3 そなたは我が騎士
日々の日課どおり、紅茶を飲みながら休息をしたが、気持ちが昂り、全く休まらない。
エレナも同世代の少女の例にもれず、騎士というものに少しだけ幻想を抱いていた。
選抜に出るのは正式な職位を与えられていない、成人前の見習いではあるが、将来有望な若者達だ。しかし、ただ選べと言われても、武術に
「
呼びかけられて目を向ければ、しばし離席をしていたはずの騎士団長が、軽く胸に拳を当てる敬礼をして、こちらを窺っていた。
「いかがでしょうか。若輩ゆえ至らぬ者が多いとは存じますが、お気に召す者はおりましたか」
エレナは少し思案し、当たり障りなく返す。
「ええ。さすが黒岩騎士団。皆素晴らしい技量をお持ちの様子ですね」
弱冠八歳の
「もったいないお言葉。もうそろそろ決勝が始まりますので、事前に出場者をご紹介しましょう」
聞けば、予選を勝ち残った者、計八名が決勝に出場するらしい。勝ち抜き戦の形式で優勝者が決定するものの、
ティーカップをテーブルの端に避け、広げられた書面に目を落とす。騎士の手によるものだろう、筆圧の強いやや武骨な字体を流し読みし、エレナは訊いた。
「団長、どのように選べば良いのでしょうか」
「歴代の
「では今年の優勝候補は?」
「立場上、軽率なことは申し上げられません」
「じゃあ、一番戦績が良いのは誰?」
堅物として知られる黒岩騎士団長も、客観的な数値を求められれば、しばしの思案の末、関節の目立つ指で書面を指した。
「過去の戦績も考慮しますと、やはり彼。イアン・マクレガーでしょう」
眩しい銀髪の少年が脳裏に浮かび、エレナは頷く。
「彼の戦いは素晴らしかった」
きっと人柄も相応だろう。エレナは、書面に目を落として文字を追う。
イアンは北部国境付近の出身らしい。下級貴族の出で、マクレガー男爵家の次男だという。貴族といえども、上級の家系としか面識がないため、マクレガー男爵家という家名は初めて耳にした。
「次点ですと、ハンス・エヴァンズ。次いでシャーロット・ノーラ」
「女の子もいるのね」
「はい。いずれも優秀な騎士の卵です。しかし、彼女をお選びになるのであればご慎重に」
ノーラは孤児や私生児に与えられる姓だ。いかに優秀であっても、ノーラ姓の者が
「他には誰かいる?」
「そうですね……。少々想定外なのですが、彼。ヴァン・ノーラ。三年前の
半ばイアンに内定していたため、ついでに聞いてみた程度であったのだが、秘密基地での出来事を思い出し、エレナは目を丸くしたのだった。
※
ヴァンという名の見習いなど、何人いても不思議ではない。だが結論、ヴァン・ノーラは、地下水道脇の秘密基地で泣いていた少年と同一人物であった。
あれほど鍛錬を嫌がっていたヴァン少年が、なぜ決勝に残っているのかという謎は、すぐに解ける。エレナの発言の影響だったからだ。
砂風にあおられる髪を抑えながら、眼前の試合を見下ろす。
午前中に交わした会話を思い起こし、目の前の情けない試合に、エレナは微かな怒りを覚えた。
(痛いのが嫌だって、どういうこと? 全部避けているじゃない)
苛立ちの最中、ヴァンの一挙手一投足を眺め、ふと思い至る。痛いのは彼ではなくて、打たれた試合相手だ。もしやヴァンは、騎士の卵でありながら、そのような軟弱な思考で鍛錬を行っていたというのか。
どんな一撃も、風に舞う落ち葉のように躱してしまうその身のこなしが人並外れているのは、素人のエレナでもわかるほど。打ち出す打撃も力強く、彼が本気を出せば、同世代の少年では太刀打ちできないほどの実力を秘めているだろう。
それなのに、この体たらく。ヴァンの心根を叩きなおしてやりたい気分である。もちろん、周囲の反応も同様で、試合時間が長引けば長引くほど、不満気な囁きが漏れ聞こえる。
試合は最終的に、疲労困憊した少年が地に伏したところ形ばかりの一打を受け、ヴァンの勝利で終わった。次が最終決戦だ。
試合相手は大本命のイアン。その端正な顔を眺めると、彼は不満に満ちた険しい表情で、対戦相手を見つめていた。
慣例通り距離を置いた状態で
ヴァンはエレナより二、三歳上のようだが、イアンは更に上の年齢に見える。体格差がある二人ではあるが、一方的な戦いは誰も想定していない。
ともすれば、最も優勝が有力視されているイアンが、負けるかもしれない。重たく腹にのしかかる緊張感の中、群衆は
開始の合図と同時に、俊敏に動いたのはイアン。決して筋骨隆々という訳ではないのに、振り下ろす一撃は岩をも砕く勢いだ。対してヴァンは、風に
「なぜ戦わない」
イアンの苛立った声が響く。剣を構えたままの問いかけに、ヴァンは息一つ切らさず眉尻を下げる。
「意味もなく痛めつけ合うのはおかしいよ」
「意味もなく? おまえは見習いとはいえ騎士だろうこれがおまえの義務のはずだ」
「それは、実際の戦場ならそうだろうけど」
「修練を怠れば、戦場では何も守れず無駄死にするだけだ」
「気持ちはわかるけど、戦場と訓練場は全く違う」
「騎士団への侮辱か」
「そんなつもりはないよ。ただ……」
遠くてあまり見えないが、イアンのこめかみには青筋が浮いているだろう。それほどに怒気を含んだ声音だった。ヴァンの否定も虚しく、イアンの一太刀がヴァンの頬に赤い筋を残す。
観衆からは、称賛の声が上がった。これまで誰も、ヴァンの身体に傷をつけたものはいなかったからだ。また、普段からヴァンの心象が悪いこともあり、イアンを応援する者が多いのだろう。
さながら、正義の味方と悪党の対戦のような空気感。周囲を敵にしてまでどうして戦いたくないのか、と、エレナも呆れ返った。それと同時に、彼の
「いいか、ヴァン。俺はおまえに打たれても痛くも痒くもない。だから本気でかかってこい。これ以上の手抜きは許さない」
ヴァンは小さく肩をすくめた後に、申し訳程度に一撃を繰り出す。その煮え切らない態度により苛立ちを刺激されたイアンが、さらに重撃を放つ。
予想外に、ヴァンはおされているようだった。闘技場の熱気が増す。ヴァン自身も驚いたように目を丸くし、イアンの攻撃を躱していた。その
イアンの足が、小石を踏んで身体が傾ぐ。すんでのところで体勢を立て直したのだが、あろうことか、剣は横殴りにヴァンの頭部に向かう。意図しない一撃だったが、一歩間違えば致命傷になってしまう。イアンが慌てて止めようとするが、遠心力に抗えず、鈍い銀色が舞う。息を吞み、観衆から小さな悲鳴が波打つ……。
カン……と甲高い音の後、剣が地面に落ちる重い音が、静まり返った空気を揺らす。次いで、イアンが尻もちをつく格好で、砂に沈んだ。その喉元には、ヴァンが手にした剣の切先がぴったりと吸い付いていた。
目にも留まらぬ速さだった。不慮の事故で向かってきた鉄の塊を、小さな身体から繰り出す一撃で弾き飛ばし、流れるような動作で敵の頸部を突く様子は、素人目にも見事である。
風が砂を揺らす音がさらさらと流れた後、ヴァンが剣を下ろし、戸惑った様子で周囲を見回した。その
彼の茶色い瞳から困惑を感じ取り、エレナは腰を上げる。
「勝者は決しました」
事前に決められていた口上だが、幼くも凛とした
「勝者に星の祝福を」
いまだ戸惑いがちな声音で、一同がそれを唱和する。エレナは、場違いなほどに純白の靴で、砂の中を進む。
「
側に控えていた司祭が、軽卒を咎めるように呼んだが、一瞥もせずに二人の少年の前に歩み出た。
イアンが慌てて体勢を整え膝を突き、一拍遅れてヴァンも同様にした。
「剣をここに」
決勝の八名全員に
「剣を」
再度促してやっと、勝者は自らの剣の柄をエレナに差し出した。汗のしみ込んだ何の変哲もない訓練用の剣を、自らが選んだ騎士の肩に軽く乗せる。ヴァンが小さく震えたのが分かった。
「
少し面を上げたヴァンが苦々しい表情をするのとは対照的に、意外にも、イアンが清々しい顔をしていたのが妙に印象に残った。
第一幕 終
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