4 王のもてなし


 食卓の奥に座す波の王オウレスは、細面ほそおもてのさっぱりとした顔立ちの男である。薄暗がりの中で燭に照らされた瞳は、青。おそらく、強い日差しの下では、透き通るような淡い水色だろう。


 歴代の波の王オウレスは、波の御子オウレンの末裔の印として、もっと深い色合いの瞳を持っているはずなのだが。


 十年前の岩波戦争の折、この男は神官職についていたという。先代の波の王オウレスと王妃、一人息子である王太子が敗戦後に処刑された後、オウレアスはかつてのように、聖サシャ王国の一地方に戻るはずだった。それなのに現在も国が存続しているのは、オウレアスの民心を束ねるには波の神オウレアの加護が必要だと判断されたからだ。


 当時、王兄おうけいであったが、神の加護の印である藍色の瞳を受け継がなかったため、王位継承権がなく神職にあった彼が新王に抜擢されたのにはそういった背景があると聞き及んでいる。波の御子オウレンの血筋は他に存命していなかったのだ。


 さて、今宵テーブルを囲む賓客は、王の家族と、波の神殿の要職者。他は上級の廷臣ら。


 周囲で繰り広げられる表面的な会話に相槌を打ちながら、時にご要望通り上品な笑い声を立ててみれば、場の雰囲気は悪くない。それでも、心底歓迎されているわけではないのは、肌を刺す空気感でよくわかる。岩波戦争の傷は、まだ癒えていないのだ。


 エレナはにこやかな表情のまま、手持無沙汰にグラスを傾ける。果実酒だ。紅玉のような液体を少し口にしてみると、びりびりと舌が痺れる感覚の後、喉が焼かれるように熱くなる。言うまでもなく、最高級の果実酒だろうが、飲み慣れないエレナにとっては、その熟成した香りも甘味に混ざる苦みも、特別美味しいものには思えなかった。むしろ、匂いはなんだか古い物置部屋を想起させた。


 それでもグラスを動かし続けてしまうのは、料理毎に新しい果実酒が注がれるのでもったいないと感じてしまうからだ。


 普段なら、岩の王サレアスかイーサン王太子、いなければメリッサやヴァンがたしなめてくれるだろうが、国賓として招かれた晩餐では、さすがのヴァンも主に進言することはできなかったようだ。


 後からヴァンに言わせれば、靴先で椅子の脚を小突いたり、咳払いをしてみたりして窘めようとしてくれたらしいが、緊張感も相まり酔いの回ったエレナの意には留まらなかった。


「それにしても、星の姫セレイリが早々にご帰国されてしまうのはとても残念ですわ」


 言ったのは王妃だったか。顔がほてり、ぼんやりとしてきた頃合いだったので、無様な姿は見せられぬと、エレナは水を飲んだ。王妃の言葉に、星の姫セレイリとして相応しい返答を思案し、口を開こうとした時だった。

 

 不意に、どさりと重い音が響き、心なしか地面が揺れた。酔いのため、幻聴がしたのだろうか。それともエレナ自身が倒れたのか。


 混乱の最中、皆の視線を追い、背後を振り返って絶句した。


 星の騎士セレスダが、床に倒れこんでいた。


「ヴァン」


 酔いは一瞬で醒めた。血の気の引いた身体を叱咤し、助け起こそうと慌てて椅子を引き、それから置かれた状況を思い出す。


 波の王オウレス、属国オウレアス王国の重鎮たち。集まる視線。彼らを前にして、軽率な行動はできない。不安で震えそうになる声を、腹に力を入れて抑え込み、その場で立ち上がり頭を垂れる。


「……私の騎士が、大変失礼をいたしました」


 それから心に蓋をして、振り向きもせずに言う。


「彼を、楽な場所へお願いします」


 侍従や他の近衛に助け起こされたヴァンは、焦点の定まり切らない視線で主を見遣ったが、微動だにしない背中から、意思を汲み取り、ただただ精一杯の礼を王に送った。


「誠に、申し訳ございません。……波の王オウレス、皆さま方」

「良い、気にするな」


 気分を害した様子はなく、むしろ困惑した声音の返答にひとまず安堵したようで、ヴァンはそのまま大人しく場を辞する。扉が閉まる音が、エレナの胸に重く響いた。


「それで」


 形式じみた憂いの視線を扉に向けた後、王妃が首を傾ける。


「何のお話をしていたかしら」

「……私の滞在日程の話です、王妃陛下」


 そんなことよりも早くヴァンの様子を確かめに行きたかったが、ままならぬ身に焦燥が募る。いよいよ心労で痛みだした胃をテーブルの下でさすりながらも、胸から上は完璧な星の姫セレイリを演じ上げ、宴は円満に幕を閉じた。

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