2 出会いの日②


 こうして連れ帰られてしまったエレナだが、逃げ出したのは神笛の練習からであり、選抜からではない。


 エレナは数刻後、砂地にしつらえられた場違いなほど華奢な椅子に腰掛けていた。


 眼前には強面こわもての騎士団幹部と、選抜に参加する少年たち。数名、少女もいるようだ。彼ら彼女らは一様に膝を突き、こちらに頭を垂れている。


 聖サシャ王国の武門から順当に叙任されたという騎士団長が口上を述べ、司祭がそれに応じる形式的なやりとりを右から左に聞き流しつつ、エレナは密かにヴァンを探していた。何人か似た印象の少年は見つけたものの、薄闇の中でしか姿を見ていないので、特定には至らない。

 

 淡い色の瞳を持つ、エレナよりも少しだけ年長と思われる泣き虫な少年。彼のことは、それだけしか知らない。せめて声を聞くことができればわかりそうなのだが……。


 不意に、隣にいた司祭がこほんと咳払いをしたので、意識をこちらに引き戻す。エレナの出番のようだ。慌てて立ち上がると、砂地に不釣り合いな純白の長衣の裾が、ひらりと翻った。眼下の騎士を見回し、余所行きの微笑みを顔に張り付けた。


星の女神セレイアの御名において、祝福を与えます。秩序、契約、公平。神のご加護がありますように」


 八歳にして、すでに何百回と唱えた祝福の言葉。騎士団員が深く一礼し、砂がすれる音が響いた。それが、選抜開始の合図である。


 選抜は、大人数ゆえ予選から始まる。予選は、同時並行で複数の試合が行われているようだ。星の姫セレイリはその間、司祭や団長と共に、試合間を練り歩き、星の騎士セレスダ候補を値踏みする風習らしい。何人かの有望株を紹介され、いくつかの試合を見学したが、誰を選べば良いかなど、検討もつかなかった。


 刃をつぶしてあるとはいえ、獲物は長剣。当たり所が悪ければ、命を落とす者もいるという。この選抜は公には星の騎士セレスダを選ぶ試合だが、上位数名に残った者は、たとえエレナに選ばれなくとも騎士団幹部候補になれるため、少年たちは負傷することすらいとわず、剣を握っていた。


 突然、大きな歓声が上がる。賑やかさに惹かれ足を止めれば、十三、四歳と見える少年が彼と同年代と見える大柄な少年を打ち負かしたところだった。


 大柄な少年は膝を突き、取り落とした剣を拾い、勝者を仰ぎ見る。


「さすがはイアン。初戦で優勝候補の君と当たってしまうなんて、運がなかった」


 イアンと呼ばれた少年は紳士的に微笑んで、敗者に手を伸ばす。手を取り立ち上がるのを助けてから、相手の肩を叩いた。友人同士なのだろうか。周囲を囲む少年らの間にも、険悪な空気はない。選抜というと軋轢あつれきが避けられないものと思い込んでいたエレナの目には、とても興味深く映った。


 その中でもイアンは中心的立場らしい。純粋に剣技が優れているだけでなく、陽光に煌めく銀髪と、すらりと伸びて程よく筋肉のついた体躯たいくを見れば、世の乙女たちが憧れる若騎士の卵そのものだ。見目麗しい人物はそこにいるだけで、月が重力を持つように周囲を引き付けるのだろう。


星の姫セレイリ、彼がお気に召しましたかな?」

「ううん、そういうわけでは……」


 騎士団長の言葉で、情けなくもぼんやりと見惚れていたことに気づき、頬に血が上る。小恥ずかしさを覚えすぐに立ち去りたかったのだが、当のイアンが星の姫セレイリに気づいたらしく、こちらに向かってきた。


 思わず一歩引いてしまったエレナと程よい距離を保ち、美しい少年騎士は軽く一礼する。


「これは、星の姫セレイリ。お初にお目にかかります、イアン・マクレガーと申します。このような場所にお立ち寄りくださり、光栄です」


 輝くような笑顔に、少しときめいてしまう。

 

 エレナが彼に言葉を返そうとした時だった。今度は先ほどとは真逆の、罵声に近い声が上がる。エレナのやや左後方へ行った場所で、イアン達よりも幼い少年が、試合を行っていた。


「ああ、彼か」


 イアンが少し冷たくも聞こえる声を漏らしたので、エレナは問う。


「有名なの?」

「ある意味では。ご覧になっていればすぐにわかるはずです」


 彼の言う通りであった。二人の少年が剣を交えているのだが、とても一方的な試合だ。


 一般に「一方的な試合」と言えば、強者が弱者を圧倒するものを想像するだろうが、これは斜め上を行く。弱者が強者を圧倒しているのだ。


 ともに取り立てて特徴のない少年に見えるのだが、一方が絶え間なく繰り出す剣技を、もう一方が華麗に受け流す。攻撃側は次第に疲弊し、玉のような汗が砂地に染み込んでいたが、剣を受ける少年の表情は何一つ変わらない。そして奇妙なことに、涼しい顔をした方の少年はほとんど剣を打ち込んでいなかった。


 どういうことかと視線で問えば、イアンは軽く肩を竦める。試合は、時間切れを試す流れになっていた。エレナには細かな規則は分かりかねたが、決定的な一打がない場合は、判定によって勝敗が決まることになるのだということくらいは理解していた。


 案の定、そのまま試合は終わり、汗を流した少年は砂地に膝を突いてうずくまり、涼し気な様子の少年は困ったような表情を浮かべたまま、敗者に手を伸ばす。砂まみれの少年は、差し出された指先を見て一瞬忌々いまいまし気に顔をしかめたが、素直に手を取り、立ち上がった。そのまま、一言も交わさず形式通りに礼をして、背を向け合う。イアンの時とは違い、後味の悪い試合だ。


「あれは何なの」

「私にも理解できませんが……。彼はいつも本気を出さないのです。手を抜くことは、敗者への冒涜です」


 イアンの言う通りだ。星の騎士セレスダの選抜で、このような無礼は、許されるべきではない。エレナの足は自然と、敗者の背中をぼんやりと眺めている少年の方へ向かっていた。


「ねえ、あなた」


 呼ばれ、弾かれたような仕草で少年はこちらを振り向いた。生まれつき少し目尻の下がった目が、驚きに見開かれている。埋め込まれた瞳の色は、淡い茶色。彼の髪より一段明るい色合いだ。


「あなた、名前は?」


 星の姫セレイリに声を掛けられるという光栄に、驚きで声が出ないのだろうか。押し黙ったままの少年に苛立ちを覚え、名前を聞くことは諦めて詰問する。


「なぜ戦わないの。相手にも失礼だわ」


 仁王立ちした星の姫セレイリに詰め寄られ、少年は一歩後ずさった。怯えた、というよりは駄々っ子の我がままに困惑するような様子である。じっと見据えてやれば、少年はやっと微かに唇を開く。


「僕は……」

星の姫セレイリ。そろそろお時間です」


 間が悪く口を挟んだのは、年嵩としかさの正規騎士だ。騎士団長が応えて頷くと、身じろぎに合わせて金属のこすれる音が砂風に乗った。


「一旦戻りましょう。お疲れでしょうから決勝まで、お休みになられては」

「わかった。……そこの彼の試合からは、制限時間を外してください」


 星の姫セレイリの騎士の選抜であるがゆえ、彼女の言葉は重きをもって取り扱われた。そしてこの一言が、大会の結末を狂わせたのは、言うまでもない。

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