしかない。正直、エレナ自身にとってはありがたい提案である。しかしなぜ、彼はエレナを案じてくれるのだろう。ずっと、胸の奥に引っ掛かっていた。彼は、エレナを恨んでいるはずではなかろうか。
「本当は、私のことが憎いでしょう」
無意識に口を衝いて出た言葉に、自分が一番驚いた。ハーヴェルが息を吞む音が聞こえる。彼の緑色の瞳を見据えたまま、言葉は止まらない。
「お母さんは、私を産まなければ今もまだ生きていたはず。ずっと、
言っても周囲を困らせるだけなので、ずっと心の奥に仕舞い込んで、メリッサにも吐露したことのない心の内である。
「ハーヴェルはお母さんの騎士だもの。今でもずっと。心の中ではそうでしょう」
ハーヴェルは言葉を選ぶように何度か口を開きかけたが、最後に小さく溜息を吐いた。
「そんな風に思っていたのですか」
「だって、私のことを
「確かに、私にとって
「どう別なの」
ハーヴェルはエレナの瞳を見つめ、少し頬を緩めた。生き写しだというこの顔に、彼の
「エアリア様は、あなたを心から慈しんでいました。あの方の大切な人は、私にとっても大切です。これ以上の理由が必要ですか」
昔を思い出したのか、少し目を潤ませた騎士に、エレナは
「どうして、そんなにお母さんを大事に思えたの」
「心から敬愛していたからです。
「そうね」
頷いてから、ハーブティーをまた一口含む。鼻腔から、優しい香りが通り抜けていく。それから、騎士の顔を眺めた。ずっと聞いてみたかったことが、もう一つだけある。
「ハーヴェル」
呼びかけると、優し気な瞳がこちらを向く。エレナにとって、彼の眼差しは幼い頃からずっと安心の象徴のようであった。
「私のお父さんはあなた?」
軽く眉を上げ、それから彼は首を横に振る。
「それはただの噂です。家族を持つ前は、エアリア様は私の全てでした。ですが敬愛の気持ち以上のものはありません。それが
「そんな教えがあるの」
もし教えがなかったら? と続けて聞こうかと思ったが、それを察したのか彼は口を閉ざす。エレナとしても、更に気になることがあったので、それを聞く機会はなくなってしまった。
「じゃあ、お父さんについて知っている?」
「いいえ」
「そんな訳ないじゃない。一日中側にいたでしょう」
「ええ、そうですね。知っています」
「誰なの」
「私の口からは申し上げられません」
「あなたが教えてくれなければ、他の誰が教えてくれるのよ」
しかしハーヴェルは予想外のことを口にした。
「もうしばらくすれば、
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