2 思わせぶりな言葉と動乱
※
怒りが爆発しそうになるといつも、瞼を閉じて三つ数える。視界を遮断し、精神の世界に没入することで、少しばかり心が落ち着くのだ。ヴァンはそれをする度、己の中にいる猛獣の
鉄格子の向こう側に囚われた眼前の男は、軽蔑を露わに唾を吐きつつ挑発を繰り返す。
「おい、聞いているのか、裏切り者が。オウレアスの遺民にもかかわらず、南の女の尻に敷かれる腑抜けめ」
「……それで?」
「恥を知れ。この売国奴」
縄で拘束されつつも口だけ達者なのは言うまでもない、先ほどの儀式で
尋問中に、彼らの指導者からの伝言で
「無駄話はいらない。
「ふん、つまらない奴だな。……お前の望みを叶えるために、良い情報をくれてやろうとしているのに」
「不届き者がもたらした情報など不要だよ」
「良いのか? お前は、あの女を守りたいのだろう」
思わず言葉に詰まり、眉根を寄せたまま男を見る。鉄格子の隙間から、男の血走った眼が飛び出している。
「俺たちの組織からだけではない。御子として定められた運命から、解放したいはずだろう。違うか」
彼はにやりと口の端を歪め、ヴァンの耳元に唇を寄せた。生温い息が耳朶を撫で、背筋に悪寒が走る。
彼は言った。「鍵はシャポックラントに。行けばわかる」と。
ヴァンは流血を思わせる
「……
その回答に束の間口を閉ざした後、何がおかしいのか高らかに笑い声を立てる狂った男を見下ろし、これ以上の会話は無用と、
「厳粛な処分を。……この牢で死んでも、星の宮は気にしない」
「承知しました」
ヴァンは階段を上りつつ、軽く目を伏せる。一、二、三、と数え心に鍵をかけた。殺しても良い、と指示を出したのは初めてだ。幼少の頃は、人に害をなすのが恐ろしかった。それは、心の中の猛獣が檻を抜け出すと、周囲をなりふり構わず破壊することを知っていたからだ。だから、人を傷つけず、かつ無意識に猛獣を開放することのないよう、自分が傷を受けるのも避けてきた。
背後では、男の金切り声が響いている。彼は拷問の限りを尽くされ、知りうる情報をすべて吐き出した後、処刑されるだろう。もしくは、その途中で死ぬかもしれない。
冷酷にも罪悪感は抱かなかった。彼らは
もし、弧を描き飛来する矢に気づくのが少しでも遅れていたら。彼女の腕を引くのをほんの少しでも
階段を上りきり、
「シャポックラント」
すでに日が陰っている。行ってみるとしても後日になるだろう。ヴァンは、ひとまず眼前の仕事に没頭することにした。
そして翌日。やっと職務から解放された後、密かに厩舎を訪れて旅支度を行った。
しかしその最中、全てをを見透かしたように時期をはかり、エレナが慌ただしい足音を立ててやってきた。
「こんな時にどこへ行くの。大変なの。さっき、伝令が来て」
あまりの剣幕に驚き馬具から手を放したヴァンを見て、エレナは呼吸を整える。それから続く言葉に、ヴァンの心臓は大きく一跳ねし、そのまま停止するかと錯覚した。
「イーサン殿下が襲撃されたの。詳しくは分からないけれど、容体はあまり良くないみたい。それと、イアンが……罪を問われて投獄されたって」
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