6 動き始める運命
※
気づけば柔らかな寝台の中で、心地よい朝の陽射しを浴びていた。どうやら昨晩はあのままソファーで眠りについてしまったらしい。
侍女が慌ただしくカーテンを開き、置いたままになっていたティーカップを片付けている。ヴァンの姿はなかったのできっと、眠ってしまった主を寝台に落ち着かせてから、扉の外に戻ったのだろう。
「おはようございます、エレナ様」
メリッサが微笑みを浮かべてこちらを覗き込む。開け放たれたばかりの窓から差し込む清々しい朝日を受けた横顔は、聖母のごとき神々しさすら感じさせる。
「おはよう、メリッサ」
つられて笑みを返し、手足を大きく伸ばす。夜更かしのせいでまだ眠り足りない心地だが、そうも言ってはいられない。昼過ぎから、この訪問の最重要目的である、日蝕の儀の前祭を行うからだ。
本来この祭儀は日蝕の最中に行うもので、実際、正式な儀式はサシャの聖都で行う。本日行うものは言うなれば、
俗人としてではなく、
湯あみを終え、聖水で清めた香油を髪に塗り込み、
天候は晴れ。軽く汗ばむような陽気の中、王宮の外れに位置するバルコニーから見下ろす広場は、民衆で溢れ返っていた。十年前の戦争の傷は、癒えるには早すぎる。彼らは何を思い、かつての敵国からやってきた
形式的には日蝕の儀の一部であると聞けば、誰もが滑稽に思うほどの蒼天。月どころか、ぼんやりと白く浮かぶ雲でさえ、陽光を遮ろうとはしない。それでも儀式は厳かに開始する。
控えの部屋で大きく息を吸い込み、胸を張る。左後ろを見上げ、小さく声をかけた。
「ヴァン、行きましょう」
「うん」
聖サシャ王国の前身、旧サシャ神国が支配した一帯は、星、波、岩の三神が信奉される地域である。すなわち多神教の体を成しているものの、それぞれの民らは、三神の中で一番に信ずる神を定めている。
約八十年前のオウレア紛争のずっと前から、北方は波の民、南方は星の民と呼ばれ、地域により信仰に差があった。中でも南の文化は独特で、
そう考えると、北方オウレアスはほとんど一神教に近い印象を覚えるが、それでも
儀式は滞りなく進む。時間にして、半刻もない。退屈な
日蝕の儀を蒼天の下で行っても、神は気分を害さない。逆に、御子の祈りを受けても、何の感動も表さない。つまるところ、お隠れになった神は、人間のことなんてもう、気に留めていないのだ。その職務に命を削ってきた歴代の
鬱々とした思いを抱えつつも、エレナは笛を奏でることを止めない。神事の実態がどうあれ、これはエレナの責務であり、存在意義である。忠実に、役目を全うするまでだ。
異国に訪れた疲労もあった上、眼前の民衆が
その時。不意に腕を強く引かれ、笛は甲高い音を上げた。
何事か、と思う間もなく、急に引かれた衝撃でよろけながら見上げると、銀の閃光が、何かを叩き落としたところだった。
「
鋭い指示が飛び、
矢を射られた。誰の犯行かわからない。王宮関係者とはいえ、異国の者に
「
顔見知りの騎士のやや上ずった声。緊張が伝染する。室内に避難しつつも肩越しに振り返ると、広場は騒然としてるようだった。
ほどなくして、
安全のため、滞在用の部屋に閉じ込められることとなったエレナは、肩を震わせて泣く侍女達と、気丈に振舞ってはいるものの顔面蒼白なメリッサと共に、不安な時間を過ごした。この調子では、首都と街道の安全が確認されるまで、帰国はお預けになりそうだ。
聖サシャ王国の統治を善としない反体制派が潜伏していると聞いてはいたが、あと少し
第二幕 終
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