夏〜july〜

第1話

 由岐治ゆきじ学生鞄スクールバッグは、学校指定のものではない。


「すぐれた人間っていうのはな、」


 得意げに顎をそらし、言葉を続ける。


「持つものを選べる。誰におもねることもないんだ」


 そう言って、鞄をついと持ち上げてみせた。革製のそれは、上品に黒く輝いている。


「そうですか」


 彼の使用人は、とんと頷いた。わかっているのか、いないのか、はっきりわからぬ調子である。主はすぐに機嫌を悪くして、ふんと鼻を鳴らした。

 

「まあ、お前みたいな物の価値もわからない上に、選べない人間には関係ないと思うけどな」

「はあ」


 彼の辛辣な言葉を、これまた頓着のない様子で聞いている彼女の肩には、学校指定のスクールバッグがかけられているが、それに対する引け目は全く無い――そんな具合である。彼女の主は、内心毒づいた。

 本当にこいつは、僕に対する敬意がないな。

 この碓井由岐治の使用人たるもの、主が得意そうにすれば、「まあすばらしいです」と心から賛辞を贈るべきだろうに。さっきから、間の抜けた顔ばかりさらしている。由岐治は、己の使用人――赤城あかぎひばなに、苦々しい視線を向けた。伏し目がちといえば聞こえが良いただの半目を睨みつける。


「坊っちゃん」

「何だ」

「お腹すきませんか」


 赤城はやにわにそう言って、自らの鞄をあさりだす。それには由岐治も、怪訝な顔を隠すことができない。思わず立ち止まって、動向を見ていると、赤城はにゅっと大ぶりのガラス瓶を差し出してきた。


「なんだそれ」

「梅の甘露煮です」

「見ればわかる! 何でそんなもの持ってる!」

「昨日届いたので」


 由岐治は頭が痛くなってきた。黙っていると、「見せたでしょう、小包」と追撃がきた。やかましい、そんなこと知っている。


「お前は本当にバカだな! 僕がわかんないのは、そんなものを学校に持ってくるお前の神経だよ!」


 思わず大声になってしまい、由岐治は慌てて辺りを見渡した。人気が少ないとはいえ、ここは学園内の敷地。どこで誰が聞いているともわからない。赤城は主の挙動不審を、ひとしきり主の心が落ち着くまで、見守っていた。その手のひらの上に、盆のように瓶をのせたまま。


「本当に、誰が学校でそんなもの食べるんだよ。皿も箸もないのに」

「お好きでしょう甘露煮。何でも早いうちに頂かないと」


 由岐治はものすごく嫌な気持ちになった。「お好きでしょう」――このアホはなんにも考えていないのはわかっているが、その言葉に甘露煮以上の意味を想起させられたからだ。

 

「嫌いだね! 甘露煮なんか吐き気がする!」


 由岐治はずんずんと歩を強め歩き出す。赤城は、手に瓶をのせたまま、あとにつづいた。


「ついてくるな!」

「そういうわけには参りません。私は坊っちゃんの使用人ですから」


 由岐治の盛大な舌打ちが、今度こそ大きく響いた。

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