2 出会いの日②
※
こうして連れ帰られてしまったエレナだが、逃げ出したのは神笛の練習からであり、選抜からではない。
エレナは数刻後、砂地に
眼前には
聖サシャ王国の武門から順当に叙任されたという騎士団長が口上を述べ、司祭がそれに応じる形式的なやりとりを右から左に聞き流しつつ、エレナは密かにヴァンを探していた。何人か似た印象の少年は見つけたものの、薄闇の中でしか姿を見ていないので、特定には至らない。
淡い色の瞳を持つ、エレナよりも少しだけ年長と思われる泣き虫な少年。彼のことは、それだけしか知らない。せめて声を聞くことができればわかりそうなのだが……。
不意に、隣にいた司祭がこほんと咳払いをしたので、意識をこちらに引き戻す。エレナの出番のようだ。慌てて立ち上がると、砂地に不釣り合いな純白の長衣の裾が、ひらりと翻った。眼下の騎士を見回し、余所行きの微笑みを顔に張り付けた。
「
八歳にして、すでに何百回と唱えた祝福の言葉。騎士団員が深く一礼し、砂がすれる音が響いた。それが、選抜開始の合図である。
選抜は、大人数ゆえ予選から始まる。予選は、同時並行で複数の試合が行われているようだ。
刃をつぶしてあるとはいえ、獲物は長剣。当たり所が悪ければ、命を落とす者もいるという。この選抜は公には
突然、大きな歓声が上がる。賑やかさに惹かれ足を止めれば、十三、四歳と見える少年が彼と同年代と見える大柄な少年を打ち負かしたところだった。
大柄な少年は膝を突き、取り落とした剣を拾い、勝者を仰ぎ見る。
「さすがはイアン。初戦で優勝候補の君と当たってしまうなんて、運がなかった」
イアンと呼ばれた少年は紳士的に微笑んで、敗者に手を伸ばす。手を取り立ち上がるのを助けてから、相手の肩を叩いた。友人同士なのだろうか。周囲を囲む少年らの間にも、険悪な空気はない。選抜というと
その中でもイアンは中心的立場らしい。純粋に剣技が優れているだけでなく、陽光に煌めく銀髪と、すらりと伸びて程よく筋肉のついた
「
「ううん、そういうわけでは……」
騎士団長の言葉で、情けなくもぼんやりと見惚れていたことに気づき、頬に血が上る。小恥ずかしさを覚えすぐに立ち去りたかったのだが、当のイアンが
思わず一歩引いてしまったエレナと程よい距離を保ち、美しい少年騎士は軽く一礼する。
「これは、
輝くような笑顔に、少しときめいてしまう。
エレナが彼に言葉を返そうとした時だった。今度は先ほどとは真逆の、罵声に近い声が上がる。エレナのやや左後方へ行った場所で、イアン達よりも幼い少年が、試合を行っていた。
「ああ、彼か」
イアンが少し冷たくも聞こえる声を漏らしたので、エレナは問う。
「有名なの?」
「ある意味では。ご覧になっていればすぐにわかるはずです」
彼の言う通りであった。二人の少年が剣を交えているのだが、とても一方的な試合だ。
一般に「一方的な試合」と言えば、強者が弱者を圧倒するものを想像するだろうが、これは斜め上を行く。弱者が強者を圧倒しているのだ。
ともに取り立てて特徴のない少年に見えるのだが、一方が絶え間なく繰り出す剣技を、もう一方が華麗に受け流す。攻撃側は次第に疲弊し、玉のような汗が砂地に染み込んでいたが、剣を受ける少年の表情は何一つ変わらない。そして奇妙なことに、涼しい顔をした方の少年はほとんど剣を打ち込んでいなかった。
どういうことかと視線で問えば、イアンは軽く肩を竦める。試合は、時間切れを試す流れになっていた。エレナには細かな規則は分かりかねたが、決定的な一打がない場合は、判定によって勝敗が決まることになるのだということくらいは理解していた。
案の定、そのまま試合は終わり、汗を流した少年は砂地に膝を突いてうずくまり、涼し気な様子の少年は困ったような表情を浮かべたまま、敗者に手を伸ばす。砂まみれの少年は、差し出された指先を見て一瞬
「あれは何なの」
「私にも理解できませんが……。彼はいつも本気を出さないのです。手を抜くことは、敗者への冒涜です」
イアンの言う通りだ。
「ねえ、あなた」
呼ばれ、弾かれたような仕草で少年はこちらを振り向いた。生まれつき少し目尻の下がった目が、驚きに見開かれている。埋め込まれた瞳の色は、淡い茶色。彼の髪より一段明るい色合いだ。
「あなた、名前は?」
「なぜ戦わないの。相手にも失礼だわ」
仁王立ちした
「僕は……」
「
間が悪く口を挟んだのは、
「一旦戻りましょう。お疲れでしょうから決勝まで、お休みになられては」
「わかった。……そこの彼の試合からは、制限時間を外してください」
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