7 悪趣味な贈り物
※
「
扉の向こう側から、司祭の声が聞こえる。エレナは、これまで飽きるほどに幾度も袖を通した貫頭衣を纏い、ゆるく一纏めに編み込んだ亜麻色の髪を左胸に垂らした
雑念は無用。これから、
「問題ございません。蝕の様子はいかがでしょう」
「天文府によると、もうしばらくかと。始まりましたら、お呼びいたします」
「ええ、よろしくお願いします」
バルコニーに続く控え室の中で、綿のきつく詰まった椅子に浅く腰掛ける。膝の上に神笛を乗せ、すっと背筋を伸ばした。
祭儀の流れは、先月オウレアスで行ったものと大きく変わらない。祝詞を述べ、笛を奏で、民に祝福を与える。一つ違うとすれば、隣に控える
結局、彼は日蝕の儀までに戻っては来なかった。元々、日程的に余裕のない旅程であったので、街道で何等かの足止めに遭ってしまったのだろう。メリッサや、周囲の者たちはそう言い励ましたが、エレナはずっと前から、胸騒ぎを感じていた。
それが顕著になったのは、あの出立の日。何気なく、ヴァンが徽章を外した時だった。
彼が本気で敵を返り討ちにしようとすれば、大抵の相手は難なく撃退できるだろう。幼い日、腹を空かせた熊から守ってくれた時のように。だから、滅多なことはないだろうと、皆が楽観的に言うのだが。
「
言われずとも、外が暗くなったので、その時が来たのだとわかった。エレナは腰を上げて息を大きく吸い込み、胸を張って少し顎を上げた。それから、隣に立つ代理の
「ハーヴェル卿、行きましょう」
「御意」
夜のごとく闇に染まる空の下に、滑るような足取りで歩を進める。月に遮られた太陽が、ぽっかりと空いた黒の端から花弁のような光を薄暗い空に放っている。あまり見つめてしまうと目が焼かれるので、民衆は
祝詞に民衆が応え、指を組んで
前回のように横槍が入ることもなく演じ終える頃には、空は少し明るくなっていた。やがて蝕が完全に終了すると、本日の
「
この日、祭儀を一寸の隙もなくこなした
亜麻色の髪と、女神の御子の印である黄金色の瞳。まるで彼女自身が女神であるかのごとく美しさの中に、一握りの憂いを帯びた眼差しは、彼女の母親――前任の
※
部屋に戻り一息吐きたいところだが、そうもいかない。成人の儀は延期になってしまったが、国内の重鎮たちの予定を全て組み直すのは非効率である。せっかく聖都にて一堂に会せる機会なのだ。せめてもと、祝賀会のみ行うこととなったのも自然の成り行きだった。
これも、王太子が快復をしていなければ中止となったであろうが、幸いにも、体力は日に日に戻ってきているようだ。
とはいえ未だ病床を離れられぬ身。今晩、王太子の臨席はない。内容もかなり簡略化され、それであればいっそのこと全て中止にしても良いのではないかと思うのだが、メリッサに言わせればそう単純にはいかないらしい。
貴族たちは今宵、
「まあ、ご覧ください。こんなにたくさん贈り物が」
侍女が目を輝かせ、両手を頬に当てて高揚気味に言う。祭儀の間は隠し通せても、自室に戻り少し気の抜けたエレナはやはり、いつもよりも意気消沈して見えたのだろう。彼女なりの気遣いで、あえて一段明るく振舞ってくれている様子だ。
エレナは健気な侍女に感謝する一方、周囲に気を遣わせてしまっていることに対して自責の念に駆られる。それを押し隠すため、意識して微笑み頷いた。
「そうね」
部屋中の台という台に積み重ねられた、大小さまざまな箱。このようなところに財を使うくらいならば、別のことに使って欲しいくらいだが、これも歴代
本来は女神の代理として神事を司るのが
それでも、母がすべきだったこと――エレナを授かったことによって成し遂げられなかったその務めを代わりに引き受けるのが、自分の存在意義だ。今晩は、上級の貴族が贈ってくれた物をいくつか身に着けて祝賀会に参加する必要があるだろう。
「スタック公爵が下さったものは本日着けて行ってくださいね。あとは、レイザ公爵。それと……」
次々と箱を開け、侍女たちは頭を悩ませている。無理もない。互いに対を成す意匠の物ではないので、それらを全て取り入れるとなると、いかに統一感を持たせた装いにするかが難題であり、主を飾り立てる役目の彼女らの腕の見せ所なのである。
賄賂の受け取り主であるエレナをよそに、難しい顔をし始めた侍女のいつも通りの様子に、少し気分が解れる。張りつめた表情がやや緩んだことに気づいたメリッサが、肩にそっとショールを掛けてくれた。
「お疲れ様です、エレナ様。成人の儀は残念でしたね」
「ううん。そうでもないかも。あんまり予定が盛りだくさんだと、疲れてしまうから」
メリッサの微笑みはいつも優しい。その慈愛に満ちた眼差しを向けられると、言い知れぬ安心感を抱くのだ。
それはメリッサがエレナの乳母であり、生母の友人でもあったからかもしれない。メリッサは、エレナがこの世に生まれ落ちる前から、その誕生を待ち詫びてくれていたうちの一人だった。
「ねえ、メリッサ。お母さんは」
「あ……!」
不意に悲鳴を吞み込んだような声がして、エレナは口を閉ざし声の方へと目を向ける。侍女が一人、眼球が飛び出すのではないかというほどに目を見開き、抱えた箱を驚愕の面持ちで見つめていた。
「どうしたの」
ショールを両手で押さえて立ち上がり歩み寄る。自分の失態に気づいた侍女が震えながら箱を抱き締め、横に置いていた蓋を慌てて被せた。
「い、いいえ、何でもありません。……非礼をお許しください」
「少し大きな声を上げただけで、あなたを罰したりしたことはないでしょ」
「ええ。そう、ですよね」
なおも腕を震わせる侍女の目が泳ぐ。ただならぬ様子に、眉根を寄せた。腕を伸ばせば手が届くところまでエレナが近づくと、抱えていた手のひら大の箱を背後に隠そうとするのがいよいよ怪しい。エレナは無理やりそれを奪った。
「だ、だめです!」
「私への贈り物よ。これがどうかしたの」
必死の制止も耳に入らず、躊躇なく蓋を開ける。そして、目に映る物に血の気が引いた。
侍女と同じように、箱の中を覗いてただ絶句するエレナに、メリッサが駆け寄る。それを目にして、彼女も肩を震わせた。
「そんな」
その贈り物ほど悪趣味な物は、後にも先にも見たことがない。
白い綿が敷き詰められたそこには、星の紋を刻んだ徽章と、一房の毛髪。それらは、乾いた血痕に赤黒く染まり、純白の綿をも汚している。血の赤に染まるのは、
誰が見ても明白なその意味を理解すると箱を取り落としそうになったが、辛うじて自制する。目を閉じ深呼吸をして、意識してゆっくりと言った。
「……
そう告げるのがやっとだった。
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